第33話 男達の探り合い





 翌日、浴槽と共に伯爵家に殴り込んできたロベルト王子が、「金魚をすくう魔法を教えろ!」と宣ったため、私とキース様はまたしてもゴールドフィッシュ男爵領に帰るタイミングを逃したのだった。


「アカリア!見ろ!とうとうやったぞ!」


 初めて金魚すくいに成功したロベルト王子がお椀を持ち上げて勝ち誇る。


「くっ……どうして水に浸けただけで破けてしまうんだ……っ」


 キース様は水にポイを浸ける勢いが強すぎて、毎回紙を破ってしまう。

 あ、ちなみにロベルト王子が弟子入りした瞬間にレベルが上がって、アズマニシキが出せるようになりました。

 付与能力は「十倍」。金魚やポイを十倍に増やせる能力のおかげで、皆が使うポイを創ることが出来ている。


「アカリアー、ちょっと水温をみてくれないか」


 ディオン様は金魚すくいよりどちらかというとビオトープ造りの方に熱中しているようだ。


「お嬢様、店の金魚の展示なんですがね。ちょっと配置を変えようと思ってやして。お嬢様の意見をお聞かせ願えますかね」


 ミッセル氏は今日も商売熱心だ。彼はロベルト王子から取り戻した金魚を顧客に返すのに尽力してくれた。おかげでミッセル商会の評判は跳ね上がったらしい。


『わーい』

『わーい』


 きんちゃんとぎょっくんも元気に私の頭の上を飛び回っている。

 うんうん。金魚は順調に王都で流行っているし、嬉しいよね。


『ちがうよー』

『それも嬉しいけど』

『アカリアの周りにたくさんお友達がいて』

『アカリアが楽しそうだから』

『ぼくたちも嬉しいの』

『ねー』


 きんちゃんとぎょっくんに言われて、私は金魚すくいに興じるキース様とロベルト皇子、ビオトープを覗き込んで笑顔で話すディオン様とトリフォールド夫人、資料に目を通して頭を働かせているミッセル氏の姿を眺めた。

 前世を思い出して、きんちゃんとぎょっくんが見えるようになる前は、私は領地から出たこともない、ただの生活に疲れた貧乏令嬢だった。貧乏は今でもだけど、今は皆がいてくれる。


「うん。私も嬉しい」


 私はふふっと微笑んだ。


「アカリアさん、お茶の準備をするわ。手伝っていただける?」

「はい!」


 トリフォールド夫人に誘われて、私は元気に返事をした。




 ***




「ところで」


 アカリアがトリフォールド夫人に連れられて家の中に入った後で、ロベルト王子がおもむろに口を開いた。


「キースはアカリアの婚約者ではないのか?」


 水槽にポイの代わりに自分の頭を突っ込みそうになった。


「なっ……んっ……!」


「お前はゴールドフィッシュ男爵家の養子なのだろう?ということは、アカリアと結婚して跡を継ぐのかと思ったが、調べた限りでは婚約している様子はないじゃないか」


 なんで調べた……?

 そこはかとなく嫌な予感がして、俺は思わずロベルト王子を睨みつけてしまった。


「アカリアに婚約者がいないのなら……うん。父上にお願いしていみるかな」


 嫌な予感が当たった。とんでもねーことを言い出したロベルト王子に、俺は真っ青になった。

 冗談じゃない。我が儘王子に激甘な国王がそんなこと聞いたら、アカリアが無理矢理にでも召し上げられてしまう。


「わ、我が家は貧乏な男爵家であって、第三王子殿下に嫁げるような身分ではありませんっ!!」

「そうですよ、殿下」


 俺が声を荒らげると、ディオン様がのこのことやってきた。


「さすがに王族に嫁げというのは令嬢にとっても酷です。その点、伯爵家程度ならばアカリアも気軽に嫁いでこれますよね。いっそこのまま家に住み続けてくれてもいいですし」

「こらこらこらあっ!!」


 俺は思わず礼儀も忘れて突っ込んでいた。

 くそぉ、薄々感じてはいたが、ディオン様はやっぱりアカリアを狙っていやがったのか。


「問題ないだろう?アカリアのことは母上も気に入っているし」


 確かに、トリフォールド夫人はアカリアのことを可愛がっている。息子を引きこもりから救ってくれたという恩義も感じているらしい。


 王族にしろ、伯爵家にしろ、正式に申し込まれたら男爵家では断りようがない。


「お話に口を挟むようですが、失礼ながらお嬢様は王侯貴族の暮らしが向いているとは思えませんなぁ。ご本人も「金魚屋になる」と常々おっしゃっていますし」


 胡散臭い商人がにやにやしながら口を挟んでくる。


「私でしたら、商売のいろはをお教えして差し上げることも出来ますし……というか既に金魚部門では共同経営者みたいなものですし」


 こいつ……っ、平民のオッサンの癖にっ!


