サマータイムブルースー魅惑の青い夏

 白い大理石に囲まれたプールに水しぶきが上がる。底に敷き詰められたターコイズブルーのタイルが真夏の太陽を反射して水中で輝いている。マイアミのギラつく太陽に肌を焼かれながらライアンはヤシの木陰に置いた白い長椅子に腰掛けて、プールを泳ぐ愛しい男の姿を眺めている。鍛えられた筋肉が躍動する姿は美しい。いつまでも見ていたいと思う。


 サイドテーブルにグラスが置かれた。見上げると、サーフスーツ姿の曹瑛が口元に穏やかな笑みを浮かべている。

「鉄観音茶を使ったフルーツティーだ。よく冷やしてある」

 涼やかな冷茶に細かく刻んだベリー、リンゴ、キウイ、カットしたオレンジがグラスのふちにかけてある。中国茶をトロピカルジュースとしてアレンジしたドリンクだ。

 口に含めば、鉄観音の芳醇な香りにフルーツの酸味が相まって爽やかな飲み心地だ。

「とても美味しい」

 心地良い涼感に、ライアンは微笑みを返す。


 先ほどまでプールで泳いでいた榊が水から上がってきた。濡れた前髪をかき上げる。健康的な褐色の滑らかな肌に水が流れ落ちる姿からライアンは目が離せない。逞しい胸筋に引き締まった腰は男らしいシルエットを見せている。

