第27話 先手はきみか、夏見トウコ氏

 今年も残すところ、ひと月ちょっと。

 徐々に心が浮き立つ街並みとは裏腹に、どの巡回先も師走へ向けた忙しさとピリッとした緊張が生まれ始める。そういった雰囲気を各所で捉えながら適度な距離を保ち、業務に当たる。

 ―――と、去年の今頃も思っていたな。

 こんな想いは間違いで、勘違いで、一時の気の迷い。どう転んでも有り得ない妄想も、延々と続く馬鹿な考えも早いところ切り捨てて現実に戻れ。夢として現れるのは心の整理がなされつつある証拠。いい加減に落ち着きやがれ、三十路野郎!

 ―――とも。

 それが、今やどうだ。

 隣り合う丸椅子に腰掛け、寄り添ってメニュー表を眺め、常連客推薦品と店舗イチオシ品、そして自我との攻防戦をふたりで繰り広げる関係に落ち着いているではないか。


 作者様かみさま、マジでありがとうーーっ!

(礼を言うのが遅いわ、馬鹿たれ、ど阿呆が!)


 ◆ ◆ ◆


 週末デートは、朝が苦手なきみに合わせてランチタイムから始まる。送迎は主に俺。自宅マンション前に停車すると同時にきみが駆け出してくるのも、お約束となった。


「最近寒くなってるし、呼ぶまで自宅に居なよ」

「時間だからと下りたら、居合わせただけですよ」

 にこーっと微笑んでシートベルトを締めたその手を素早くとり、きゅっと握ってみる。

 これまでの拗らせが嘘のよう。


「いいや、違うな。先に出て待ってただろ、結構冷えてんじゃん」

「それは、慢性的な末端冷え性。逆に遅れそうになって慌てたから、体感は丁度良いんです。それよりも、行列ができる前に出発しないと」

 また風邪をひいたら一大事だからと心配してるのに、ヒトの気も知らないで困ったものだ。


「感染予防は欠かさずしてるし、ご飯も美味しい。九月決算(十一月提出期限)の件数はやや多いけれど就業時間内で片付くし、間もなく迎える年末調整の残業は中旬以降の一時間程度。睡眠時間もしっかり取れて土日も休めるから問題なし……五分程度を待つくらいは、ね」

「やっぱり、言った通りじゃんよ! 油断するなっていうのに、聞かないんだもんなー」

 身体の丈夫さを過信する者こそ、僅かな発熱で一気に体力を削がれる事を学んでいただきたい。


「その時はまた、お見舞いに来てくれるでしょう? それだけで忽ち完治するから、問題ないかと」

 赤信号で停車するタイミングで覗き込むように見つめる意地悪な瞳。うっかり吸い込まれそうになるが、ここはビシッとキメておかねばならない。

「自ら風邪を引こうとする者は、見舞いませんよ」


 すると、哀しそうに肩を落として正面に向き直りため息混じりに呟く。

「回復が遅れて一緒に居られる時間が削られても構わない、と仰る……寂しいなぁ、悲しいなぁ、やるせないなぁ」

「こらこら、話をすり替えるでないよ。用心しろっていう話でしょうが。改心するのはトウコで、俺は悪くない……筈!」

 どこまでも続きそうな反論大会に、くすくすっと洩れるささやかな声。カーステレオから流れるBGMとともに優しく耳に入る。

「今後は、前のめらずに玄関内で待機します」

「わかれば、よろしい」


 などと、車内でイチャコラトークを繰り広げる程に心の距離が近付いた俺達。躊躇いなく互いを信頼し遠慮なく想いを伝えあったあの日から時間を要さずともここまで言い合える仲になった。

 更に言えば、帰り際に名残惜しげにきゅっと抱き合うことも日常と化し、前回の退勤後お食事デートで初キスを交わすにまで至った。でへへ。

 人影疎らの屋外で、心地良い沈黙の隙にしれっと奪ったら「不意打ちは卑怯だ」とこっ酷く叱られましたが、仕切り直したときのあの照れ照れの表情ったら……。

 いや、もう、何だろうね。

 けがした罪悪感よりもよごしたい欲望が渦巻くよな。


 そんな疚しさを見透かしてか弟くん達からの風当たりは強烈で、休日の度に下宿先から帰省しては送迎の際にバチクソ痛い視線をこれでもかと浴びせてくるのである。しかし、ひと度〈姉を泣かせたクソ野郎〉という不名誉な称号を潔く受け入れた身としては、いつか認められる日を心待ちにしながらペコリと一方的な挨拶だけは欠かさぬよう努めている。