 俺はミッセルをぎろりと睨みつけた。


「まあ、キースが婚約者でもなんでもないんだったら、なあ?」

「ええ。僕もキースがライバルかと思っていましたが、その気がないのなら」

「アカリア様はキース様のことをどう思っていらっしゃるんでしょうねえ」


 三人揃ってちくちくと俺を攻撃してくる。なんなんだこいつら……!


「失礼!厠に!」


 俺は勢いよく立ち上がって庭から逃げ出した。

 情けない。言い返すことも出来ず、逃げ出すしかないだなんて。

 ミッセルは平民だが、アカリアの夢のためには必要な人物だ。ディオン様は既に伯爵位を継いでおり夫人もアカリアを気に入っている。ロベルト王子は王位を継ぐ可能性は低い第三王子で、身分違いであっても我が儘で通してしまう可能性もある。


 裕福な商人、若き伯爵、第三王子。


 それに比べて、俺は男爵家の養子でアカリアからは義兄としか思われていない。ゴールドフィッシュ男爵の後押しはあるかもしれないが、俺自身がアカリアにしてやれることは水槽を創るぐらいしかない。


 これまでは領地から出たこともない貧乏貴族の娘だったから、婚約の申し込みもなかったのか、もしくは娘を手放したくない男爵が握りつぶしていたんだろう。

 しかし、これからはきっとアカリアを欲しがる人間はいくらでも現れるに違いない。金魚という商品が広まれば広まるほど、アカリアへの注目が集まっていく。


 そうしたら、俺は……


「あ、キースお兄様!」


 廊下の向こうから歩いてきたアカリアが、俺を見つけて手を振った。


「夫人と軽食を作ろうと思って、皆様にパンに挟む具材が何がいいか聞きに……どうかなさいましたか?」


 俺の様子がおかしいのに気づいたアカリアが、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 丸くて大きな瞳が俺をじっとみつめてくる。

 俺は視線を合わせて、だんっと音を立てて一歩踏み出した。俺の勢いに押されて、アカリアが一歩下がる。


 だんだんだんっ、と勢いよく迫ると、後ずさったアカリアが壁に背をついた。そのまま壁際に追いつめて、食い入るように瞳をみつめる。


「キースお兄様?」


 きょとん、と首を傾げるアカリアの瞳には、不思議そうな色しか見えない。

 これだけ至近距離に詰め寄っても、意識もされていない。アカリアにとって、俺はやっぱり義兄でしかないらしい。


 わかってはいたことだけど、これっぽっちも男として見られていないのは辛いな。


 俺は溜め息を吐いて肩を落とした。

 このまま「優しいお兄様」でいるのが、アカリアにとっては一番いいのかもしれない。

 俺は心配そうに見上げてくるアカリアの額に、自分の額を軽くぶつけた。


「キースお兄様?気分でも悪いのですか?」

「……いや、なんでもない」


 俺は自嘲気味に笑ってアカリアから離れた。


「お兄様?」

「なんだかんだで帰りを延ばしていたけれど、さすがにそろそろ帰らないと男爵に怒られるよ。後で帰る日を相談しよう」

「あ、はい」


 俺は「優しいお兄様」の顔でアカリアに笑いかけた。アカリアはぱちぱちと目を瞬いていたが、やがて用事を思い出したのか庭の方へ走っていった。


 俺は馬鹿だな。王都に出てアカリアの世界が広がる前に、「お兄様じゃいられない」って伝えておけばよかった。

 そうしたら、商人にも伯爵にも王子にも、アカリアに手を出すなと言えたのに。


 自己嫌悪で目をつぶって俯いた俺は、庭に向かっていくアカリアがどんな顔をしているかまったく知らなかった。




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