第13話 和金1匹40円。




 三日後、約束通りにミッセル氏がやってきた。


「ようこそいらっしゃいました」

「やあ、お嬢様。お返事を伺いに参りましたよ」


 返事を貰いに来たとは言うものの、油断なくぎらつく目を見るに、断ったって簡単には引き下がりそうにない。


「では、まずは結論から。我が家はミッセル商会と契約をしてもいいと考えています」


 金魚の部屋に案内して、キース様が口火を切る。

 この三日間、キース様とお父様がミッセル商会について調べて、十分な調査とはいえないもののとりあえず目に見えてあくどい商売や違法な行いはしていないと結論を出した。代替わりをしたばかりで主のジョン・ミッセルの情報は少ないが、悪い評判はない。


「ただし、こちら側の条件をいくつか飲んでいただくことになります」

「それは当然のことです。どうぞ、なんでもおっしゃってください」


 キース様はちらりと私と目を合わせた。


「まず一つは、金魚の値は我々に決めさせていただきたい」

「ほう、なるほど」


 ミッセルはにやりと口角を上げた。


「して、おいくらで?」

「和金一匹が40セニ」


 キース様が告げると、ミッセルが笑みを消して愕然とした表情になった。


「40セニですと!?」


 セニはこの世界の通貨の最小単位だ。100セニで1ディルクになる。1ディルクでパンが一個買えるので、前の世界で言うと100円くらいだろう。つまり、和金は一匹40円だ。


「私をからかっているのですか?」

「とんでもない。真剣な商談でそのようなことをするはずがない」

「ミッセル殿、私共はこの金魚を広く平民にも楽しんでもらえるようにしたいと思っておる」


 キース様の言葉をお父様が助ける。


「誰も見たことがない美しい魚なのですよ?貴族は金に糸目をつけんでしょう。それなのに、40セニとは!受け入れられませんな!」


 ミッセル氏はこれまでの余裕の態度をかなぐり捨てて憤っている。それはそうだろう。彼にとってはせっかく見つけた宝の山を二束三文で売り払えと言われているに等しいのだから。


「ええ。ですから、貴族にはもっと高価な金魚も買っていただきましょう」


 キース様が説明を続ける。


「和金以外の種類には10ディルク以上の値を付けます」

「それでも安すぎます!100ディルクでも……いや、希少性を主張すれば100ゼラでも売れるでしょうに!」


 100ディルクで1ゼラ、一万円くらいだ。


「確かに、希少なものならばそれくらいの値で売るべきでしょう。しかし、金魚は希少なものではありません」

「……いまだかつて誰も目にしたことのない魚を、希少ではないと言い切れるのですか?ゴールドフィッシュ男爵家であれば、いくらでも用意が出来ると?」

「左様。我が家では既に金魚の増産に成功していると言っておこう」


 お父様の言葉にも疑わしげなミッセル氏に、キース様が商談の続きを口にする。


「それで、まず最初にミッセル氏にこの和金の入った水槽を……」

「買い上げろと?」

「いえ、お貸しいたします」


 ミッセル氏がぽかん、と口を開けた。


「は?」

「水槽を一つお貸しいたします。その水槽を持って、貴族の家に行っていただきたい。珍しい魚を手に入れた、とだけ告げて金魚を見せ、売らずに持ち帰ってください」

「売るな、とは?」


 訝しげな表情のミッセル氏は、和金の水槽をちらりと横目で睨んだ。おそらく、彼の頭の中では様々な計算が働いているんだろう。


「売らずに見せびらかしてください。大金を払うと言われても売らないでもらいたい。そして、こう言ってください。「近いうちにミッセル商会で金魚の展示会を開きます」と」


 ミッセル氏の眉がぴくりと動いた。


「条件の一つです。ミッセル商会の展示出来る場所をお貸しいただきたい。そこを金魚で一杯にしてみせます。……そうですね。ミッセル商会と付き合いのある貴族のみに入場を限って、少しばかり入場料をいただいてもよいのでは?」


 こちらは場所を提供して貰う代わりに、入場料はミッセル商会の丸取りだ。


「そこで初めて金魚を売ります。いかがでしょう?」

「なるほど……見たこともない魚を見せびらかされ、好奇心を刺激され、しかし手には入らず。だが、展示会に招待されたという特権を与えられ、部屋一杯の金魚に圧倒され、想像よりも遙かに安く手に入る金魚に思わず財布の紐も緩むというものですな。驚愕、落胆、期待を経て手に入れられる満足は、格別なものでしょう」


