第20話 きんぎょもあっかんべーをする。




「……そういう訳で、息子は誰とも話さず閉じこもったままです」


 庭の一角の見事なバラ園に用意されたお茶の席で、夫人は美しい細面を両手で挟んでか細い溜め息を吐いた。


 夫人の息子、ディオン・トリフォールド伯爵の病状を伺っていたのだが、元21世紀日本人の私からすると聞けば聞くほど鬱病としか思えなくなってくる。


「でも、金魚を部屋に置いたら今日はあの子が自分からカーテンを開けさせたんです!」


 夫人が声を震わせる。


「それは良かったですね。金魚のためにも水槽に日が当たるようにしてください」


 確か、鬱病は日光を浴びないと良くないって聞いたことがある。冬季鬱病っていう言葉もあったし。

 水槽の水草だって日光を浴びないと光合成してくれないし、カーテンはちゃんと毎日開けるようにしてもらわなければならない。


「金魚には癒しの力がありますの?今までどんな医者にみせてもだめだったのに……」


 夫人は縋るような目で私を見る。

 確かに、金魚、というかアクアリウムを見ると心が癒される、ということはあるが、それは綺麗なものや小さい生き物を見てストレスが軽減したというだけであって、金魚自体に癒しの力が宿っているわけではない。


「残念ながら、金魚に病を治す力はありません。ただ……」


 私は期待する夫人を落胆させないように言葉を選びながら言った。


「金魚のためにカーテンを開けたということは、伯爵様はご自身がお辛い中でも小さな命を憐れむことの出来るお優しい心をお持ちということ。その心根が失われていないのであれば、時間と共にきっと回復なさることでしょう」


 きっちり食事して睡眠をとって日光を浴びれば治るんじゃないかな?

 私は前世医者でも看護師でもない一介の金魚すくい名人にすぎなかったから、前世知識を生かして伯爵様を立ち直らせたりは出来ない。


「そうですか……時間が、かかるのね……」


 夫人は表情を陰らせて俯いてしまった。

 お気の毒に、とは思うが、私では何も出来ないし。適当なところでお暇しようかとキース様と目を合わせようとした時だった。


「困ります!お待ちください!」


 慌てた使用人の声が聞こえてきた。


「あら?お客様が来ていたの?……ずいぶん見窄らしい子達ね。まさか由緒あるトリフォールド伯爵家の庭で平民を茶に招いた訳ではないでしょうね?」


 ごてごてと着飾った恰幅の良いご婦人が、どかどかと庭に乗り込んできた。私とキース様を見て大袈裟に顔を歪めるあたり、品性があまりよろしくない。


「これは、御義姉様……いらっしゃるならおっしゃってくだされば……」

「かわいい甥子のお見舞いにきたのよ。いい加減に顔ぐらいは見せられるようになったのではなくて?」


 トリフォールド夫人は義姉の態度にぐっと歯を食いしばった。


「……わざわざありがとうございます。ですが、伯爵はまだ人に会える状態になく……」

「私は伯母よ!家族に顔ぐらい見せられるでしょう!」

「申し訳ありません。伯爵はいましばらく一人で心を落ち着けたいと……」

「あらあら。今日も会わせていただけないのね?私はね、亡き弟の忘れ形見をそれは心配しておりますの。ディオンは伯爵位を継ぐことを許されたとはいえまだ子供ですもの。お友達が必要でしょう?我が家には三人も息子がいますから、きっとディオンのいい話し相手になるわ」


 おおう。これぞまさにどろどろの貴族絵巻。このおばはんの狙いなぞ火を見るより明らかだ。部屋から出られないディオン様の様子を確認して「伯爵は務まらない」とか騒ぎ立てて、先代伯爵の甥―――自分の息子を伯爵にするつもりなのだろう。

 なるほど。これは面白くない。むしろ、不快だ。


「今日のところは帰ります!また来ますからね!」


 勝ち誇った態度で去っていく様子からは、すでにこの家を乗っ取ったかのような厚かましさを感じる。


『べー』

『べー』


 きんちゃんとぎょっくんも不快な人物だと思ったのか、おばはんが立ち去った方へ向けて舌を出していた。

 いや、金魚に舌はないから、べーって言ってるだけか。気持ちの問題だな。


「お見苦しいところをお見せして……」


 夫人は私達に謝罪したが、その顔には色濃い疲れが滲んでいた。このままでは、夫人の方が病気になって倒れてしまいそうだ。


 ううむ。あのおばはんに家を乗っ取られたら、夫人は鬱っぽい息子を抱えて路頭に迷うことになってしまう。そんなの許せない。


『アカリア、なんとかしてあげて』

『たすけてあげて』


 きんちゃんとぎょっくんも夫人に同情したのか、私の頬をつんつんつつく。

 助けて上げたいのはやまやまだが、私に出来ることなんて金魚を出すぐらいだし。

 とにかく、ディオン様が部屋の外に出られるようになればいいのだろうが、私では何もいいアイデアは浮かばない。


 前の世界でも、引きこもりを外に出すボランティアみたいな活動があったりしたぐらい、難しい問題なんだ。無理矢理引きずり出せばいいわけではなく、自分から出てくるように導かなくてはならない。


 自分から出てきたくなるような何かがあればいいのだけれど……


 それから、目の前の夫人も気になる。このままでは彼女こそ鬱病になってしまいそうだ。出来れば、夫人にも気分転換になるような何かを……


 私は思考を巡らせながら庭を眺めた。手入れされた綺麗な庭だ。池でもあれば、金魚を放してやるのだが……私に出来ることといったらそれぐらいだし。


「そうだ!」


 一つ思い浮かんだことがあって、私はぽんっと手を打った。夫人とキース様が驚いて私を見る。


「ないなら造りましょう!池を!」

「造る……?池を?」


 私は疑問符を浮かべる二人に堂々と宣言した。


「天の岩戸作戦です!」



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