第12話 我が名はアカリア・ゴールドフィッシュなり




 クルトという男の子が投げつけてきたのは何だったのだろう。

 石が当たったような痛みもなかったし、何も落ちてはいなかったのだが、確かに何か投げつけられた。


 もしかして、何かの『スキル』を持っているのだろうか。いや、あの年齢で『スキル』が出ることはないはずだ。


『大丈夫?』


 心配してくれているのか、金魚達が私の頬をつくつくつつく。


「大丈夫よ」

『どうしてあの子の家に行くの?』

『帰ろうよ』


 私はおかみさんから聞いて、あの子の家へ向かっていた。


「あの子に注意しなくちゃいけないのよ。もしもまた屋敷に忍び込んでお父様やキースお兄様にみつかったらどうなるかわからないわ」


 二人とも、私にはとっても優しいが、生粋の貴族である。平民の子供に私に対するように優しくするはずがない。平民の子供に好き勝手にさせて何も罰さなかっただなんて、貴族としては恥以外の何者でもないのだ。


 教えられた道を行くと、粗末な家の密集する貧民窟に辿り着いた。

 さすがにちょっと後込みする。普通は護衛もなしに貴族令嬢がこんなところに入っちゃいけない。

 んでも、せっかくここまで来たんだし……


 入り口でうろうろしていると、のっそりと近寄ってきた老人が私をじろじろ見て胡散臭そうに顔をしかめた。


「こんなところに何の用だ?帰れ帰れ」


 しっしっと、追い払われる。


「あ、あの、エリサさんのお家って……」

「あんだ?あのクソガキに財布でも盗られたか?」


 老人はかっかっかっと笑った。あの子の悪評は広まってるんだなぁと憂鬱な気分になる。


「あの壁の崩れた家だよ。でも、クルトの奴は叱ったって無駄だぞ」


 老人がそう言って指さした家を確かめて、私はお礼を言って歩き出した。

 粗末な木の扉の前に立って、一つ息を吸う。きんちゃんとぎょっくんが私の肩にちょんととまった。


「よし、行くぞ!」


 気合いを入れて扉をノックすると、やや間があって「どうぞ」とか細い声が聞こえた。


「おじゃまします……」


 扉を開けると、奥からやつれた女性が出てきた。


「何か……?」

「あの、クルト君はいますか?」


 おそらくクルト君の母親のエリサさんだろう女性は、私が彼の名前を出すと悲しそうに顔を歪めた。


「申し訳ありません。息子が迷惑を」


 何をしたとも言っていないのに、エリサさんは深々と頭を下げた。


「帰ってきたらきちんと叱ります。何か盗まれたのでしたら、必ずお返ししますので」

「いえ、何も盗まれてはいないんですけれど。ちょっと本人とお話しさせてもらいたくて」

「はあ……っげほっ、げほっ」


 申し訳なさそうな顔をしたエリサさんが、急に咳込み始めた。


「大丈夫ですか?」

「ごほっ……すいません。私がこんな体ですから、あの子は貧しい暮らしをどうにかしようと盗みなど……」


 なるほど。そういう理由だったのか。

 でも、それならなおさら、あの子に言い聞かせなければならない。

 そう決意し直した私の背後で、甲高い声が響いた。


「お前!何やってんだ!」


 振り向く寸前に、腰に体当たりされてよろける。


「クルト!何をしているの!」

「家から出てけよっ!!」


 私は体勢を立て直してクルトに向き合った。


「出ていくわよ。あなたに話をしたらね」

「話なんかねぇよ!出てけ!」

「私はね、あなたに教えに来てあげたのよ。このままだと、あなたはお母さんを不幸にするわよ、必ず」


 私はクルトの目を見つめて言った。クルトは一瞬黙ったが、すぐに言い返してきた。


「なんでお前にそんなことわかるんだよ!」

「わかるわよ。私を誰だと思っているの?」


 精一杯偉そうに見えるように、顎を引いて胸を張ってみせる。


「私はゴールドフィッシュ男爵の娘アカリア・ゴールドフィッシュなのよ」


 エリサさんが息を飲んだ。


「ク、クルト、謝りなさい。お前、領主様のお嬢様になんてことを……」

「貧乏男爵なんか怖くねぇよ!」


 クルトは変わらず強気な態度を取るが、エリサさんは真っ青だ。

 私は小首を傾げ、頬に指をあてて言った。


「そう。それなら、ゴールドフィッシュ男爵に会わせてあげるわ」

「え?」

「男爵の目の前で、私に言ったのと同じことを言ってみるといいわ」


 私はクルトの腕を掴んで引っ張った。そのまま扉へ向かおうとすると、エリサさんが床に身を投げ出して私を拝みだした。


「申し訳ありません!どうぞお許しくださいっ」

