第14話 商人は空気でも売る
中庭でキース様がガラスに埋もれていた。
「キースお兄様!?」
「ん?なんだい、アカリア」
駆け寄ると、積み重なった水槽のガラス越しにキース様が微笑んだ。
「何をしてらっしゃるんですか?」
「もっと大きな水槽が出せるように鍛えようと思ってね。展示会を成功させるためにも。それに、本格的に金魚を売るようになったら水槽がたくさん必要だろ」
キース様の言葉に、私はじーんとした。なんて優しいお兄様かしら。
「お兄様……ありがとうございます」
「いやあ、アカリアが頑張っているからね。俺も家のためにこれくらいはしないと」
領地経営の勉強で毎日忙しいだろうに、私の金魚屋開業の夢に全面的に協力してくれるキース様には感謝してもしきれない。
「キースお兄様、大きな水槽を造ってくださるのもありがたいのですが……ちょっと丸い形の水槽なども造ってみませんか?」
感謝しているが、ついつい欲が出てしまう。金魚鉢が出来たらいいなぁって。
『丸いのー』
『ほしいー』
ほら。きんちゃんとぎょっくんもこう言ってるし。
「丸い形か……。俺は四角くて透明なガラスしか出せないから落ちこぼれと呼ばれていたんだが……」
ご実家でのことを思い出したのか、キース様がふっと顔を曇らせた。私は慌てて謝ったが、すぐに笑顔に戻って「大丈夫」と言ってくださる。
「アカリアが丸い水槽が欲しいと言うなら、頑張ってみるよ」
「ご無理はなさらないで……」
「いや、アカリアが欲しいと言うならやる気が湧いてくるんだよ。実家にいた頃は、こんな風に鍛える気にもならなかった。どうせ俺なんか他の兄弟みたいな立派なガラスは造れないって思っていたからね」
キース様は四角い水槽をどけて場所を空けると、目を閉じて念じ始めた。
淡い輝きが生まれ、それがガラスへと姿を変えていく。
丸い形にはならず、ぐにゃりとひしゃげた妙な形の容れ物が生み出された。
「失敗か」
「でも、ちゃんとカーブしてますわ。キースお兄様ならきっといつか丸い水槽が造れます!」
私が力説すると、キース様は照れくさそうに頭を掻いた。
「じゃあ、俺はもうちょっと練習してみるよ」
「では、また後で来ます」
私は中庭を後にして、屋敷の中に戻ろうとした。
『あ、黒い車がきたよ』
『商人さんだ』
「え?」
振り向くと、きんちゃんとぎょっくんの言葉通りに見覚えのある黒い馬車が我が家の敷地へ入ってくるところだった。
「やあ、お嬢様。失礼致しますよ」
「何かあったのですか?」
馬車から意気揚々と降りてきたミッセル氏に、私は戸惑った。預けた金魚に何かあったのだろうか。
馬車の姿を見たのだろう、キース様も中庭から駆けてきた。
「なに、問題はありません。今日は例の空気玉のことで相談がありましてね」
そう言うと、ミッセル氏は馬車の中に声をかけた。すると、中から三十歳前後の男性が姿を現した。
「こいつはうちの商会の工場部門で働いている奴です。「強化」の『スキル』を持っています」
空気玉を彼の『スキル』で強化すれば、王都まで運べるだろうとミッセル氏は説明した。
空気玉を創った人物に会いたいと言うので、私は少し躊躇いつつもミッセル氏と彼の部下をエリサさんの元に案内することにした。心配したキース様もついてくるといい、四人で町へ向かうことになった。
「金魚の方は少しずつ噂になっていますよ。どうやら、ロブスター子爵や他の方々が自慢しているようですね」
お披露目の際に配った方々が周囲の人に金魚を見せているのだろう。徐々に口コミが広がっているようだ。
「私も展示会が楽しみですよ。お嬢様はどんなことを企んでいます?」
「おい、無礼だぞ。アカリアに馴れ馴れしくするな」
しきりに私に話しかけるミッセル氏に苦言を呈し、キース様が間に割り込んでくる。
キース様とミッセル氏の慇懃なのか嫌みなのわからない言い合いを聞きながら歩いて、貧民窟に辿り着いた。
「あ、お前!」
道を走って横切ろうとしていたクルトが私に気づいて、指をさした。キース様の眉がぴくん、と跳ね上がる。
「また来たのか!金魚はちゃんと生きているぞ」
クルトは笑顔で駆け寄ってきたが、私の前にキース様が立ちはだかった。
「男爵令嬢に対する暴言、子供といえど見過ごすわけには」
「お、お兄様、クルトは口が悪いだけで悪気はないのですわ」
腰の剣を抜こうとするお兄様を必死に押しとどめている間に、ミッセル氏がするっと横を通り抜けてクルトに話しかけた。
「やあ。私はミッセルという。君のお母さんを紹介してくれるかな?」
「はあ?母さんに何する気だよ!」
胡散臭い笑顔のミッセル氏に、クルトは警戒を露わに毛を逆立てる。
「お母さんの『スキル』に興味があるだけだよ。心配なら、君が私を見張っているといい」
「おいアカリア!なんだよ、こいつ」
「み、ミッセルさんは悪い人ではないわよ」
私を呼び捨てにするクルトにいきり立つキース様を抑えつつ、不満そうなクルトに言い聞かせる。
「エリサさんとお話ししたいだけなの。案内してくれる?」
「ふん。母さんに何かしたら追い出すからな!」
クルトは膨れながらも、先に立って自分の家へ向かっていった。
「まあ、お嬢様。先日はありがとうございます。綺麗な魚をいただいて……」
家の中から出てきたエリサさんは、前に見た時より調子が良さそうだった。
「母さん、こいつら、母さんの『スキル』が見たいんだって」
「はあ……」
見知らぬ商人の男達に、エリサさんは目を白黒させた。私は事情を説明して、エリサさんに空気玉を創ってくれるよう頼んだ。
「こ、こんなものが売り物になるんですか……?」
俄には信じられなさそうに、おずおずと手のひらに空気玉を創り出すエリザさん。クルトは窓辺に置いた水槽の中を泳ぐ金魚を眺めていた。
ミッセル氏が連れてきた部下がエリサさんから空気玉を受け取ると、手のひらに乗せて軽く握るようにした。
すると、空気玉が薄赤い膜のような物に包まれた。
「どうです?」
膜に包まれた空気玉をミッセル氏がこつこつと叩いてみせた。
「こいつの「強化」は三日ほど保ちます。これなら王都まで運べるし、店に並べることも出来ますよ」
得意そうに言って、エリサさんに迫る。
「とりあえず二十個ほど預からせてもらえますか?値段は決めていますか?」
「ね、値段なんて、ただの空気ですし、そんな……」
ぎらぎらした商人に詰め寄られて、エリサさんはたじたじになっていた。
結局、和金と同じく一つ40セニということにした。エリサさんは「ただの空気ですのに」と最後まで恐縮していたが、40セニの半分をミッセル商会の利益にということで話はまとまった。
20セニを二十個分で4ディルクだ。ミッセル商会にとっては利益になるかもわからない些細な金額だが、エリサさんの家計の足しにはなる。
「まったく、お嬢様が平民にも気軽に買えるようにしたいなんておっしゃらなければ、もっと儲けられるんですがね」
そんな風に言いながら、ミッセル氏もなんだか楽しそうに見えた。
『みんな、しあわせ』
『ぼくたちも嬉しい!』
きんちゃんとぎょっくんも楽しそうにくるくると飛び回っていた。
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