 ストイックな榊はプールで戯れるより、身体を動かしたいと競泳用のスイムウェアを着用している。その面積の少ない布地は彼の肉体美を見事に引き立てていた。

 ほぼ全身を覆い隠すサーフスーツ姿の曹瑛と対照的だ。


「日焼け止めは塗ったのか、ライアン」

「ああ、ここに来た時に一度」

 ライアンは自分の肌に指を触れる。

「マイアミの太陽は強烈だ、もう一度塗ってやろう」

「頼むよ、英臣」

 ライアンの目が輝く。わかった、と榊はテーブルの日焼け止めを手に取った。


 ライアンの白い肌を榊の指が滑るようになぞる。

「お前の肌にダメージがあるといけない。念入りに塗っておかないとな」

 まるで愛撫のような榊の優しい指の動きに、ライアンは肌が火照るのを感じて恍惚の表情を浮かべる。


「俺はもう一泳ぎするが、お前もどうだ」

 榊が立ち上がる。ライアンはその誘いに乗り、水に入ることにした。飛沫を跳ね上げて二人プールに飛び込む。榊が戯れにライアンに水を掛ける。

「英臣、よせ」

 そう言いながらも、ライアンは嬉しそうだ。仕返しとばかりにライアンも両手で水を掬い、榊にかける。

「やったな」

 まるで無邪気な子供のように、水の掛け合いが始まる。ライアンが水を掻いて逃げ出せば、榊がそれを追う。笑い声がプールサイドに響いた。


「はっ」

 ふくらはぎに小さな電撃が走った。足が痙攣している。水の中に潜るライアンを見て、遊んでいるのだろうと思っていた榊は、ようやく様子がおかしいことに気がついた。

「ライアン」

 叫びながらライアンの身体を抱き上げる。気絶しているのか、ライアンはぐったりしている。急ぎプールサイドに引き上げ、慎重にその身体を横たえる。


「どうした」

 只ならぬ様子に曹瑛も慌てて駆け寄る。仰向けで目を閉じたままのライアンを見て蒼白になった。

「お前がついていながら、どういうことだ」

 低い声で曹瑛が榊を責める。その声には怒りが込められていた。

「俺が目を離したばかりに」

 榊は跪き、拳を握りしめてライアンを見つめながら苦渋の表情を浮かべている。


「そんなことよりも蘇生だ」

 曹瑛も片膝をつき、ライアンに顔を近づける。

「待て」

 榊が曹瑛の腕を掴んだ。鋭い眼光で曹瑛を睨み付けている。

「ここは俺が」

 曹瑛は榊の腕を振り払い、その目を真っ直ぐに睨む。


「俺がライアンを蘇生させる。一刻を争う。邪魔をするな」

「榊、お前がライアンから目を離し、溺れさせたことに他ならない。お前に蘇生させる資格はない」

 曹瑛の言葉に、榊は立ち上がった。曹瑛もゆらりと立ち上がる。

「やるのは俺だ」

「いや、俺が」

「お前は引っ込んでいろ」

「お前こそ、そこをどけ」

 曹瑛と榊は気絶したままのライアンを挟んで火花を散らす。


「ならば、勝負だ。あのプールは全長20メートルある。5回往復して先に戻ってきた方がライアンを蘇生する権利を得る」

 榊がプールを指さす。

「いいだろう、お前の持ちかけた勝負だ。吠え面をかくなよ榊」

 曹瑛が頷く。二人は睨み合いながらプールサイドに並び立つ。榊の合図で水に飛び込んだ。水底を滑るような潜水の後、浮上した二人はダイナミックなフォームで水を掻いて泳ぎ始めた。壁を蹴るターンのタイミングも同時だ。


「お前にはライアンを救えない、なぜならお前は俺に勝てない」

 水から顔を出した曹瑛が榊を挑発する。

「俺は必ず奴を救う。そのためにお前に勝つ」

 榊はスピードを上げる。曹瑛もそれに続いた。真夏の太陽はプールサイドに照りつける。


 ヤシの木を海風が揺らしている。ライアンの顔に影がさした。逆光で誰なのか分からない。呼吸を感じるほどに唇が迫ってくる。勝負に勝ったのはどちらだ。いや、もうどちらでもいい・・・




「・・・そこで目が覚めたんだよ」

 タブレット画面の向こうにいるライアンは残念そうな表情で、唇を指で撫でている。ライアンの甘い夢を長々と聞かされた榊は精神的ダメージを受け、烏鵲堂のテーブルに突っ伏している。

 曹瑛はライアンが溺れて2人が水泳勝負を始めたあたりからあきれ果てて厨房へ引っ込んでいた。

 猿ヶ島のグランピング施設のモニター報告を送信した榊にライアンがビデオチャットを持ちかけてきた。ビジネスの話かとやむなく通信を始めたところ、延々続く夢の話が始まり、その甘さに砂を吐く羽目になった。


「勝負の行方が気になるから、もう一眠りしよう」

 ライアンは寝起きらしい。楽しい夢を見てどうしてもすぐさまチャットをしたくなったようだ。

「猿ヶ島の施設は素晴らしいだろう。君たちも楽しんでくれたみたいで嬉しいよ」

 島での様子を知っている様な口ぶりに、榊は引っかかった。


「英臣は黒のスイムウェアがとても似合う。君の引き締まった肉体を演出するのはそのパンツしかない。曹瑛のサーフスーツにも魅了されたよ。肌を覆い隠しているが、身体のラインが美しく出ている。君たちと一緒にフロリダのシエスタキービーチで泳ぎたい」

 悶絶する榊の様子をニヤニヤ笑いながら見ていた曹瑛も一気に血の毛が引いている。なぜ自分の水着姿を克明に知っているのか。


 榊の前で鉄観音ベースのアイスピーチティーを飲む高谷が唇を尖らせて二人から目を逸らした。榊と曹瑛は目を見開いて高谷を見つめる。

「まさか結紀」「お前、ライアンに」

「猿ヶ島の写真、送ったよ」

 高谷はふいと顔を背けた。ジェットスキーに密着して二人乗りしていた榊と曹瑛にやきもちを焼いた高谷のささやかな復讐だった。どんな写真がライアンの元に渡ったのか考えたくない。榊と曹瑛は頭を抱えた。


「でも、勝負はどっちが勝ったんだろうね」

「やめろ、聞きたくない」

 ライアンの話を隣で聞いていた伊織の言葉に、榊と曹瑛が同時に突っ込んだ。

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