「母さん?」


 涙を流してがくがくと首を振るエリサさんの尋常ではない様子に、クルトが目を丸くする。

 エリサさんはちゃんと理解している。男爵の――貴族の前にクルトを連れて行ったりしたらどんなことになるか。


「クルト、あなたがゴールドフィッシュ男爵の屋敷に忍び込んだことはわかっているのよ」


 クルトははっと顔を上げ、エリサさんは「ひっ」と呻いて嗚咽を途切れさせた。


「あなたを連れていって男爵に屋敷に侵入した犯人だと告げれば、あなたは残りの一生を牢に入れられるか絞首刑になるかのどちらかよ」

「なっ……」


 クルトの顔色が変わった。


「町の人の財布を摺ったり、どこかの店に盗みに入ったりしてバレても、殴られたり蹴られたりするだけで済んできたんでしょ?それはあなたが子供で、町の人達が平民だからよ。でも、ゴールドフィッシュ男爵は貴族なの」


 理解しやすいように、ゆっくりと言い聞かせる。


「あなたの考えでは、無断で家に入ったり暴言を吐いたぐらいで子供が処刑されるだなんておかしいと思うんでしょ?でもね、貴族にとっては、平民の子供に侮辱されても処刑もせずに見逃すということは、貴族の世界に対する罪になるのよ」


 それが身分制度というものだ。平民同士或いは貴族同士であれば穏便に済ませられることでも、貴族と平民の間に起きたならただでは済まない。


「私のお父様はとても優しい人よ。貴族の立場を使って人をいじめたり、私腹を肥やしたりなんか一度もしたことがないわ。そんな優しい人でも、貴族の世界に対して誠実であるためには子供であっても罰することを躊躇わないわ。だから、よく考えなさい」


 私はクルトの腕を放した。


「あなたが貴族にたてついて処刑されたら、エリサさんは「貴族を敵に回して処刑された子供の母親」になってしまうのよ。その貴族が治めるこの土地で生きていけると思うの?」


 クルトの顔が見る見る青くなっていった。エリサさんに至ってはもう指を組んで神に祈っている。


「今回はたまたま私しかあなたの姿を見なかった。だけど、次はそんなに上手くいかないわよ。覚悟しておくことね。貴族の屋敷に侵入した平民など、本来ならその場で斬って捨てられるのが当然なのだから」


 これだけ脅せばもう屋敷に忍び込んだりしないだろう。

 ちょっときつく言い聞かせたが、内容は決して大袈裟なんかじゃない。クルトは見るからにしゅんとなってしまい、目をうるうる潤ませた。


「申し訳……、ありませんっ」


 エリサさんがクルトの頭を押さえて下げさせるのにも抵抗しない。貴族の怖さは理解したようだが、根本的な問題は解決していない。クルトが盗みを働くのは貧乏が原因のようだけど、私では仕事を紹介したりも出来ないし。


「では、私はこれで」


 これ以上は私に出来ることはないので、お暇しようと踵を返した。

 その途端、何かを踏んだ。


 ぽふっ

 

「ふえ?」


 靴の裏で何かが弾ける感覚がして、驚いた私はすてんっと尻餅ちをついた。


「ああっ、お嬢様!」


 エリサさんが慌てて駆け寄ってきた。

 私は床を見るが、そこには何も落ちていない。確かに何か踏んだのに。


「クルト!お前はなんてことを!」

「わざとじゃないよ!落としたんだ!」


 エリサさんに叱りつけられてクルトが叫ぶ。どうやらクルトが落とした何かを踏んだようだが、床を見渡してみても何もないので私は首を傾げた。


「申し訳ありません、お嬢様」

「いえ……それより、クルト、何を落としたの?何も落ちていないけれど」

「ああ、申し訳ありません。私の『スキル』なのです」


 エリサさんが右手をぎゅっと握って、すぐに開いて見せた。すると、手のひらの上に三センチくらいの透明なビー玉のようなものが出来ていた。


「私の『スキル』は周囲の空気を固めて「空気玉」を創るというものです。拳大の大きさまでしか創れませんし、時間が経てば小さくなっていって消えてしまいます。何かにぶつけたり些細な刺激で破裂してしまうし、なんの役にも立たない『スキル』です」


 エリサさんは肩を落とした。


「おもちゃがわりに与えていたのに、この子ったら悪いことにばかり使って……」

「はあ……」


 私はエリサさんの創った空気玉を摘み上げた。ビー玉そっくりだが重さは感じない。空気の塊ということか。


「……これ、もらってもいいですか?」


 私は空気玉を握り締めた。



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