烏鵲堂店長の意外な趣味
地下鉄神保町駅の階段を出て、すずらん通りを歩く。辺りは夕闇に包まれ、街灯が点り始めていた。伊織は細い路地を抜けて烏鵲堂の裏口から倉庫を抜けて店内へ入る。中国書籍の並ぶ書棚の間を進み、階段を上がればカフェスペースがある。
曹瑛は窓際で足を組んで座り、手元に集中している。伊織の足音に顔を上げるが、また目線を落とした。
「瑛さん、何やってるの」
伊織が覗き込むと、木の枝を十五センチほどの長さに切ったものと、スローイングナイフを手にしている。いつも敵に向かって投げる小型のナイフだ。ナイフで器用に木を削っている。
一区切りついたのか、席を立ってグラスを二つ用意して湯を注ぎ、黄山毛峰を入れる。茶葉がふわりと浮かんでは沈む。優しい緑茶の香りが漂ってきた。
「ありがとう」
伊織は椅子に座り、温かい茶を飲みながら作業を再開した曹瑛の手元を興味深く見つめる。曹瑛はナイフで器用に木を削っていく。
「木彫り細工か、何を作ってるの」
「さあ、何だろうな。彫りながら木目を見て決める」
そう言って、曹瑛はまた無言で木を彫り始めた。曹瑛はナイフを得意武器とするが、まさかこんな趣味があるとは。らしいといえばらしい気がする。
ふと、カウンターの端を見ればいつの間に作ったのだろう、いくつか完成品が並んでいるのを見つけた。伊織は席を立ち、近くで眺める。
「瑛さんにこんな趣味があるとはね」
そこにはタカやフクロウ、鷲などの鳥が並んでいた。十五センチほどの大きさの鳥たちは小さくも見事に特徴を捉えた造形で、羽の様子まで繊細に表現されている。その見事さに伊織は思わず感嘆のため息をつく。
「手持ち無沙汰に始めた手癖のようなものだ」
店が暇な時間を見つけてちまちま彫っているらしい。
階段を上がってくる二人の足音が聞こえてきた。
「よう、待たせたな」
「こんばんは」
榊と高谷だ。曹瑛はナイフを持つ手を止めた。今日はこの後、四人でもつ鍋を食べに行くことにしている。
「曹瑛さん、最近よく木彫り細工を作ってるよね」
高谷は一階書店のアルバイトをしており、曹瑛が閉店後にナイフを手にしている様子を見たことがあった。
「ほう、お前にそんな趣味があるとはな」
榊も驚いている。
「高谷」
曹瑛はナイフを胸元にしまい、棚の後ろから完成した木彫りの置物を高谷に手渡す。
「わ、覚えててくれたんだ」
前足を揃えて座る猫だ。目を細めた顔は愛嬌がある。高谷は思わず微笑んだ。
「ありがとう、曹瑛さん」
木彫り細工を作る曹瑛に、何か作って欲しいと頼んでいたという。作品のチョイスはおまかせだった。
喜ぶ高谷を見て、曹瑛が口の端を吊り上げて笑う。
「似ているな」
「どういうこと」
高谷は不思議そうな顔で曹瑛を見上げる。
「お前は猫だな」
曹瑛は高谷を動物にイメージして、猫を選んだようだ。
「えっ、俺が猫」
ぱっちりとした目をさらに丸くした高谷を見て伊織は吹き出した。
「うん、わかる」
「伊織にもやる」
そう言って曹瑛が伊織に手渡したのはお座りをする柴犬だった。目を細めた素朴な顔立ちは見ているとほっこりする。
「なるほどな」
榊が腕組をしながら頷いている。
「あー、わかる」
手の上の柴犬と伊織の顔を見比べて高谷も神妙な顔で頷く。
「榊、お前はこれだ」
曹瑛は榊にも木彫り細工を手渡す。
「榊さんには何だろう」
伊織と高谷が手の中を覗き込む。
「・・・亀」
「おい、なんで猫と柴犬ときて俺には亀なんだ」
榊は曹瑛に向き直る。
「亀しか思い浮かばなかった。根暗な男のペットにぴったりだ」
曹瑛はニヤニヤしている。榊のペットは亀の明美だ。
「木彫り細工だって、立派に根暗な趣味だぞ」
榊は曹瑛に人差し指を突きつける。
「なんだと、貴様」
曹瑛は切れ長の目をすうと細めた。根暗に根暗と言われて怒りを露わにしている。
「気に入らないなら返せ」
しょうもない言い争いで一触即発の雰囲気に、伊織と高谷は呆れている。
「・・・いや、もらっておく」
珍しく榊がすんなり引いた。亀を見つめてポケットにしまい込む。曹瑛は肩透かしを食らって拍子抜けしたようだ。
「榊さん、きっと気に入ってるんだ」
高谷が伊織に小声で耳打ちする。伊織は小さく吹き出した。
烏鵲堂を出て、もつ鍋の店へ向かう。この店の肉は新鮮で、ボリュームも申し分ない。榊は一杯目から黒霧島を注文していた。高谷と伊織はハイボール、曹瑛は烏龍茶だ。鍋が出来上がるまでに馬刺しをつつく。
「馬の刺身か」
曹瑛は馬の刺身があるということに心底驚いていた。
「馬刺しは熊本県が本場だよ。この店も熊本から直送した肉を使っているみたいだね。あっさりして食べやすいよ」
伊織の勧めに恐る恐る食べてみれば、臭みは全くなくほんのり甘みを感じる。
「これは美味い」
一口食べると気に入ったらしく、もう一皿追加で注文している。
もつ鍋が仕上がった。プリプリの新鮮なもつにとたっぷりのにらをピリ辛の味噌だれで食べる。
「酒が進むな」
榊は上機嫌で鍋の合間にレバ刺しをつまみながら焼酎を空ける。
「これは何だ」
曹瑛がメニューを指さしながら伊織に訊ねる。ハツとセンマイのタタキだ。日本語が堪能でも、このような肉料理独特な言葉は初耳のようだった。
「ハツは心臓、センマイは胃だね」
「日本人は何でも刺身で食べるんだな」
魚介の刺身にはずいぶん慣れた曹瑛も生肉は初体験のようで、珍しがっていた。
数日後、伊織が烏鵲堂に立ち寄ると木彫り細工のラインナップが増えていた。ゾウや虎、狼、鹿、馬と動物バージョンが充実している。
「瑛さん、すごいねえ。・・・これは何」
ひとつ、何か分からないものがあった。丸い目を見開き、タラコ唇で足の短いつるんとした生き物だ。榊も背後から覗き込んで首を傾げている。
「これは、見覚えがあるな・・・そうだ、あいつの部屋着の」
「あ、あの変な生き物」
伊織と榊は顔を見合わせた。曹瑛が密かに気に入っている交通カードのペンギンに似て非なるキャラクターだ。パチモンペンギンの黄色いキャラTシャツを着た曹瑛の姿を思い出し、榊は思わず吹き出した。
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