 その場で簡単に手に入るものより、手に入るまでにさんざん焦らされた方が手に入れた時の喜びが大きく愛着が湧くのではないかと思う。せっかく売るのだから、衝動買いではなく心から望んで手に入れて欲しいものだ。その方が、金魚を愛でる気持ちが大きくなるだろう。


 ミッセル氏はしばし金魚の水槽を眺めて考えに沈んでいた。

 長い時間の後で、彼は言った。


「わかりました。その条件でやってみましょう」




 ***



「ところで、これはなんですか?」


 金魚と一緒に売る水槽や水草、砂利の値段を決めている途中で、ミッセル氏が水槽を指さして尋ねてきた。

 ミッセル氏が指しているのは、水槽の底に沈んだ透明の玉だ。玉からはぽこぽこと空気の泡が生まれている。


「空気玉ですわ」


 私はにっこり笑って答えた。


 エリサさんから貰った空気玉を、帰宅してから水槽の中に入れてみたところ、時間が経つと小さくなって消えてしまうというエリサさんの言葉通りに少しずつ空気が染み出してきたのだ。ぽこ、ぽこ、と空気の泡を生み出して、徐々に小さくなってやがて消えてしまう空気玉。

 私は思った。これって、アクアポンプ代わりになるんじゃないの?


「水草と同じ役割です。金魚が窒息するのを防ぎます」

「ほう。ならこれも、一緒に売るべきですな」


 ミッセル氏の言葉に、私は思わずガッツポーズをした。

 これが売れれば、エリサさんの現金収入になる。いくらかでも家計の足しになるだろう。

 ちなみに、今、水槽に入っているのはエリサさんに頼んで創って貰った握り拳大の空気玉だ。お礼に和金をあげたらクルトがすごく興味を持っていた。金魚の世話に夢中になって盗みをやめてくれたらいいんだけど。


「一緒に売りたいとは思いますが、ただ問題があって。何かにぶつかったりすると破裂してしまうし、少しずつ空気が染み出してやがて消えてしまうため、創ってすぐに売らないといけないんです」


 問題は空気玉のもろさと消費期限の短さだ。この課題をどうにか解決しなければ、商品には出来ない。

 私の説明を聞いたミッセル氏はふむ、と唸って顎に手を当てた。


「そうですか。では、いい方法がないか考えてみましょう」

「お願いします」


 何かいい解決策があって、エリサさんの稼ぎに繋がることを祈るばかりだ。


「では、お借りいたします」


 和金の水槽を手に、ミッセル氏が屋敷を後にする。


「お気をつけて」

「ええ。――ああ、そうだ。お嬢様」


 不意に、ミッセル氏がぐっと近寄ってきて私の顔を覗き込んできた。

 不敵な微笑みを浮かべたイケメン顔が至近距離にあって、私は思わず目を丸く見開いた。


「少しばかり気をつけた方がよろしいですな。お嬢様の『スキル』はひどく希少だ」


 息するのも忘れて、私はミッセル氏の顔を見つめた。ミッセル氏は「はははっ」と軽く笑って、身を引いた。


「商談では男爵様や次期様が喋っていたのに、金魚のことになるとお嬢様が一番しっかりと説明してくださる。最も金魚のことを理解していると、すぐにわかりますよ」


 そう言うと、ミッセル氏は颯爽と馬車に乗り込み、手を振って去っていった。


「アカリア、大丈夫か?あの野郎――」


 キース様が固まる私の肩を抱いて馬車の去った方角へ悪態を吐く。


『大丈夫?』

『お疲れさま』


 商談の間中、おとなしく私の周りに浮かんでいたきんちゃんとぎょっくんが私の頬をつんつんとつついた。


「……油断ならないわ」


 さすがは商人。たった二回会っただけなのに、金魚を生み出しているのが私の『スキル』だと見抜かれてしまった。


 ミッセル氏が悪人でなくて良かったけれど、これからはちゃんと気をつけなくちゃ。

 金魚が利益を出すようになったら、きっとそれを狙ってくる者も現れるだろうから。



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