第31話想定と覚悟

「これならアルテミなんて関係ないわ!! 犠牲になった人たちに、……父さんに詫びからあの世に行きなさい!!」


 片桐先生の言葉通り、確かにこの方法であればアルテミの有無など関係なくデバスにトドメを刺すことが出来る。


 片桐先生の調整した猛毒は僅か0.1mgあれば、巨大な鯨からも一瞬でその命を奪うことが出来る、そう、出来るのだ。


 ……体内に注入出来れば、の話である。


 片桐先生の咆哮が空回りしたかの様に、彼女の投擲したメスはデバスの薄皮にすら傷を付けることが出来ずに、跳ね返りそして虚しく床に散らばってしまった。


「そんな!? どうして……?」


「やはり猿は愚かだな、簡単なことだ。体に取り込んでいるアルテミが増幅させた俺の純粋な防御力がお前の攻撃を上回ったんだよ。残念だったな、……あははははは!!」


「……そんなに隙だらけでドルダーツ人と言うのは馬鹿なのか?」


「まったくだよ、沖津さん。こんなガラ空きの状態で高笑いとか頭が悪いよね?」


 片桐先生のメス投擲に余裕の反応を示すデバスに対して、その隙を突きながら沖津とランが至近距離まで踏み込んでいた。


 二人の構えは共に居合、敵を挟み込んだ状態でブレードが抜刀された。


 だが、二人の攻撃すらもデバスの前に傷一つ付けることが出来なかった。


 寧ろ、ランにブレードはその刀剣にヒビが入り、ランは驚きを隠せなかった。


 二人のブレードの破損の差は純粋に沖津とランの『腕の差』とも取れるが、その様な差など、もはやこの状況下では蛇足以外の何事でもない。


 沖津とランは大きき後方に飛んで、彼らの額から冷や汗が滴り落ちるのを静かに待つしか無かった。


 だが、ランが破損したブレードを捨てて、予備のそれを取り出すしかやる事が無かったわけだが、その僅か隙を、目の瞬きすら長いと感じることが出来る僅かな隙をデバスは突いてきたのだ。


 10m、……ランが取ったデバスとの距離であるが、その距離を一足飛びで当のデバスは詰めてきていた。


「ガキが、ブレードの破損はお前の未熟さそのものだ。最低限、大人の猿になってからかかって来い。」


「いつの間に!! がはっ……。」


 ランはデバスの接近も、自分の鳩尾を狙ったデバスの拳の動きも目で追うことが出来なかった。


 そして、その様子に驚愕するしかない沖津と片桐先生だったが、デバスが次の行動に対して予備動作を取った瞬間に大声を発していた。


「「ラン(君)、鳩尾にもう一発来る!!」


「大人の猿がお前を心配しているぞ? 愛されているじゃないか。」


 デバスはランに声を掛けながら、ランの鳩尾に向かって先ほどと同様に拳を振り抜いていた。


 目で追えないデバスの動き、……絶体絶命。


 これをどうやって覆すのだろうか、沖津と片桐先生は絶望にも似た感情を抱いた次の瞬間、ランは俯きながらも僅かに笑っていた。


 それはランだけが絶望とは真逆の感情を抱いていたからだ。


 では、その感情に行き着いた要因は?


 それはある一人の男の言葉を思い出していたからだ。


『ガキは自分で限界を決めて、勝手に諦める。だが、もしお前がガキじゃないと言うのなら、自分だけの方法で突破してみろ。……苦手な『物体強化』に見合う効果を発揮する『形状変化』で対応すれば良いんだよ』


