第17話 必須アイテム、ポイっとな。




 完売御礼!

 用意した金魚が全て売れて、私はほくほくして宿へ帰った。キース様もやり遂げた顔をしている。


「これでアカリアの金魚が評判になるな。忙しくなりそうだ」

「うふふ」


 私の周りではきんちゃんとぎょっくんがはしゃいで飛び回っている。

 キース様と分かれて自分の部屋に入り、ベッドの上に寝転がった。きんちゃんとぎょっくんが私の頭にぽこぽこぶつかってくる。


 今日一日で金魚が全部売れてしまったから、明日からまた少しずつ出していかないと。

 そんなことをつらつら考えていると、いつもの館内放送が鳴り響いた。


『おめでとう!レベルが11に上がったよ!一日に和金が五十匹、その他の金魚を五匹ずつ出せるようになったよ!』

『レベルが上がったので、付与能力「ポイ創造」が使えるようになったよ!』


「え?」


 私はベッドに上半身を起こして金魚達を見上げた。


『完売したのでレベルが上がったよ!』

『さっきはアカリアが忙しそうだったから黙ってたんだよ』


 金魚にそんな気遣いが出来るとは。

 いや、それより。


「ポイ創造って……」


 私は半信半疑ながら手をかざして念じてみた。

 果たして、手のひらに淡い光が現れ、その輝きはあの懐かしい形に具現化した。


 私の手の中に現れたのは、細いワクにピンと張られた丸い紙面……紛れもない、あの懐かしい、金魚すくいには必須のアイテム。


「ポイだ……っ」


 私は感動にぶるぶるうち震えた。


 幼い頃、初めて手にしたこれを闇雲に水に突っ込んですぐに破れてしまったこと。

 金魚をすくえたと思った途端に紙が破けて悔しい思いをしたこと。

 初めて小さな金魚をすくえた時のこと。

 お祭りのたびに近所の子達と金魚すくい勝負をしたこと。

 金魚すくい名人と呼ばれ、得意になって出場した町内大会で、「達人」と呼ばれる田中重蔵さんに完膚なきまでに叩きのめされたこと。

 惨敗を胸に刻んで腕を磨いた日々のこと。

 田中さんに打ち勝ち、「ふ……老兵は去るのみか……後は頼むぞ」と金魚すくい町内チャンピオンの座を託されたこと。


 前世の思い出が、ほろほろと蘇ってくる。


 この世界に生まれて、前世を思い出していない頃の私は、貧乏貴族に生まれたことを嘆くばかりで何もしない、どうしようもない人間だった。

 前世を思い出した時、真っ先に思ったのも、こんな世界のこんな貧乏な家に生まれてしまってどうすればいいんだという感情だった。

 だけど、そこに二匹の金魚がいた。

 金魚達が私に付いてきてくれて、常に私に語りかけてくれた。

 小さな赤い、ちっぽけな金魚達のおかげで、私はこの世界で前向きに生きようと思えたのだ。

 でも、心のどこかで気にしていた。自分の巻き添えにしてしまった上に、こんな異世界まで金魚達を連れてきてしまったことを。

 この世界で誰も見たことがない金魚を作り続けることは、前の世界で金魚すくいを楽しんだ罰じゃないかって。金魚達は私を恨んでるんじゃないかって。

 だって、金魚すくいって人間は楽しいけど、金魚達にとってはいい迷惑のはずだもの。


 でも、付与能力でポイが創造出来るってことは、少なくとも、きんちゃんとぎょっくんは私を恨んでいないってことじゃないかな。

 その考えを裏付けるように、ポイを握りしめた私の手の周りをくるくる嬉しそうに飛び回っている。


 私はポイを高く掲げた。


「この世界にっ、金魚すくいを広めてみせるわ!!」


 この世界の人々に金魚を身近な生き物だと感じてもらえるようになり、一般家庭や人々の集まる場所に金魚の水槽があるような風景が当たり前になればいい。

 金魚達がこの世界の人々にとって、とても身近な親しい友達のような存在になること。

 それが私の目標だ。


 決意を新たにする私の周りを、きんちゃんとぎょっくんが弾むように飛んでいた。




 ***



 先代トリフォールド伯爵の未亡人リリーネは、手に入れることが出来た珍しい生き物を従者に運ばせ、息子の部屋を訪ねた。


「ディオン、気分はどう?」