 聞いての通り、きみの敬語は相変わらずだが最早構わないと思っている。そんな些末なことに目くじらを立てる暇があったら底知れぬ魅力をこれでもかと見出したいし、何なら翻弄されたいしズブズブに溺れたい。

 というか、この口調がツボなんだよな。

 実家で慣れているにもかかわらず、きみから発せられると思うと愛おしさを感じずにはいられないとは……非常に感慨深い。

 うむうむ、と独り頷いて納得する程だ。

 そんな姿をキョトンと見つめるきみを乗せた俺の愛車は、ランチ会議で決定したきみお薦めの店へと向かい風を切る。


 ◆ ◆ ◆


 今日の行き先は、以前から職場で美味いと聞いていたラーメン屋とのこと。

 女子会には不向き、と断念して久しいらしい。

 回転率も早い上に映えもしないならば、当然か。

 しかし、きみは漸く足を運べると嬉しそうに声を弾ませて店舗の説明をしてくれる。

「これから向かう二号店は、一号店と違って醤油系のみというところ。“普通”と“焦がし”が有るらしく、先輩のオススメは“焦がし醤油”だそうですよ」


 おぉ、焦がしと聞いただけでヨダレが出そう。

 かつての生家にほど近い一号店は何度か足を運び味のバリエーションに富むのは知っていたが、こちらは一択なのか、ふむふむ楽しみだ。

 きみの自宅を出発して三十分強。隣街へと続く幹線道路をひた走り駐車場へ入ると、一号店同様に人気が高いようで既に数組が列を為していた。あとに続き店員に人数を告げてメニュー表を貰い、膝を突き合わせてどちらを選ぶかと悩み合う。

 口を尖らせながら悩む仕草、ふんわりと香るサラつや髪まとめ髪、堪らないこの距離感……。

 イイデスネ〜♡


「というか、ラーメンとかも有りなんだな」

 はたと気付いて返るのはきみからの前向き発言。

「私の体はスーパーフードにパンケーキ、タピオカドリンクだけで出来てる訳ではないですよ。ちなみに、お新香付きのお手頃定食も大好物です」

 それは良いことを聞いたぞ、ならば。

「次回は、開拓したてのお奨め店へご案内しよう」

「嬉しい! 楽しみにしてます」

 至近距離で向けてくる微笑みが天を仰ぐほどに可愛いんですが、このどさくさに紛れてちゅーしても良いですか、駄目ですね、はい。

 順番が回る前に大人しくメニューを決めます。


「ふむ、モチモチ系餃子も売りなのか」

「そこが悩みどころでして。ラーメン+一皿六個が入るか微妙な悲しき胃袋の許容量、というね」

「なるほど、そこまで拡張済みではないと」

「なので、半分こして欲しいなぁ、と」

「うーん……」

 わざと戸惑って見せれば、

「ダメ?」

 首を傾げて上目遣いでのお願い。

 これは果たして、天然なのかあざとさなのか。

 不意に、先日の営業で後輩が話したシチュエーションがきみの姿で鮮明に脳内変換されてしまい。


 んんん、下っ腹がきゅ〜んってなるぅっ!


 後輩とは別の箇所に有るセンサーが見事に発動しちまったようだ。

 因みに、本能とは違う類なのでですよ。

 おっと、胸中で弁明している場合ではないな。


「そりゃ、半分こするに決まってますがな!」

「良かった、ありがとう。ところで、クリスマスの予定について話したいことが有りまして……」

「へっ?」

「お次の二名様〜、奥の席へどうぞ〜」

「はーい。アキヒロさん、行きますよ?」


 待って、嘘だろ、マジで、またしても?

 鼻の下を伸ばしている隙に先手を打たれた!?

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