 ……宗吾を救出する際に沖津からかけられた言葉。


 ランは沖津にアドバイスを受けてから、今に至るこの瞬間までずっと考えていたのだ。


 『形状変化』から如何にして『物体強化』に繋げるか、……ランの出した答えは。


「俺はもうガキじゃない!!」


「何っ!? つう、……どうして俺の拳の方が、攻撃をしている側の俺がダメージを負うんだ!? ええい、もう一発!!」


「があっ!!」


 ランへの攻撃で不可解な反応を示したデバスだったが、それに動揺をしながらも再び反動をつけてランに向かって拳を放ち直した。


 するとデバスの拳はランの左頬に直撃して、当のランはその攻撃で大きく吹き飛ばされてしまった。


 あまりにも不可解なランとデバスの反応に、沖津は天井から着地の姿勢を取った片桐先生に歩み寄って小声で話しかけた。


「片桐、育成学校では『あれ』を教えているのか?」


「そんなわけないでしょ? だって、『あれ』は不確定過ぎるし、そもそも教科書に載せてないんだから。……沖津さんもやっぱりラン君が『あれ』をやったって言いたいの?」


「分からん、……だが、ははは。やはり俺はあいつを気に入っているようだ。」


 ランを見つめる沖津の目が自然と柔らかくなっていた、そしてその沖津を見る片桐先生は違和感を覚えていた。


 もしかして、この人は……。


 躊躇いつつも、この緊迫した状況下で聞いて良いものなのか。


 自分の生徒から尊敬の念を一心に浴びる防衛部隊の中隊長、この人の考えていることを聞いてしまえば、その答えをどうやってランに伝えろ、と言うのか。


 答え次第ではランがどれほどに落胆するか、片桐先生は悩まざるを得なかった。


 だが、そんな片桐先生の心情を汲んだかのように沖津は静かに口を開いた。


「……ランに期待出来るのなら、保険をかける事が出来る。」


 沖津の言葉に片桐先生は言葉を返せない、それは自分自身が答えを持っていないから。


 この状況を打開する方法が思い浮かばない。


 そして、この状況はランが考える沖津の評価そのものなのだ。


 『悩みに悩んで、捨てられないものがあり捨てざるを得ない状況』


 だが、事態は刻一刻と進展していく、沖津と片桐は吹き飛ばされたランに歩み寄るデバスの姿を捉えていた。


 ……マズい、デバスの敵意がランに向いてしまった。


 そう考えた時点で片桐先生は即座に行動していた。


「片桐!!」


「沖津さん、……ラン君をお願いします。」


 既にランの目の前まで歩み寄り、倒れ込んでいるランに上から拳を振り上げているデバス。


 この先にどんな未来が待っているのか、その予測は至って単純。


 ならば、……片桐先生の動機もまた単純だった。


「ガキだと思っていたが、どうやらお前は三人の中で最大の脅威になりそうだな。だったら真っ先に始末してやる。」


「く……、さっきの……感覚を忘れないうちに。」


「お前はモルモットに欲しいところだが、……噛み付いてきそうだからな!!」


 デバスの拳が既に振り下ろされてしまった、その先に待っているのはランの『死』。


 先ほどまでは三人に対して余裕を持って対峙していたデバスだったが、想いもよらないランの反撃に敵意が熟されてしまった現状。


 つまりデバスは本気になったのだ。


 その本気をぶつけられてしまえば、現状のランに贖う術はない。


 だからこそ、……希望を示したランを助けなくては。


 片桐先生はそんな想いを胸に、ランとデバスの間に割って入っていた!


 すると当のランは朦朧とした意識の中で、温かい温もりに包まれている感覚を覚えた。


 片桐先生がランを抱きしめていたのだ、……デバスが振り下ろした拳をその背中で受け止めながら。


「あ……ああ……ああ。ラン君、大丈夫かしら?」


「片桐先生? どうして……。」


「ちいっ!! まあいい、始末する順番が少し変わっただけだ。」


 自分の胸の中で崩れ落ちる片桐先生を見つめながらも、ランはその片桐先生に向かって吐いて捨てたようなセリフをかけるデバスに睨みつけていた。


 自分を顧みず、言葉通り命がけで教え子を守った優しい自分の先生を、そしてこの先生に対して絶望を与え続けてきたデバス。


 こいつは、こいつだけは絶対に許してはいけない。


 ランの心は闇に包まれ始めていた、……だが、そんなランに声をかける人物がいた。


 片桐先生だった。


「ラン君、私が……悪いお手本になっちゃったわね?」


「片桐先生!? もう喋ったら駄目だよ!!」


「私が怒りに任せて戦いを始めちゃったから、あなたもそれに引っ張られたのね? ……でもラン君はラン君らしくいて欲しいの。」


「駄目だよ、片桐先生! 目を閉じたら駄目だ!!」


「ふふ、やっぱりラン君は優しいのね。……ラン君は飄々としなく……ちゃ。」


 ランの胸の中で糸が切れたように崩れ落ちていった片桐先生を抱きながら、ランは言葉にならない叫び声を発していた。


 泣けば片桐先生の意識はは戻ってくるのか? 叫べば時間を巻き戻せるのか?


 答えは否、それはランにも分かっている単純な現実。


 自分の目の前でゴミでも見るかのように、片桐先生に見下した表情を取っているデバス。


 そのデバスを睨むランの目つきは今までになほどに強いものとなっていた。


 ……心が闇に支配されかかったランだったが、今度は片桐先生とは別の優しい声がランの耳に届いてきた。


「ラン、片桐はまだ助かる。だから、……しっかりと守っておけ。」


「うあ!! 沖津さんまで、……どうして?」


 沖津だ、沖津がランを蹴り飛ばしてきたのだ。


 そして沖津はランたちをデバスから引き離すと、その勢いを保ったままデバスを羽交い締めにしてた。


「ラン、良く見ておくんだ。これが捨てるべきものを捨てきれなかった男の末路だ。……お前に出会えて良かったよ。」


 沖津はデバスを逃がさないために、すべての力を出し切る覚悟でこのエイリアンを羽交い締めにしていた。


 だが、その様子とは裏腹にその表情は穏やかなもので、ランを見つめる目は何かを覚悟した、縛られていたものから解き放たれたような。


 そんな目をしている。


 ランはこの沖津の様子に心が不安で満ちていく。


 この人はこれから何をしようと言うのか、俺の目の前で何が起こるのか?


 その答えはいつ訪れるのか?


 自分を守ってくれた片桐先生とデバスを羽交い締めにする沖津を交互に見ながら、その答えを探し出そうとしていたのだ。


 ……そして自分が『出したくない答え』にランは辿り着くと、ただただ沖津を見つめるだけになっていた。


「ぬおおおお、地球人風情が! お前のこの行動に何の意味がある!?」


「……俺はお前の正体がエイリアンだと言う事は想定出来なかった。だが、……この状況を想定していなかったとでも?」


「何っ!?」


「お前の方が俺たちよりも強い、と言う可能性も考慮していたと言う事だ!! …………香月、やってくれ。」


『……了解。』


「これは、……通信? それに今の声は香月先生。何がどうなっているんだ!!」


「ラン、……後は頼んだぞ?」


 ランに耳に届いた聞き覚えのある声、そしてその声の主に何かを頼んだ沖津。


 二人の間には外部の干渉を一切として受け付けない、二人だけの時間が流れていた。


 ランはその中で沖津に聞くべきことがあり、それを問いただそうとするも声を出せずにいた。


 ……沖津は死ぬ気だ、ランは手を伸ばしても物理的に届かない距離にいる沖津に向かって手を伸ばすも、その手は空を切る。


 自分の行為に虚しさを覚えると、ランはその目から涙を走らせながら小声で男の名前を呟いていた。


「沖津さん……。」

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