第42話 美容師が見た、一触即発(中)

 時刻は午後一時を少し回った頃。

 一時的に客足が遠のく。

 今のうちに昼休憩に入るよう、新人を促す。

 ホッとひと息吐く様が微笑ましい。

 そう思えるくらいは成長したのだろうか?

 などという自惚れグセは一生治らなそうだ。 

「新たなるお客を発見しましたよ」

 新人の言葉にすかさず配布の準備。

 受取拒否をさせぬコツは眼と眼で通じ合う事。  

 その為の武器〈爽やかな笑顔〉を装備。

 そして、ティッシュを操り相手の関心を引く。

 やがて、バチッと交わる互いの視線。

 しかし、同時にキュッと強張るこの指先。

 目の前にやって来たのは――彼女だった。


「只今〜、キャンペーン実施中です~」

 他人のふりを決め込み上ずる声で押し付ける。

 これでもかと苦々しい顔で受け取る彼女。

 痛い視線と気まずい雰囲気が漂う。

 心臓がバクバクと激しく喚く。

 無言で去りゆくその背中を追う事は許されない。

 そのやり取りを不思議そうに眺める新人。

 早く行け、と動揺を隠して取り繕い背中を押す。

 すると、思わぬ事態に。

 彼女が踵を返して近付いてくるではないか。

 次いで、柔らかな声が問いかける。

「あの緑の看板の店舗が、この美容室ですか?」

 当然ながら、こちらへは一瞥もない。

 相対する新人が『そうだ』と答える。

 その後に続くのは『予約を入れたい』との言葉。


 …………は?

 視界に入ることすら許されない。

 うっかり入ったとしても空気同然の認識。

 そんなゲス野郎が勤める店舗に自ら足を運ぶと?

 春はとうに過ぎている。

 初夏の陽射しに当てられて脳みそ沸いたのか?

 

 うっかり漏れ出る素を抑えることには成功した。

 が、欲に忠実な直感は目覚ましい働きをする。

 これは儚い繋がりに賭けるチャンスだ、と。


「お話はこちらで承ります。ご予約日時はお決まりですか? 店舗に確認いたしますので、ご都合が許すならば一時間後にまたお声掛けくださると助かります」

 フレンドリーを優先し過ぎたお粗末な返答だが。

 戸惑う新人と彼女の間に割り込み口を開く。

 彼女のためならば何が何でもねじ込んでやる。

 いや、他でもない自分自身のために。


 ◆ ◆ ◆


 まさかの邂逅から、一時間強。

 彼女は未だ現れず。 

 見え見えの下心を見透かされたのか。

 心をシオシオに萎らせて昼休憩の準備を始める。

 泣き喚く腹を擦り慰める他に何が出来ようか。

「先程のお客様が来ましたね」

 持ち場に戻った新人の耳打ちに急ぎ振り返る。

 釈然としない顔つきで足取り重く近付く姿。

 これもまた、綺麗だ。

「予約は、入れられますか?」

 新人の前ですげない態度は出来ないのだろう。

 落ち着き払った笑みを浮かべて問い合わせる。

「先程伺った時間ではご期待に添えませんが、前後でよければ可能です。施術内容も詳しく伺いたいので、打ち合わせも兼ねて店内そこのカフェまでご足労願えますか―――ぐぅぅ〜♪」

 偶然鳴いた腹の虫がアシストを決めたか。

 彼女が深い溜め息をついて後に続く。


 カフェに隣接する保険関係のテナントでは、謎のあしらいに長ける彼ピッピの後輩とやらが長身を活かした監視を続ける。彼女とここで再会した際に起こした土下座騒動以降、来店のたびに鋭い視線を痛いほど浴びせてくるのが習慣となって久しい。

 本日は彼女を伴っているせいだろう。

 睨みの利かせ方が、容赦無い。

 最早、致死量レベル。

 市街地一円を取り纏めた伝説は伊達じゃない。

 それを軽い会釈で抑え込む彼女。

 両者のバックにいる彼ピッピの存在が謎である。

 どう見ても、おっさんリーマンでしかないのに。


「大切な新規顧客様ですから―――」

 理由をつけてドリンクをふるまうも、断られた。

 各自、注文の品を携えてテーブル席に座る。

 何故だろう、ワクワク感が止まらない。

 まるで幼い頃の純真さを思い出したかのよう。

「食べながらで結構です」

 鳴り止まぬ腹の虫に配慮した有り難い一言。

 但し、凍える視線をグサグサ突き刺してだが。

 嫌悪感丸出しだというのに、心は躍るばかり。

「それでは失礼して、むぐぐ……」

 食べながら話す時点で詰んでいる。

 せめて汚ならしく見えないよう、スマートに。

 細心の注意を払ってホットドッグに齧り付く。

 そんな思いを汲む気が微塵もないのは承知の上。

 こうして対話できるだけで十分だ。

 それでは、話を進めよう。


「アレンジの仕方によってお時間を決めますので、イメージとかあれば教えてください」

 一拍置いてスマホを取り出し、操作する彼女。

 無言で画面の向きを変え、テーブルに置く。

 そこにあるのは複雑に編み込まれた頭部の写真。

「去年の五月初旬にそちらで結っていただいたものです。これと同じやり方でお願いしたいのですが、可能ですか?」

 借りを作りたくないのか。

 表情を更に歪めて苦々しく言葉を発す。

 そんな仕草、態度、表情、口調の全てが愛しい。

 堪能するほど見惚れていたいが、仕事をせねば。


「担当者がわかればスケジュールと照合しますよ。覚えてらっしゃいますか?」


「お名前までは……確か、短髪で恰幅が良く、銀縁眼鏡をかけた、オジサマ?」


「ぷぷぷ、『おじさま』ね。その容姿ならば店長でしょう。だとすると、少々お時間をいただきたい。このアレンジは彼でないと無理ですし、一存では決め兼ねるんで」


「……わかりました、早急に確認をお願いします」


 彼女はそう言うと、これまでの塩対応から一変。

 迷うことなくぺこりと頭を下げた。

 やるべき事を正しく行えるその姿勢。

 余りの素直さが眩しすぎて、耐え切れない。

 食事もそこそこに、脱兎のごとく外へ出る。

 諸々、感極まる胸の内。


 うぅぅ、マジかよ……。

 情緒がぐちゃぐちゃだっつーの!

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