第23話 はじめまして、伯爵。
今日もビオトープの様子を見て、水草の状態を確かめる。
特に問題はなさそうなので、キース様と一緒にミッセル商会へ行き金魚を出して帰ってきた後は夫人と庭でお茶会をした。伯爵家のお茶とお菓子めっちゃ美味しい。
「ミッセル商会には連日人が詰めかけているようね」
夫人が上品にお茶を飲みながら、微笑む。
こころなしか、初めて会った時より顔色が良くなっている気がする。ここ二、三日庭で日を浴びていたからだろうか。
「そうだ。キース様とアカリア様を我が家でお預かりしているのだから、一度ゴールドフィッシュ男爵にご挨拶をしたいのだけれど」
「いえいえ、泊めていただいているのはこちらなので、むしろこちらがご挨拶をせねばならないのですが」
夫人とキース様の会話を聞きながら、私は窓の方に目をやった。
どうやらディオン様は時々庭の様子を気にしているようで、視線を感じる時がある。こちらが気になるのだから、何もかもに無気力になっている訳ではなさそうだ。
もしかしたら、外に出る勇気がないだけかもしれない。それなら、こちらから外へ誘ってみたらどうだろう。
「あの、私、ディオン様にご挨拶してきてはいけませんか?」
私がそう言うと、夫人が目を丸くした。
「それは……ありがたいけれど、あの子は会わないかもしれないわ。アカリア様にも失礼な態度を取るかもしれないし」
「私なら平気です。会っていただけなくても、扉の外から声をかけることは出来ますし」
「待ちなさい、アカリア。伯爵に挨拶するならまずは俺から行く」
いそいそする私を押しとどめて、キース様が夫人の許可を取って立ち上がった。
夫人の案内についてディオン様の部屋の前に向かい、まずは夫人が扉をノックして声をかけた。
「ディオン。ゴールドフィッシュ男爵家のご兄妹がご挨拶に見えられました。開けますよ」
部屋の中からは返事がなかったが、夫人は構わず扉を開けた。
広い部屋の隅っこに、私と同い年くらいの少年が顔を俯かせて立っていた。
「お初にお目にかかります。トリフォールド伯爵。私は、キース・ゴールドフィッシュと申します」
「アカリア・ゴールドフィッシュと申します」
キース様と私が名乗ると、ディオン様は少しだけ顔を上げて視線をさまよわせた。
たっぷり長い時間の後で、彼は口を開いた。
「あ……えと……我が家で……ごゆっくり、お過ごし、ください……」
夫人が手にしていた扇を取り落とした。
「ディオン?」
夫人が声をかけると、ディオン様はびくりと肩を揺らして縮こまってしまった。
顔も背けてしまったけれど、こちらを気にしているのは明らかだ。私は口を開こうとする夫人を抑えて、ディオン様に語りかけた。
「伯爵様。私共、お庭で池を造っておりますの。よろしければ、ご一緒に庭に行きませんか?」
ディオン様が驚いた様子でこちらを見た。
やはり、ディオン様は内に閉じこもって外界を拒絶している訳ではないようだ。きっかけさえあれば、外に出られるはず。
私はにっこり微笑んでディオン様に向かって手を差し伸べた。
「お天気も良くて気持ちいいですよ。少しでいいから、私達の造った池を見ていただけませんか?」
ディオン様は私の手をみつめてごくっと喉を鳴らした。長い沈黙が続くが、拒絶している感じではなく逡巡している雰囲気を感じる。
ここは根気よく待つべきと判断して、微笑みを維持する。
ディオン様は少し苦しそうな顔をしていたが、やがてぎゅっと目をつぶってそろそろと足を踏み出した。
非常にゆっくりした足取りではあったが、自ら部屋の外に踏み出したディオン様の姿を見て、夫人はぶるぶる震えていた。
廊下に出ると、ディオン様は大きく呼吸をして背筋を伸ばした。
「……アカリア嬢。あの、金魚というものは、ゴールドフィッシュ男爵領で穫れるものなのかい?」
先ほどよりもしっかりした口調で、ディオン様が尋ねてくる。
「ええ。気に入られましたか?」
