第21話大人

=ランの自宅アパート付近にある河川敷=


自分にはどうして力がないのだろうか。


自分の周りにいる人だけを守れればそれで良い。


それ以外を守ろうとすれば、自分が守りたかったモノさえもその手で掴みきれなくなる。


だからこそ、守りたいモノを増やすべきではなかった……、にも関わらず彼はあの時だけはその考えを貫けなかった。


香月先生の喉元に突きつけられたブレード、あの光景を目にしてから自分の心に湧き上がる熱量を感じ取っていた。


そして抑えきれなかった自分の気持ち、そして結果的に守れなかったモノ。


彼は流れる川の波紋を見つめながら、自分が取った行動を振り返っていた。


「……香月先生。」


ランは守りたかった人の名前を呟くも、その人は既に沖津率いる中隊によって連行された『らしい』。


ランは自分の繰り出した攻撃を沖津によって、カウンターとして自分の体で受けてしまった。


そして気を失ったランが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。


普段と変わらない笑顔で接してくる片桐先生、いつもの口調で話しかけてくるチームメイトの創也とエリ、そしていつもの調子で話しかけてくる修二らライバルたち。


それらの『普段』が沖津との戦闘で負けたと言う、普段ではあり得ない状況とその結果から現実味を薄れさせる。


だが、誰が悪いわけでもない、誰かを責めたいわけでもない、誰かに責めてもらいたいわけでもない。


だただた自分に残ったものが現実味のない悔しさと後悔の念だけだという事実。


これらがランの頭の中に残留物として溜まり、彼の思考を停止させているだけなのだから。


今は誰とも話したくない、それがランの本音である。


だが、そんなランに後ろから声をかける人物がいた。


「……もう少し骨のある生徒だと思っていたがな。こんなところで何をしているのやら。」


ランはその声のする方を振り向くと、思いも寄らない人物がそこに立っていたのだ。


……防衛中隊長である沖津だ。


「あんたは……沖津……中隊長?」


「なんだ、名前を覚えていたか。……上出来だ。」


「……どうして俺を拘束しなかったんですか?」


「香月が身を盾にして守ろうとした生徒をどうして俺が拘束する必要があるんだ?」


「……あんたは正規の防衛隊員でしょうが……。」


「これは一本取られたな……、そのことを忘れていたよ。」


風が吹いて落ち葉が舞い上がる河川敷で沖津は穏やかに笑いながら頭を掻いていた。


そして、そんな沖津の仕草に興味が無くなったのか、それとも元々無かったのか。


ランは視線を河川敷に戻して無言の状態に戻っていた。


……二人の男の間には沈黙が続いた。


そしてその沈黙を破ったのは先に無言の状態になったランだった。


「……あの後、香月先生はどうなったんですか?」


「知りたいなら車に乗れ、教えてやろう。」


沖津は近くに停車させていた彼の車に視線を向けてランに同乗を促す仕草を見せる、そしてランはただそれに従うだけだった。


=都内某所にあるとあるマンション=


「……どこまで行くんですか?」


「ここは俺のマンションでな……、同期の香月とは良くココで酒を飲んだものさ。」


「……あんたが個人的な感情で先生を捉えたわけじゃないことは俺だって分かっているよ。」


「……今回の件については上には『標的は死亡した』、と伝えてある。」


沖津は淡々とした口調で今回の顛末をランに伝えてきた、……それはランにも理解だけは出来る。


……理解だけは。


ほんの数時間の付き合いではあったが、それでも生徒に本気で向き合った優しい香月先生を思い出すと、ランには後悔の念しか残るものはなかった。


だが、沖津はランにとって想定外の言葉を口にした。


「……俺はな、中隊長なんて大層な肩書を持っている割には感情的なんだよ。」


「……それはどう言う意味だよ?」


「そのままさ、……それに俺に影響されてか部隊の連中も同じ様な傾向にあるんだ。」


沖津は今回の任務に感情を優先させた、と言っているのだ。


……それは香月を殺した事を指しているのだろうか?


