7月3日に生まれて

 閑静なポプラ並木通りの高級住宅街。白い大きな庭付き邸宅が立ち並ぶニューヨークロングアイランド。夕闇迫るハンター邸には大勢の客人が集まっていた。常緑樹に囲まれた芝生の庭にパーティ会場が設置されていた。

 テーブルには豪勢なアメリカンビュッフェが並び、煌びやかなカクテルドレスの美女がトレイに載せたシャンパンを手に人の波をすり抜けていく。


 ニューヨークを拠点とするハンターファミリーのボス、ロイ・ハンターは一代で組織を大きくした偉大な人物だった。今日は彼の息子であるライアンの誕生パーティだ。ライアンは表向きはコンサル会社グローバルフォース社のCEOとして知られているが、将来的にはロイの後継者となる人間だ。

 今日のパーティはロイが主催し、組織の幹部や各界の重鎮にライアンを紹介する目的もあった。

 彼はその人柄から広い人脈を築いてきた。それは大いなる遺産のひとつだ。


「おめでとう、ロイ。息子さんを立派に育てたじゃないか」

 長身に黒いスーツを着こなし、艶やかなブロンドを後ろに流したライアンの姿は知的で凜々しく、ロイの後継者に相応しい人物だった。ロイは妻の肩を抱きながら、ライアンを眺めて誇らしげに微笑む。

 皆笑顔でグラスを合わせ、マンハッタンの老舗レストランの筆頭シェフが作る料理に舌鼓を打つ。目の前で調理される鉄板料理は会場で一番の人気だ。羊肉のステーキが切り分けられ、皿に盛り付けられる。日本の寿司職人も腕を振るっていた。


 白い邸宅の背後に花火が上がる。高々と上がる花火は夜空を華やかに染め上げた。

「皆さん、今日は私の息子、ライアンのバースデーを共に祝っていただき、感謝する」

 会場から一斉に拍手と口笛が鳴る。

「ライアンは自慢の息子だ。いずれ私の後継者に考えている。これからも彼を支えてやって欲しい。ハッピーバースディ、ライアン」

 また大きな喝采が起きた。皆家族と抱き合い、祝福のキスを交わした。ライアンも何人もの知り合いとグラスを鳴らし、ハグをした。


「私たちはとても幸せね、ロイ」

 ロイの妻、エレンは嬉しそうに目を細める。美しいブロンドが肩に揺れている。

「そうだな、願わくばライアンが良い妻を見つけてくれると安心だが」

「ロイ、それは言わない約束でしょう。ライアンが幸せならそれで良いじゃない」

「そうだな」

 ロイはサマーブルーのドレス姿のエレンを抱き寄せ、頬に口づけをした。


 パーティの終わりに、大きなバースデーケーキが切り分けられた。テーブルにはコーヒーと紅茶、日本茶が並ぶ。ライアンは自分を祝う賑やかな空気の中、笑顔のその瞳に微かな憂いを浮かべていた。パーティ会場の熱気はまだまだ静まる気配はない。

 

 ライアンは一人会場を抜け出し、邸宅の階段を上る。バルコニーに出れば、喧噪が少し遠くなりほっと一息つく。

 夜空には星が煌めいていた。頭上を飛ぶ飛行機のライトを見上げ、遠く日本の地で過ごす最愛の男の顔を思い浮かべる。


 今ここに彼がいたならば、どんな豪勢な料理や美酒もいらない。目を閉じれば、瞼に浮かぶあの鋭い眼光、厚めのセクシーな唇。心に切なさが過ぎる。会場でずいぶんシャンパンを飲んだが、この気持ちを紛らわせることはできなかった。

 ライアンは深いため息をつく。この日を東京で過ごせたらどんなに幸せだろうか。


「すまない、遅刻してしまったな」

 聞き慣れた声に、ライアンは振り返る。そこにはここに居るはずの無い人物が立っていた。シャドウストライプのスーツに、グレーのシャツ、彼なりの祝いの席での嗜みか、普段つけないワインレッドのタイを締めている。

「誕生日だというのに、浮かない顔をしているな」

 そう言って、榊英臣はシニカルな笑みを浮かべる。


「まさか、これは夢じゃないのか」

 ライアンは目の前に立つ榊を呆然と見つめている。

「そう思うなら、確かめるか」

 そう言いながら榊はライアンに歩み寄り、頬に手を添えた。ライアンはその大きな手に自分の手を重ねた。骨張った逞しい手の温もりに、思わず目を閉じればブルガリとフィリップモリスが微かに香る。