「……赤くて綺麗だ。見ていると、心が安らぐような気がする」
「そうですか。それは……」
「お待ちくださいっ!」
「うるさいわね!お下がりっ!」
つい先日も聞いたやかましい声と足音が響いてきて、ごてごてと趣味の悪いドレスのおばはんが乗り込んでくるのが見えた。
「あら!ディオンじゃないの!」
おばはんはディオン様を見つけて目をらんらんとと輝かせた。獲物をみつけたみたいな表情だ。
「ようやく会えたわね!元気そうで嬉しいわ!心配していたのよ、可愛い甥が病気と聞いて!」
「……御義姉様、ディオンはまだ……」
「まあまあ!伯母である私には会わせなかった癖に、こんな貧乏くさい連中を屋敷に入れているのはどういうことかしら?」
せっかく部屋の外に出たディオン様が萎縮するのを案じてだろう、前に立っておばはんからディオン様を守ろうとした夫人だったが、おばはんは仰々しく身を捩ってこちらが非常識だと責め立てる。
夫人は口を開こうとするが、真っ当な主張は金切り声にかき消されてしまう。
「愛する弟を失った私を、どうしてディオンから遠ざけることが出来るのかしら?私は悲しみを分かち合いたかっただけだというのに、まるでレオポルドが亡くなったら赤の他人だとでも言いたげね!それだけならまだしも、こんな得体の知れない連中を近づけるだなんて……っ」
「御義姉様っ、そんな無礼な……っ」
「ゴスザマン子爵夫人」
凛とした声がきんきんと響く罵声を黙らせた。
ディオン様が、すっと母の前に歩み出ておばはんと向き合った。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、私はこの通り、心身ともに回復し、もう子爵夫人の胸を患わす必要はありません。元気になりすぎて、今からゴールドフィッシュ男爵家のキース様とアカリア嬢と庭で遊ぶところですよ。そうだ、子爵夫人も一緒に庭に行きましょう!悲しみを癒すには庭で思い切り自然と戯れるのが一番です!」
ディオン様は一気にそう言って輝くばかりの笑顔を浮かべた。
子爵夫人は一瞬たじろいでいたが、すぐに気を取り直して小馬鹿にしたような笑みを張り付けた。
「まあ。伯爵ともあろう者が、男爵家の者と庭で遊ぶなどと品がないことをなさってはいけないわ」
「そうですね。では、……そうだ!私の部屋に珍しい生き物がいるのです。それを是非子爵夫人にお見せしたい。そろそろ餌をやろうと思っていたところですし」
ディオン様は良いアイデアだとでも言いたげに手を打った。
「使用人に頼んで穫ってきてもらったイトミミズをやるんですよ。どうぞ、食べるところをご覧になっていってください」
「ひっ!」
おばはん子爵夫人が悲鳴を上げて後ずさった。
「どうしました?さあ、こちらへ……」
「げっ、元気になったのなら良かったわ!今日のところはお客がいて忙しそうなので帰ります!」
おばはん子爵夫人は顔を青ざめさせて逃げるように身を翻し、どたどたと足音荒く走り去ってしまった。
「……伯母上は、生き物が嫌いで……とりわけミミズが大の苦手なのですよ」
おばはん子爵夫人の姿が見えなくなってから、ディオン様が苦い顔で笑った。
と、その体がふらりと傾ぐ。
「おっと」
「ディオン!」
倒れそうになったディオン様をキース様が支えた。夫人が心配そうに駆け寄る。
「……申し訳ない。久しぶりに喋ったもので、少し疲れてしまって」
ディオン様が頭を押さえて溜め息を吐いた。無理もない。ずっと引きこもっていたのに、いきなりあんなモンスターと鉢合わせちゃ。
キース様に肩を貸されて、ディオン様は部屋に戻りソファに腰をかけた。
「……待ってください」
退室しようとした私達を呼び止めて、ディオン様が覚悟を決めたように口を開いた。
「母上に……謝らなければならないことがあるのです」
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