第19話 伯爵夫人からの招待状と人類としての在り方





 帰る前に挨拶していこうとキース様と共にミッセル商会を訪ねると、まだ午前中にも関わらず店は人でごった返していた。


「ああ、お嬢様!」

「ミッセルさん、どうしたんですか?」


 客をかき分けてこちらへやってきたミッセル氏に尋ねると、彼は額の汗を拭いて口を尖らせた。


「どうしたもこうしたも、金魚の噂を聞きつけた人達が朝から押し掛けてきましてね。見せろ見せろと、まったく」


 言われてよく見ると、客達は貴族の家の使用人といった出で立ちの者が多い。主人の命でやってきて、おそらくミッセル氏に金魚を持って家を訪れるように要請しているのだ。

 先着順という訳にもいかず爵位順という訳にもいかず難儀しているといったところか。


「金魚は売り切れて今は店にないっていうと、どこで手に入れたか教えろと迫ってくるし。なかなか追い返せなくて……あーあー、お嬢様。もしかしてですが、ほんの少しでも、ご領地から金魚を持ってきていたりしませんかねぇ?展示会には出しそびれた金魚とかご領地に持って帰るのは大変でしょう?」

「……なるほど。そうですね、昨日の展示室を少し見せて貰っても?」

「もちろんです。今は誰もいませんので、ゆっくり見てください」


 ミッセル氏がにっこりと笑う。私とキース様は騒がしい店の横を素通りして展示に使った建物に入った。

 小さい水槽はほとんど売れてしまったが、真ん中には円柱型の大きな水槽が残っている。金魚はいないが水は入ったままだ。

 私は円柱型の水槽に向かって手をかざした。

 ミッセル氏は私の『スキル』に気づいているし、従業員には適当に誤魔化してくれるだろう。キース様は入り口に立って誰かが覗かないように見張ってくれている。


「はっ!」


 気合い一発。和金五十匹、出目金五匹、らんちゅう五匹、朱文錦五匹、コメット五匹、丹頂五匹。計七十五匹。今の私が一日に出せる限界金魚だ。限界金魚?

 一気ににぎやかに華やかになった水槽を見て、私は胸を張った。


 そぉっと建物から出ると、ちらりとこちらの様子を窺ったミッセル氏と目が合った。


「皆様!どうしてもとおっしゃるようですので、まだ入荷したてで今日明日に売りに出すつもりではなかった金魚をご覧にいれます。金魚は後日また入荷いたしますので、実物を見て予約がしたい方は後ほど店でお名前をお伝えください」


 ミッセル氏が声を張り上げ、店の客を展示の建物に誘導していく。


「やれやれ。新しもの好きな上に、貴族達の見栄はすごいからな。この分だと、義父上の元にも人が押し掛けるかもしれないな」


 一連の様子を見て、キース様が肩をすくめた。

 確かに、金魚がゴールドフィッシュ家から供給されていることはすぐにバレるだろうし、ミッセル商会で品切れしていたら我が領地まで使いを寄越す貴族もいるかもしれない。


「では、俺達は帰ろうか」

「はい」


 ミッセル氏に会釈だけして、立ち去ろうとした。

 だが、その私とキース様の前に、すっと身なりのいい男性が立ちはだかった。


「失礼致します。ゴールドフィッシュ男爵家の後継様とご令嬢とお見受けいたします。私はトリフォールド伯爵家の使いで参りました」


 私とキース様は目を瞬いた。トリフォールド伯爵家といえば、昨日のご婦人だ。


「あの、何か?」

「奥様より、是非ともお二方を伯爵家に招待したいと言付けを預かっております。昨日のお礼とのことです」


 そう言って使いの男性が手紙を差し出してくる。キース様が手紙を受け取り、目を通す。私も横から覗き込んだ。高位貴族にふさわしい見事な筆跡で、私達を招待したい旨が記されている。

 私は隣に立つキース様を見上げた。これはどういうことだろう。お礼、と書いてあるが、それだけが目的な訳がない。

 トリフォールド夫人の人となりを知らないし、伯爵家の評判もわからない。今まで王都の高位貴族など自分には関係ないと思っていたから情報が全くなくて、私は自分の勉強不足を恥じた。


 ともあれ、伯爵家の招待を断るわけにはいかない。


 使者の方に一度待ってもらい、ミッセル氏の元へ戻ってこっそりと相談した。


「トリフォールド夫人は悪い評判を聞いたことはありませんが、息子である伯爵様はご病気で外に出てこないと言われてますね」

「ご病気、ですか?」

「気の病ですよ。お父上を亡くしてから鬱ぎ込んでいるらしいです」


 ミッセル氏は弱った表情で頭を掻いた。


「申し訳ありません、お嬢様。私が昨日お二人を取引相手だなんて紹介してしまったせいで」


 伯爵家が男爵家を招待しているのだから、商人であるミッセル氏に出来ることは何もない。申し訳なさそうに謝られるが、ミッセル氏が悪いわけではないし、我が男爵家のことを考えると伯爵家に顔を覚えてもらうのは悪いことではない。金魚屋の私はともかく、次期男爵となるキース様はこれから社交も必要となってくるし。


 待たせていた使者の方に案内され、王都の中心街にある伯爵家の屋敷に向かうことになった。


「トリフォールド伯爵は確かアカリアと同い年くらいのはずだ。先代伯爵と共に馬車事故に遭い、先代の死後伯爵位を継いだが病気で家にこもっている。仕事は夫人とその弟が代わっているそうだ」


 馬車の中で、キース様が説明してくれる。事故に遭い父を亡くしたショックで引きこもりか……それって、鬱病なんじゃないの?


「夫人は医者やら祈祷師やら呼んでなんとか息子を治そうとしているが、先代伯爵の親戚連中は伯爵位が転がり込んでくるのを虎視眈々と狙っているらしいな」


 わお。貧乏男爵家では縁のないどろどろの貴族絵巻。これからその真っ只中に飛び込むのね。おもしろくなって参りました!


『おもしろがっちゃだめだよー』

『ふきんしんー』


 きんちゃんとぎょっくんが私の髪をくわえてくいくい引っ張る。

 ううん。金魚に不謹慎と叱られてしまった。私の人類としての矜持が崖っぷちだ。


 確かに、夫人は大変な思いをしているのだから、面白がっちゃいけないだろう。反省。


 金魚に人としての道を示されているうちに、目的地へ着いていた。


「行こう、アカリア」


 差し出されたキース様の手を取って馬車を降りた私の前に、夫を亡くしたばかりで病の息子を支える立派な貴婦人が歩み寄った。


「ようこそいらっしゃいました。突然お呼び立てして申し訳ありません」


 夫人は美しい青い瞳に潤んだ輝きを湛えて言った。


「金魚という生き物のことを、聞かせていただきたいのです」



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