「信じられないよ、どうして」

「ビジネスパートナーのバースデーを忘れる訳はないだろう。仕事を終えてすぐに羽田に車を飛ばしたよ」

 そして、プレゼントだと榊は紙袋を手渡す。


「嬉しいよ、君に会えただけでも幸せなのに、プレゼントなんて」

 ライアンは満面の笑みを浮かべる。

「開けていいかな」

「ああ」

 上品な和紙の包み紙を解き、箱を開ければ上質な生地の着物だった。


「これは浴衣だ。これからの時期にいい。お前に似合う色は何か、ずいぶん悩んだよ」

 身長や体格を伝えてオーダーメイドしたという。黒い生地には小さな白い十文字が入っており、品の良いダークグレーに見えた。青い刺繍の入った白い帯と、紺色の鼻緒の下駄もセットになっている。

「おお、ファンタスティック!早く着てみたいよ」


 メイドがトレイに載せたケーキとコーヒーを運んでテーブルに置いていった。

「2人だけで誕生日を祝いたい」

「嬉しいよ、英臣」

 榊とテーブル越しに向かい合う。目の前に最愛の男がいる。今日は今までに最高の誕生日だ。ライアンは天上の神に感謝した。

 榊がフォークでケーキをひとかけらすくい取り、ライアンに差し出した。

「ひ、英臣、君は普段こんなこと・・・」

 ライアンは恥じらいで目の前で優しく微笑む榊と目を合わせられない。いつまでも見つめていたいというのに。

「今日は特別な日だろう」

 榊の言葉に、ライアンは頬を赤らめて口を開いた。榊のフォークからケーキを食べる。これまでにない甘い味がした。


「ここ、ついてるぞ」

 榊がライアンの頬についたクリームを指ですくい取る。舌を出してその指をペロリと舐めた。

「まだついていないだろうか」

 ライアンは目を潤ませ、榊に身を寄せる。榊は仕方のない奴だと小さく笑う。ライアンの頬を長い指で傾け、その頬に形の良い唇が迫る。熱い吐息が頬にかかった。




「・・・そこで目が覚めたんだよ」

 ニューヨークは今、早朝5時だ。タブレットの向こうにいるライアンは本当に寝起きのようで、裸にワインレッドのシーツを巻き付け乱れた髪をかき上げる。ライアンはさも残念そうに艶めかしいため息をつく。

「榊さん、しっかり」

 ライアンの砂を吐くほど甘い妄想に、気絶しそうな榊を高谷が揺さぶる。

「まったく、余所でやってくれ」

 それを見た曹瑛が気付けの茶を淹れながら苦言を呈す。閉店後の烏鵲堂に立ち寄った榊はライアンからのビデオチャットを受信し、突然始まっためくるめく甘い妄想を聞かされ続けてとうとう白目を剥いたのだった。


「よくもそんな勝手な妄想が思い浮かぶよね、ライアン」

 兄への抑圧された妄執を極めたスケッチは棚に上げて高谷もあきれている。

「まだ日本も7月3日だろう、今日は私の誕生日なんだよ」

「ライアン、おめでとう」「生日快乐」

 高谷と、伊織が画面に顔を覗かせて手を振る。曹瑛も遠くから小声で呟く。茶を飲んで落ち着いた榊も棒読みでおめでとうを伝えた。

「ありがとう、今日は最高のバースデーだ。君たちの元気な顔を見られて嬉しいよ」

 ライアンは相当嬉しかったのか、涙ぐみながら通信を終了した。


 ライアンはベッドから起き上がり、顔を洗う。頬に触れた夢の中の榊の手の温かさに思わず顔が緩む。スーツを身につければ気分がビジネスモードに切り替わった。コーヒーを片手にニューヨークタイムズに目を通し、マンションを出た。

 オフィスにつくと、秘書のステイシーが大きな赤いバラの花束を持って来た。サプライズで準備していたようだ。

「ライアンおめでとう、素敵な一年を」

「ありがとう」

 スタッフの祝福が嬉しい。しかし、烏鵲堂に集う皆を思うと少し寂しくもあった。


「ライアン、これ日本からよ」

 そう言ってデスクにステイシーが持って来たのは、上品な和紙の包みだった。ライアンは目を見開く。包装を解き、箱を開けると黒い上質な着物だった。

「ワオ!それ、ジャパニーズキモノね」

「そうだよ」

「良い色ね、きっと似合うわ」

「日本の大切な友人からなんだ、とても嬉しいよ」

 青い刺繍の白い帯に、紺色の鼻緒のついた下駄も入っていた。ライアンは幸せそうな顔で微笑んだ。

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