第5話演習、始まる

=ランの自宅アパート=


ランは自宅のアパートに到着して早々に担ぎ込んだ修二を手際良く布団に寝かせて、漸く一息吐くことが出来た。


そして部屋の壁にもたれ掛かって自分で入れたインスタントコーヒーに口を付けながら寝息を吐く修二を視界に入れて見た。


「色気のない光景だ…、これじゃあ明日の演習に向けて戦術を練れそうにないな。」


ランは愚痴をこぼしてからインスタントコーヒーの二口目を口に含んで、その味を確認しながら喉を通してみた。


味がしない、だがそれは別段味覚に異常を感じるわけではない。


自分の友達を、友達のプライドを土足で踏みにじられたと言う事実を実感することが出来る光景が自室の風景に溶け込んでいるのだから。


ランがぼんやりと視線を床に向けると、ふと自分に向けられた声が耳に届いてきた。


「…ラン?ここは……お前の部屋か。俺はどうしてここに?」


「目が覚めたのか、…道端で倒れているお前を担ぎ込んだんだよ。」


ランは言葉を濁しながら現場に至るまでの経緯を修二に説明した。


言えるわけがない、それを言ったら修二のプライドはへし折られるのでは、とランは思ったのだ。


すると修二の口からランにとって予想外の言葉が帰ってきた。


「…ああ、俺は神社でドウリキに挑んで負けたんだったな。それがまさかランにまで迷惑を掛けるなんてな。」


「お前、…悔しくないのか?」


「悔しいに決まっているだろ?だけど俺は底辺を味わったことのある男だからな、一度や二度の惨敗なんかでへし折れるプライドなんて無いさ。確かにチーム戦の時は悔しかったけど…あんなもんは少し愚痴ったら、紙に包んでゴミ箱にでも入れるさ。」


「…修二。」


「だけどその負けを忘れるわけじゃ無いぞ?それは俺にとって経験であり財産だ。俺に出来ることはその経験を活かして次の演習で臨むだけだろ?」


「…お前凄いわ。自分に負けた男に悔しさを覚えるなんて…俺もどうかしてるな?」


ランの口から出た言葉は純粋なまでの修二に対する称賛だった、寧ろ尊敬の念を込めた言葉かもしれない。


自分を測りかねる、おそらく今の自分の表情を鏡で確認したら自分は奇妙な面持ちになっているのだろうとランは考えていた。


「俺のことを馬鹿にして無いか?」


「純粋に修二は凄いと思ったんだけどな?だって実戦に投入されたら否応なくプライドなんてものはへし折られるだろうに、そんなことは早いか遅いかの違いだからな。だったら早めに経験しとくに越した事は無いだろう。」


