烏鵲堂のバレンタイン

バレンタインの贈り物

 カーテンを開けると、窓の外は真っ白に吹雪いていた。時折強く吹き下ろす鋭い風の音に思わず身体を震わせる。橙色に揺れる暖炉の炎を見れば、心が落ち着いた。手にはクリスタルグラスに注いだホットワイン。美しい深紅の液体が揺れている。


「吹雪は夜明けまで続くそうだ、不安か?」

 暖炉の前のソファに足を組んで座る男の顔を、柔らかい明かりが照らす。鋭い切れ長の瞼に、形の良い鼻梁に、そして肉厚な唇に濃い陰影が落ちて、それはまるで美しい彫刻のようだ。ライアンは思わずその顔に見とれてしまう。

「いや、君がいるから平気だ」

 ワイングラスを軽く合わせると、水晶の煌めきのような澄んだ音が響く。


「まるでこの世界に君と私、2人だけのような錯覚になる」

 ライアンの言葉に、隣でグラスを揺らしながら榊は笑う。

「その通りじゃないか?ここは雪に閉ざされた世界だ」

 榊はワインを飲み干し、サイドテーブルにグラスを置いた。

「長い夜の始まりだ」

 揺れる炎が榊の黒い瞳に映る。静かな情念を燃やしているかのようだ。

「英臣・・・」


「もう切るぞ」

 タブレットを通して聞こえる先ほどと真逆の冷ややかな声に、ライアンはそれまでうっとりと細めていた目を見開いた。

「待ってくれ、英臣。本題はこれからだ」

 ニューヨークにあるオフィスのデスクでライアンはタブレットにしがみつく。

「お前がどんな夢を見ようが勝手だが、胸の中にしまっておいてくれ」

 榊は呆れて天井を向いたまま目頭を押さえている。ライアンのロマンチックな夢に毎度登場させられるのは勘弁願いたい。

「雪山のロッジ、今度良い場所をみつくろっておこう」

 ライアンが満面の笑みを画面に向ける。この男は超セレブで、金を腐るほど持っている。夢を現実にする気だ。榊はため息をついた。


「ところで、週末はバレンタインデーだろう。日本では女性からチョコレートを贈るのが倣いだと聞くが、アメリカでは男性からプレゼントを贈るんだよ」

「恋人に、だろう」

 榊は付け加える。

「そうだ。それで、君に贈り物を届けたよ。当日までには届くはずだから、楽しみにしておいてくれ」

「おい待て、ライアン」

 恋人じゃない。しかし、榊にツッコミを入れる隙を与えず、ライアンは通信を切ってしまった。相変わらず勝手な男だ。


 約束通り、2月14日の午前中にライアンからのバレンタインギフトが榊の自宅マンションに届いた。大きな箱だ。中身を確認すると、目も眩むほどの鮮やかな赤いバラの花束だった。ご丁寧にプリザートフラワーなので長持ちする。気持ちはありがたいが、これを部屋に置いておきたくない。榊はバラをバーGOLD HEARTへ持って行くことにした。


 榊はスマホのスケジュールを確認する。弟の高谷から今日は書店のバイトに入っているから、仕事帰りに烏鵲堂に寄って欲しいと連絡が入っていた。

 夕刻、書店の営業が終わる頃に烏鵲堂に立ち寄った。2階のカフェスペースでは曹瑛が片付けの最中だ。見れば、テーブルに紙袋が詰まれている。

「お、結構きてるな。こいつはお返しが大変だ」

 曹瑛は女性客の受けがいい。常連客も多いので、こうして義理チョコが山と積まれることは予測できていた。


「なんだこれは」

 真顔で尋ねる曹瑛に榊は面食らった。曹瑛はこれまでバレンタインデーに縁が全くなかったらしい。

「バレンタインデーだよ。日本では女から男へチョコレートを渡して愛を告げるイベントだ」

 曹瑛は怪訝な顔をしている。

「日本では特に義理チョコというのがあってな」

 榊は義理チョコについて説明をした。曹瑛の顔が険しく曇っていく。

「好きでもないのに無駄なことだ」

 全く同意見だ。榊も今週の訪問した客先ほぼ全ての女性社員から義理チョコを貰っている。来月のホワイトデーが憂鬱だ。


「あ、榊さんお待たせ」

 高谷が階段を上がってきた。書店の売り上げを曹瑛に報告し、机に積まれたチョコの山に驚いた。

「やっぱり曹瑛さんモテるね、お返しが大変だね」

「全く、面倒な文化だな」

 曹瑛はどうでも良さそうにあくびをする。


「あの、榊さん、これ俺から」

 恥じらいながら高谷が黒い紙袋を手渡す。榊は驚いてそれを受け取る。まさか弟からバレンタインの贈り物を貰うとは思っていなかった。

「あ、ああ。ありがとう」

「開けてみてくれる?」

 長細い包みを開封すると、上質なジャガードシルクの紺色のタイだ。ブランド品で、学生が買うにはなかなかいい値段のはずだ。

「良いデザインだ、ありがとう結紀」

 榊は高谷に微笑む。榊の喜ぶ顔を見て、高谷は嬉しそうだ。


「あの、ライアンからも何か届いた?」

 高谷が控えめに尋ねる。ライアンは榊を狙うライバルだ、気になっているのだろう。

「赤いバラの花だ。全くキザな奴だよ。俺の部屋に置いても仕方がないから新宿の店に飾ることにする」

 プレゼントがかぶっていないことに高谷はホッとしたようだった。荷物を取りにいく、と1階へ降りていく。



 曹瑛がおもむろにポケットからタイを取り出した。

「ライアンから届いた。もしかしてこれもバレンタインか」

「そうだな、お前にもタイか」

 曹瑛は榊が高谷に気を遣ったことに気が付いた。花の他にタイも贈り物の中にあったのだ。

「あいつには悪いが、お蔵入りだな」

 首を絞めるもので束縛を暗示することもあり、ライアンからプレゼントされたネクタイを使う気にはなれなかった。


「お前のはどんなデザインだ?」

 曹瑛の手にしたタイを見れば、小さなペンギンが並ぶ遊び心に溢れたデザインだ。

「あいつは気に食わないが、物に罪はない」

 曹瑛はペンギン柄のタイを気に入ったようだ。普段、店でスーツを着ることはない。裏の仕事でこれをつけるのだろうか。それを想像すると榊はおかしくなり思わず吹き出した。

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