 カーテンを閉め切った暗い部屋の中、力なく椅子に座る我が子に呼びかける。反応は返ってこない。


「少し出かけていたのよ。とても珍しい魚を展示している店があると聞いて気になってしまって。ほら、旦那様は釣りが好きだったでしょう?」


 ディオンは椅子に座ったまま動かないが、リリーネは構わずに話しかけた。


「ディオンも釣りが好きだったわね。元気になったらまた釣りに行きましょう。それまでは、この珍しい魚を飾っておきましょうね」


 反応がないことに慣れてしまったリリーネは、溜め息を吐きながらも従者に水槽と小さなテーブルを運び込ませ、ディオンから見える位置に水槽を設置した。


「暗くてよく見えないわね。明かりを」


 手燭を持ってこさせて水槽を照らすと、悠々と泳ぐ小さな赤い魚が見えた。


「金魚というのですって。ここに置いておくから、よく見るといいわ」


 一言も喋らない息子に優しく笑いかけて、リリーネは水槽を置いて部屋を後にした。

 自室に戻り侍女を下がらせると、重苦しい溜め息が口を吐く。


 リリーネの夫、先代伯爵レオポルドは豪放磊落な性格で、釣りや狩りが大好きで暇さえあれば外を駆け回るような人だった。ディオンはそんな父が大好きで、成長して釣りに連れて行ってもらえるようになると父子はさらに仲良くなっていった。二人して釣果を競いリリーネに報告しにくるのが以前は当たり前の風景だった。

 それなのに、レオポルドとディオンの乗った馬車が事故に遭い、レオポルドは帰らぬ人になってしまった。

 軽い怪我で済んだディオンだったが、目の前で最愛の父を亡くした衝撃で心を病み、外に出られなくなってしまった。カーテンを開けることすら嫌がり、暗い部屋で一日じっとしている。

 レオポルドの死後、まだ十四歳のディオンが伯爵位を継いだが、このままではいずれ伯爵位を返上するか誰かに譲らなければならなくなる。今は成人前だから大目に見られているが、十六になったら社交にも顔を出さなければならなくなる。それまでにディオンが元の明るい性格に戻ることが出来るのか、リリーネは不安でたまらなかった。

 今は、リリーネの優秀で善良な弟夫婦が仕事を手伝ってくれている。夫レオポルドの親類は表面上は心配をしているが、裏では伯爵位を狙ってディオンが心を病んでいるという噂をせっせと流している有様だ。


 金魚という生き物の噂を聞いて、誰も見たことがない生き物ならばディオンも興味を示すかと淡い期待を抱いて招待もないのに押し掛けてしまったが、ミッセル商会の主は親切だった。今後は贔屓にさせて貰おう。


「それから、なんといったかしら?……ああ、ゴールドフィッシュ男爵の……」


 あの場にいた男爵家の跡取りと令嬢は、ディオンとそう変わらない年齢だった。いかにも田舎から出てきたという粗末な格好をしていたが、きらびやかに着飾った令嬢よりああいった素朴な娘の方が今のディオンを慰められるかもしれない。


「お茶に招待してみようかしら?金魚のことでお礼とお話がしたいとでも言って」


 暗く沈んだ家に、若い令嬢が来てくれれば少しは華やぐかもしれない。

 ディオンに引きずられて使用人達さえ暗い雰囲気に染まってしまっているこの家に、ほんのわずかでも違う空気を入れたいと、疲れ果てたリリーネは思った。




 翌朝、リリーネはいつものようにディオンに朝の挨拶をするために部屋を訪れた。

 リリーネが訪れても、ディオンはたいてい暗い部屋でベッドに横になっている。リリーネが命じて侍従にディオンを起こさせ着替えさせ、食事を持ってくるように命じなければずっとそのままだ。


 だが、ディオンの部屋を訪れたリリーネは、いつもと全く違う光景に息を飲んだ。

 事故以降、ずっと閉ざされていたカーテンが開けられ、ディオンは既にベッドから出て椅子にぐったりと座っていた。


「誰がカーテンを開けたの?」


 控えていた侍女に尋ねると、彼女はこう答えた。


「坊ちゃまが、開けるように、と。その、暗くては魚が可哀想だからと」


 リリーネは朝陽を受けてきらきら光る水槽の中を泳ぐ、赤い小さな魚をみつめて体を震わせた。




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