「へえ…、ランの弱音なんて初めて聞いたよ。じゃあ俺はお前よりも実戦向きってことか!」


「…悔しいけどその通りだな。修二は実戦向きだよ、…泥を啜ってでも這い上がろうと言う気概がある。」


「少しは皮肉を入れろよ…、聞いてるこっちが恥ずかしくなるだろ?」


ランは遠くの未来に興味がない、それは彼自身が目の前にあるものしか守ることの出来ない人間だと思っているからだ。


目の前にある、手の届く範囲の人間を守る。


寧ろそれで十分だとも思っている。


…余計な範囲に手を出すと、本来守れていたものさえもその手から落ちていくのでは心配になるのだ。


育成学校では最強の強さを誇っていても、その現実はいつかランに訪れるだろう。


だから…、そんな望まない現実を仮定した遠い未来にランは興味を持ちたくないのだ。


だが目の前にいる明らかに自分よりも弱い男はランが恐れているものをいとも簡単に克服している。


自分のプライドと言う人として最も守りたいものをへし折られても、それでも尚、前に突き進もうとしているのだから。


「…それにしてもランの部屋に来るのは久しぶりだな。相変わらず色気のない部屋だよ。」


「俺もそう思ったよ…、だって一緒いるのがお前だけだぞ?」


修二はランに言いたいことを言い尽くしたのか視線をから天井に切り替えてから、一言だけ謝ってきた。


「悪い、…これから泣くわ。やっぱり二回連続でお前以外の奴に負けるのは流石に堪えたらしい。」


「近所迷惑にならない程度になら良いさ…。」


「そうか、…うおおお…うわあああああああああああ…、ああ!!」


自室で周囲の目も気にすることなく泣きじゃくるクラスメイトを見てランはドウリキのことを思い出していた。


ドウリキは純粋に強いことは疑いようもないことだ、だがそれでもランには許せないことがあった。


…それはドウリキの明らかな反則行為。


ランは修二がドウリキに負けてから過去の演習の録画に目を通していた。


修二がドウリキに助っ人を頼んで挑んだチームRとの演習、あそこでドウリキは誤爆と見せかけて仲間であるはずの修二に怪我を負わせていた。


これは録画でレンジの動きを見ていて気付いたことだ、演習にレンジが修二のフォローをする回数が多過ぎたのだ。


この事実にレンジはおそらく気付いている、だがチームメイトが何も言わないのであればランがそれを口にするわけにはいかない。


それに創也の言っていた『アルテミドラッグ』の影、こちらについては確証を持てない話ではあるが。


それでも考えれば考えるほどにその存在が色濃くなっていく、…ランは次の演習でドウリキに問いたださねばならないと思った。


「明日の演習、修二は絶対に観ろよ?」


ランの言葉に修二からの返事はなかった、たがそれを確認する必要性を感じなかったランはそのまま目を閉じた。


そして眠りについたランに修二は一言だけ言葉を送って彼もまた目を閉じる。


「…お前が負けないから俺は頑張れるんだ。だから負けるなよ?」


そのまま静かに夜が深け、演習を迎える朝が来るまで二人は泥のように眠りにつくのだった。


=日本防衛軍特別育成学校 演習控え室チームR=


「…と言うわけで、二人には雑用に徹して欲しいんだけど…どうかな?」


「…うん、確かにこれならゴウリキも守備を捨てざるをえないか。俺は構わないよ。」


「私も問題ないんだけど、…これって序盤はランが集中砲火を受けるんじゃないの?」


「そうだね、本来なら相手が守備的なスタイルだから焦れるのを待ちたいけど、演習には時間制限があるから。そうなるとこっちが動かないと崩れないだろ?寧ろ俺は誘導役だからただ捌いていれば良い、詰まるところ対応はシンプルなんだ。」


「うーん…、スナイパーとしての意見を言えば本当に一瞬しかチャンスがないのはキツいけど。…でも分かった、ランがそこまで言うならやるよ。」


ランがチームDとの演習直前のブリーフィングで創也とエリに伝えたい作戦は、序盤は露払いに徹すると言う内容だった。


相手のチームリーダーが守備的なアタッカーであり、そのリーダーを守るチームメイトがこれまた守備的なポジションで固められている。


その上、その中にトラッパーが三人もいれば、時間が経つにつれてチームSの面々は仕事がしづらくなってくるだろう。


そこから考えたランの戦術は『演習の開始と共に敵リーダーを孤立させる』だったのだ。


「ラン、念のための確認だけど俺たちはチームDよりも上位チームだから態々攻める必要はない筈だけど…それについては?」


創也の意見はもっともなものだった。


この育成学校での演習には引き分けという結果は存在しない。


そして勝敗の決定方法は至って単純で相手チームのリーダーが戦線から脱落した場合である。


だが演習に制限時間が設定されている時点でこの『基本的なルール』は破綻することになる、それは制限時間が経過しても両チームのリーダーが生き残っていた場合だ。


その場合は脱落したメンバーの少ないチームが勝利となるのだ。


だがそれでも脱落したメンバーが同数だった場合は?


その場合は演習開始時点で上位の順位にいるチームが勝利となるのだ。


「極端な話をすると俺たちはずっと隠れていればリスクは少ないだろうね。それなら修二はどうして攻めたのかな?おそらく修二は自分が怪我をしていたから終盤に勝負を挑もうとしたはずだ、にも関わらずレンジとマキを人質に取られて勝負をかけるタイミングを早めざるを得なくなった。」


「私も録画を見たけどレンジは派手に攻めていたけど、マキちゃんはずっと潜伏してたんだよね。…見つかり方が不自然だったように思えたわ。」


「エリの感じた違和感は正しいと思うよ。これは俺の推測だけどスナイパーは対戦相手のリーダーに確実に止めを刺せる状況までは出てこないと思うんだ。」


「ランはチームDのスナイパーは観測手だと読んでるんだね?」


「確証は無いけどね、だから二人には最初から居場所がバレていると思って動いて欲しいんだ。」


「創也、了解した。エリは…聞くまでも無いか?」


「エリも了解。だって私にランにお任せだから。」


チームRはいつもと変わらない雰囲気の中でブリーフィングを終了させた。


それぞれに戦術を頭に叩き込んでそれぞれの役割を理解すると、三人は演習場へ移動するための滑り台に移動を開始する。


演習場にはこの蓋が掛かっている滑り台を使って移動することになっている、そしてその滑り台の先が演習場の何処に繋がっているかは演習ごとにランダムに設定されている為に運次第となる。


そして演習開始の時間になると滑り台の蓋が開いて演習場への移動が可能となるのだ。


…演習開始まで残り十秒。


ここからはそれぞれが自分たちのプレッシャーと戦う時間となる。


それは例えAクラスの1位であっても変わらないことである。


「後はこの先がどこに繋がっているか、…これだけは毎度運次第だな。」


「大丈夫だよ。だってランが考えた作戦なんだから。」


「ランは移動後即突っ込むんだからブレードの準備はしておけよ?」


三人は最後の確認を済ませると同時に滑り台の蓋が開いた、…演習開始である。


すると三人は一斉に滑り台に入って演習場への移動を開始した。


今回のチームRとチームDの総勢は9名、9名の生徒が600m×600mの演習場へ姿を現した。

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