プレゼントの下調べ

 書店の営業時間が終わる頃、刑部千弥が神妙な顔をして烏鵲堂にやってきた。

「千弥さん、こんばんは」

 カフェスペースで記事執筆ための調べ物をしていた伊織が顔を上げる。千弥は店内をきょろきょろと見回す。


「孫景さんと待ち合わせ?」

 孫景は千弥の片思いの相手だ。一度、気持ちを伝えたが体よく断られてしまった。裏社会で生きる孫景には危険がつきまとう。特定の女性と付き合う気はないという。それでも千弥はまだ諦めていない。

「ううん、曹瑛さんはいるかな」

 千弥が曹瑛に用があるとは、珍しいこともあるものだ。


「厨房で仕込みをしていると思うけど、呼んでこようか」

「いいえ、待つわ」

 仕事帰りなのだろう、ライトグレーのコートに白いニット、黒いパンツから足首を覗かせている。見た目はスレンダーな美女だ。千弥はトランスジェンダーで、現在の職場であるグローバルフォース社はマイノリティに対して理解があるという。

 千弥はしなやかな仕草で伊織の前に座る。書店の片付けを終えた高谷も2階へ上がってきた。


「あれ、千弥さん、珍しいね。孫景さんを待ってるの?」

 千弥は頬を赤くして首を振る。曹瑛が茶壺を持ってテーブルにやってきた。

「木柵鉄観音だ」

 流れるような手技で4人分の茶を淹れる。

「木柵鉄観音は台湾の茶葉だ。中国福建省南部の安渓から台湾の木柵という地に移植された。以後、焙煎仕上げの製法を守って作られている。果実のような甘い香りが特徴だ」

 深みのある橙色の茶は口に含むと芳醇でしっかりとした味わいがある。遅れて果実のような甘みが香る。


「うん、とても良い香り」

 ほっこりと身体が温まり、伊織は幸せそうな表情を浮かべる。曹瑛は手早く2杯目を注ぐ。

「俺に何か用か」

 おもむろに曹瑛が千弥に話しかける。千弥は顔を赤くして唇を引き結んでいる。

「ええ、あの・・・孫さんのことなの」

 やっぱり、と伊織と高谷は顔を見合わせた。


「曹瑛さん、孫さんと古い付き合いなんでしょう。彼にプレゼントをしたいんだけど、何がいいのか分からなくて」

「そんなことは俺にも分からない」

 曹瑛の言葉にはとりつく島もない。千弥の顔が曇る。

「瑛さん、何か孫景さんの好きなものとか知らないの」

 伊織が助け船を出す。

「知らない」

 全く話が続かない。


「孫景さん、車の運転が得意だよね」

 得意、と言ったのは高谷の気遣いだ。孫景のめちゃくちゃな運転には毎度吐く寸前まで酔わされている。

「うん、クリスマスにはキーケースをあげたのよ」

「そうなんだ。いつの間に、知らなかった」

 高谷の言葉に千弥はまた顔を赤くする。恥じらうさまは恋する乙女そのものだ。

「孫さん、一緒にいても物欲が無くて、何が好きなのか分からないわ」

 千弥は本気で悩んでいる。


「この間、サングラスを尻にひいたと言っていた」

「それだ!」

 曹瑛の何気ない一言に、伊織と高谷は同時に叫ぶ。曹瑛はその勢いに引いている。

「瑛さんいい情報だったよ、良かったね千弥さん」

 千弥は喜び、笑顔で帰っていった。


―同日の夜

 トラックのハンドルを握る孫景を、助手席の劉玲がにやにやした顔で眺めている。

「なんだよ、気持ち悪いな」

「孫景はん、バレンタインはどうするんや」

 孫景は眉根を寄せる。そう言えば、世の中にはそんなイベントがあった気がする。


「千弥ちゃんには何がええかな」

 劉玲は他人の恋路を楽しんでいる。孫景はため息をついた。一度は断ったものの、千弥とは友人として付き合っている。

 彼女が自分を好いてくれるのは嬉しくないわけではないが、自分は裏社会でしか生きられない。一緒になることで彼女を不幸にすることを思えば、友人のままつかず離れずの付き合いが一番良いと考えていた。


「紅包でも渡すかな」

 紅包とは中国のご祝儀にあたる。つまりは現金だ。中国ではバレンタインを情人節といい、男性から女性へプレゼントを用意する。そのうちの一つに現金がある。

「孫景はんのアホ!そんなんロマンがちっとも無いやんか」

 劉玲が孫景にツッコミを入れる。

「ロマンてなんだよ、金があれば好きな物買えるだろ」

 そうは言ったものの、千弥が現金をもらって喜ぶ顔が想像できなかった。

「千弥ちゃんが喜ぶもん、真面目に考えとき」

 劉玲に宿題を出されてしまった。孫景は頭を抱える。


 女性がどんなものを欲しがるのか参考にと、南京で医師をしている妹の香月に聞いてみた。

「そうだね、新しいタブレットがいいな。シャネルの新作の時計もいいよね。それから・・・」

 ダメだ、物欲の塊だった。香月と付き合う男は大変だろう。孫景は思い悩む。


 そしてバレンタインデー当日を迎えた。千弥に誘われて、新橋のイタリアンバルで落ち合う。生ハムとトマトのサラダにポークのスペアリブ、海老のアヒージョがテーブルに運ばれてきた。赤ワインで乾杯する。

「渡したいものがあるの」

 食事を終え、デザートのりんごパイをつつきながら千弥が切り出した。ラッピングされた紙袋を手渡される。


「開けてみて」

「お、おう」

 孫景はリボンを解き、箱を開けた。中身は濃いブラウンのティアドロップサングラスだった。

「ちょうど欲しかったんだ。ありがとう」

 孫景の喜ぶ顔を見て千弥は嬉しそうに微笑んでいる。かけてみて、とせがんだ。

「よく似合うわ」

「これなら運転のときにもいい。気に入ったよ」

「うん、今度はお尻に引かないでね」

「何でそれ知ってるんだ?」

 二人は顔を見合わせて笑う。


「俺からもあるんだ」

 孫景は赤い封筒をテーブルに置いた。

「え?」

 思わぬお返しに千弥は目を丸くする。

「中国では男からプレゼントすることになっている。ホワイトデーなんて無いからな、今渡しておくよ」

 千弥は赤い封筒を手にした。金色の文字で祝いの言葉が印刷された中国のご祝儀袋だ。中身はテーマパークのペアチケットだった。


「その、キャラクターをバッグにつけてるだろ。きっと好きなんだろうと思ってな。いろいろ考えたけど思いつかなくて、興味が無かったら別に使わなくても・・・」

「ありがとう、嬉しい」

 千弥はチケットを胸に抱いて目を伏せている。

「忙しいだろ、時間があるときに声かけてくれよ。合わせるから」

 孫景は照れ隠しに頭をかきながら視線を逸らす。

「明日行きたい」

「お、おう」

 その場で日程が決まった。千弥に何を渡したのかからかわれるのが面倒なので、劉玲には黙っておこうと孫景は心に決めた。

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