ランの中に一つの疑念が生まれた……、そして彼の目つきは殺気に満ち溢れだしたのだ。


「あんたの強さには素直に憧れたんだけどな、……だけど、それは強さ『だけ』だと言うことがよく分かったよ。」


「ふう、……俺がここにお前を連れてきた理由を考えてみろ? 俺はお前を殺さなかった、それが事実なんだよ。」


沖津はランをこのマンションに連れてくるために自分を殺さなかった、と言っている。


そしてその理由を考えろ、と言っているわけだが、当のランはその事を考えるだけの冷静さを失っていた。


ランのこの様子を見てか、沖津は『失敗したな。』とだけ口にしてからマンションのドアを開けた。


するとランに視線は沖津が開けたドアの奥にいる人物に吸い込まれる事になるのだった。


「……香月先生!? どうしてここに!!」


「やあ、ラン君。何やら人でも殺しそうな顔つきになっていますね? ……さては沖津が何か悪さでもしましたか?」


「こいつの反応が面白くてな。嘘を吐かない範囲で弄っただけだよ。」


先日の様な戦闘を繰り広げておきながら、何事も無かったかのように会話をする二人を目の当たりにして、ランはその光景を目を見開きながら見つめていた。


「あんた、……さっき感情を優先させたって言ったよな!?」


「そうさ? 感情的になって香月を助けたんだ、それのどこが可笑しい?」


「……ああ、あんたってこういう奴だったのか。……意地の悪い奴だな、嫌いだ。」


ランは沖津からそっぽを向いて文句を言うが、その彼の様子が嬉しかったのか、香月先生は優しい表情を浮かべながらランに話しかけてきた。


「大よその検討は付きました。沖津の悪い癖が出たんですね、こいつは気に入った相手をからかうんです。」


「これでも中隊長だからな、部下とのコニュニケーションを大事にしているんだよ。それよりもランだったか、お前も中に入れ。」


「くそお、……中に入ると負けた気分になっちゃうよ。」


「ラン君もそう言わずに入って下さい。沖津には私が後で文句を言っておきますから。」


ランはブツブツと文句を言うも、香月先生と沖津の言われるがままに部屋に入っていくのだった。



=沖津の自宅マンション=


ランは沖津の部屋に入るなり、その部屋の全貌を見回してみた。


しかしランがどれほど見回そうとも、確認しようとも感想は一つしか思い浮かばなかったのだ。


「……なんにも無いじゃないか。必要最低限の家電と衣服、……それに武器だけか。」


「ラン、お前も育成学校の生徒なんだから覚えておけ。正規の防衛部隊で隊長格になると余計な私物は必要なくなるんだよ。」


「どう言う事?」


「隊長格は部下の命を預かるんだ、だったら余計な物は要らないんだよ。部下の命以外に囚われたら駄目なんだ。」


「……沖津の持論ですね。ラン君、全ての隊長格がそうとは限りませんが、大なり小なり同じ様な覚悟をしているんですよ。」


ランは二人の話を聞いてから改めて部屋を見回すと、自分にも同じ覚悟があることに気が付いた。


……創也とエリだ。


もしもチームメイトの二人の命を預かることが自分にあったならが、自分もまた同じような覚悟をするのではないか、ランはそう思ったのだ。


「……だったらこんな広い部屋を買う必要は無いだろうに。」


「ガキが言ってくれるな……。」


「はははっ、ラン君に一本取られてしまいましたね。……ですが二人とも、まずは座りませんか? 新しく手に入った情報があるんですよ。」


「香月、お前は俺を事前に懐柔するだけじゃ飽きたらず、今度は何をしたんだ?」


「香月先生っていつの間にこの人と話を付けたんですか?」


「……育成学校の医療室へ移動する前に山小屋に置き手紙をしておいたんですよ。」


ランは開いた口が塞がらなかった、だがそれは仕方のない事だろう。


何しろ、山小屋のランたちチームRの面々にはそんなことを確認するだけの余裕がなかったのだから。


あの絶体絶命にしか思えなかった状態で香月先生は、敵の隊長格に対して置き手紙だけで交渉をしていたと言うのだから、ランには驚く以外になかったのだ。


「香月先生ってギャンブラーだったんですか?」


「……沖津なら乗ってくれるとは思いましたが、確証はありませんでしたね。」


「だろうな……、だからお前はこいつらには何も言わなかったんだろ?」


沖津は煙草を口に咥えて火を付けると、静かに煙を吐いた。


そして一息付けたからか、それともこの状況下では既に現状の話題がこれ以上は無駄だと感じたのか。


彼は香月先生に向かって別の話題を切り出した。


「香月、それでお前は今日まで調べたことを話すんじゃなかったのか? ……そのためにランをここに連れてきたんだ。」


「忘れていませんよ。……沖津は本当にせっかちですね。ただラン君には少しだけ酷な話ですから、躊躇っていたんですよ。」


「……俺をここに呼んだ理由ですか?」


ランが二人の言葉の意味が分からず、その意味を探るかのように沖津と香月先生の顔を交互に見ていると、当の香月先生は諦めたような表情をしながら大きくため息を吐いた。


「はあ……、ラン君。君の友達にマキさん、と言う女の子がいますね?」


「マキですか? はい、いますけど。マキがどうしたんですか?」


「……先日、マキさんのお姉さんがアルテミ研究所で亡くなりました。死因はアルテミドラッグの人体実験です。」

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