超・危険なハロウィンナイト・後日談 榊のマル秘作戦

 ―熱海の旅館にて


 頬を撫でる冷気と、鼻腔をくすぐる微かなマルボロの匂いに榊は目を覚ました。顔を上げると、そっと暗い部屋を出て行く曹瑛の姿が目に入る。枕元に置いたオクトローマの文字盤を見れば、朝6時10分。昨夜寝る前にチェックしたところによれば、朝風呂は6時から開いている。


 出遅れるわけにはいかない。榊は慌てて上体を起こす。寝乱れた浴衣を整え、帯を締め直してバスタオルを手にする。部屋を抜け出そうとして、ふと振り返る。他の面子はまだ眠りこけている。おそるおそるふとんからのぞくブロンドに目をやった。さすがのライアンも昨日の深酒が効いたのか、大人しく寝息を立てている。榊はホッと息をついた。

 ゲイであることを公言し熱烈なモーションをかけてくるライアンと一緒では、温泉に入るにも心穏やかではない。温泉旅館の朝風呂という特別な時間を大事にしたい。


 自分がいないことを察知すれば、きっとライアンは展望露天風呂へやってくるだろう。時間稼ぎが必要だ。考えろ、何か策はあるはずだ。榊は眉根に皺を寄せ、頭をフル回転させて考える。ふと、妙案を思いついた。

 音を立てないよう押し入れを開け、予備の毛布を三枚取り出した。それを自分が寝ていたふとんの下に押し込める。

「おはよ、何やってるの、榊さん」

 隣のふとんで寝ていた高谷が気配に気がついたらしく、目をこすりながら半身を起こす。榊は思わずしっと人差し指を唇に当てる。その剣幕に、寝ぼけ眼の高谷も目が覚めたようだ。


「俺は今から朝風呂に行く。それをライアンに気付かれたくない。俺がまだここに寝ているように偽装している」

 榊は至って真剣だ。高谷は真剣にふとんの下に毛布を詰める兄を気の毒そうな目で見守っている。兄は普段クールなインテリなのだが、切羽詰まるとこういうことを始めるのだ。

「よし、これでいい」

 榊は満足したようだが、ただの寸胴な塊でしかない。いくらなんでもこれではすぐにバレてしまうだろう。


「榊さんダメだよ、これじゃすぐにバレる」

 高谷がふとんの中に詰めた毛布の形を整え始めた。頭、肩、背中のライン、足を伸ばした感じまで、体格の良い成人男性のフォルムに仕上げていく。榊はその様は感心しながら見守る。高谷は大学では情報工学を専攻しているが、昔からスケッチブックを手放さずいつも絵を描いていたほどで、その美的センスは目を見張るものがある。


「すごいな、本当にここに人が寝ているようだ」

 榊は思わず唸る。

「いや、まだ納得いかないな。もっとこう・・・」

「結紀、もう十分だぞ」

 高谷はこだわりがあるらしく、腰から尻にかけてのラインを何度も手直ししている。尻のラインにリアルに陰影をつけようとするので、榊はいたたまれなくなって止めた。


「恩に着る」

「うん、安心して朝風呂に行って来てね」

 高谷は満足したのか、再びふとんに潜って眠り始めた。妙にリアルな膨らみのふとんアートを見ると複雑な気分だが、これで時間が稼げるだろう。榊は安心してバスタオルを持ち、そっと部屋を抜け出した。


 ―それから15分後


 ライアンは6時半きっかりに目を覚ました。ニューヨークでの起床時間と同じだ。日本との時差はあるが、体内時計を完璧に整えている。同じ空間に愛しい人が眠っていると思うと、朝からハッピーな気分だ。

 昨夜はずいぶん遅くまで榊が酒に付き合ってくれた。日本酒や焼酎を飲み比べ、日本製のウイスキーもと、手にしたグラスが空になることはなかった。夢のような気分で心地良い眠りについた。


 ライアンは上体を起こし、愛しい男の眠るふとんを見やる。彼はまだ眠っているようだ。ふとんを通して鍛えた身体のラインが浮かび上がっている。榊はうつ伏せで寝ているのだろうか、まるで子供のようだ。ライアンはふとんの膨らみを愛しげに眺めている。

 自分と榊の間で寝ていた高谷が寝返りを打った。その腕が榊の身体に当たった。ふとんは沈みこむように凹んだままだ。ライアンは違和感に目を細める。


 ライアンは立ち上がり、榊のふとんを覗き込む。そこには丸めた毛布が詰められていた。榊はここにはいない。となれば、行き先は分かっている。温泉をこよなく愛する榊は朝風呂へ向かったのだ。大浴場ではない、きっと海の見える展望露天風呂だ。これから日が昇る。愛しい人と共に眺める朝日はどれほど美しいだろう。

 ライアンは逸る心を抑えながら手早く支度を整え、部屋を抜け出した。


 ―それから20分後


 獅子堂の沖縄民謡で皆が目を覚ます。彼は定刻になると、寝言で沖縄民謡を歌い出すのだ。気持ち良く二度寝していた高谷も、やっと目を覚ました。横を見れば、ライアンの姿が無い。

「しまった、やっぱりさすがにこれは浅はかだったよ榊さん」

 ふとんの膨らみではライアンを足止め出来なかった。高谷は無念そうに頭を抱えた。自分の寝返りで偽装がバレたことを高谷は知らない。

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