第23話片桐先生
=河川敷=
ロングコートにロンドンバッグ、長い髪を風に靡かせながら、まるで遠くに旅立つかのような、そんな後ろ姿。
その視線はどこか遠くを見つめるだけで焦点はどこにも合っていない、彼女は孤独を感じていた。
ランが沖津に敗れてから育成学校に辞表を出して、誰にも退職の挨拶をすることもなく片桐先生は学校を後にしていた。
どこにも行く宛はない、いやあるにはあるがそこだけは絶対に行くわけにはいかない。
そもそもが本人は行きたくないのだ。
「やっぱり、あれは使っちゃいけなかったのよ……、教師、いや人間失格ね。」
自責の念から自分自身を最低と表する片桐先生は後先を考えていなかった。
このまま諦めて良いのなら自分自身さえも諦めたい、だがその前にやるべきこともある。
彼女は急いていた。
「……父さんに……いえ、あの最低な研究者だけは何とかしないと。」
だが、急いていながら彼女がすぐに学校を辞さなかった理由があった、それは彼女の戦闘スタイルにある。
今後の計画に戦力が必要と判断した片桐先生は自分の武器を調整する必要があった。
だが、彼女の武器があまりにも特殊なものだったため、その調整にはある程度の設備が必要なのだ。
彼女は教育のためではなく、自分の目的のために学校に居残ったのだ。
一度目を瞑り教師だった自分の過去を振り返ると、脳裏には生徒と楽しそうに会話をする自分の姿が焼き付いていた。
その記憶に涙するも、絶え間なく流れ出てくる涙を拭き取ると彼女は自然と決意を固めることが出来た。
「私にだって守りたいものあるの、……あの男はそれを壊そうとしている。絶対に許さない。…………え?」
片桐先生は涙を拭き取り、歩くために視線を上げるとその先には人影があった。
……修二とレンジだ。
「先生、辞めるんですか? さっきレンジと職員室に行ったら他の先生たちが騒いでたんで。」
「……先生に相談したいことがあったんだけど、その様子だと無理そうかな?」
片桐先生に向ける二人の視線には非難の色は見えない、ただ哀愁が漂っているだけである。
そんな二人に片桐先生はふと疑問を抱いていた、……マキの姿が見当たらないのだ。
片桐先生は修二にレンジ、そしてマキが常に三人で行動を共にしている印象を持っていたのだ、……それはまさにランたちチームRと同じように。
この三人の絆こそが片桐先生が修二たちに肩入れをしている理由だったのだから。
教師という立場からすると特定の生徒に肩入れをすることは決して誉められたことではないだろう、だがこのチームSは入学当初に劣等のレッテルを張られながらも這い上がってきた。
その糧となったものがその絆だった、それは一見真逆に見える入学当初からトップを維持し続けるチームRと同じものを糧にしているのだ。
育成学校に入学するとその時点で生徒はアルテミへの適合を数値という媒体で突きつけられる。
それはとても合理的なシステムではあるが、逆に生徒たちへ先入観を植え付けることになる弊害もある。
優等だと言われた生徒はその才能に溺れ、劣等を突きつけられた生徒は諦めにも似た感情を心に植え付けられることが多い。
だがチームSはそんな先入観を振り払って全力で駆け上がってきた、片桐先生が彼らに肩入れをするには十分な理由だった、……そしてその三人とチームRの関係は必然的に他の生徒たちにも影響を与えた。
この事実に笑顔でいられない教師などいるのだろうか、……答えは否。
気が付けば育成学校全体が変わっていた、……それが逆説的にドウリキという例外を生むことになっても片桐には誇らしいことだった。
……そんな三人の内、マキだけが欠けている。そこから片桐先生は一つの答えを導きだしていた。
「……そう。マキさんに何かあったの?」
「それが何かがあったとか言うよりも、何が起きたかが分からないですよ。」
「……どうもあいつのお姉さんが音信不通らしいんだ。あいつに元気が無いと俺とレンジも調子が上がらないって言うか、とにかくそのお姉さんは防衛隊員らしいから先生に聞けば何か分かるかなって思ったんだ。」
片桐先生はマキの姉と面識があった、そもそも防衛隊員と言うことは育成学校の卒業生である可能性が高いわけで。
要はマキの姉・マリは片桐先生の教え子だと言うことである。
「そうね……、私には何も話が入ってきてないけど。で、もそれなら家族なんだし軍に問い合わせることも出来るんじゃないの?」
「それが門前払いだったらしいんです。何でもマキの姉さんはどこかの研究施設に転属になったとかで、機密事項だから教えられないって。」
「レンジ、門前にすら立たせて貰えなかったじゃないか!! 近づいたら射殺されそうな空気だったぞ!?」
いくら軍とは言え明らかに過剰な反応、それはマキの姉に不測の事態が起こったということだろう。
片桐は修二とレンジの会話から、とある施設を思い浮かべていた。
――――アルテミ研究所だ。
ドウリキの事情聴取の際に訪れた場所、そこは片桐先生にとっても嫌な思い出がある場所だった、……それは誰にも話したことのない彼女に纏わる負の思い出。
今だに払拭出来ない過去の憎悪、……目の前にいる片桐先生を純粋に慕う修二とレンジにも想像だに出来ない出来事。
片桐先生にはマキの姉に何が怒っているかが直感で理解出来た、だが、それは修二たちに伝えるにはあまりにも残酷な事実。
気が付けば片桐先生は修二とレンジがいるにも関わらず、湧き上がる負の感情を抑えられなくなっていた。
血が滲み出るほどに両の拳を力強く握りしめる彼女の表情は何を表しているのか?
怒り、悲しみ、悔しさ、あらゆる負の感情を何処にぶつければ良いかわ分からず、もがき苦しんでいるのだろう。
そしてその片桐の変貌ぶりに修二とレンジは何を口にして良いか分からなっていた。
風なびく河川敷で三人の時間が停止した。
……するとその三人に近づいてくる人影があった、その人影は片桐先生の後ろから近づくものであり、最初に気付いたのは修二とレンジだった。
そしてレンジはその人影の正体に気付くと咄嗟に声を上げていた。
「創也とエリか……、もう一人は誰だったかな? 見覚えがるんだけど……。」
「ん? ああ、あれって香月先生だろ。俺たちも一年の時に色々と相談に乗ってもらったじゃないか。」
「ああ!! そうだ、いつの間にか育成学校を辞めたから俺もショックだったんだよ!! おーい!! 香月先生、お久しぶりです!!」
修二たちが声を上げると、片桐先生の肩がピクリと動いた。
そしていつの間にか彼女の表情は憑き物が落ちたかの如く、穏やかなものに変わっていた、……気が付けば目から大粒の涙がこぼれ落ち、その涙を隠すべくその顔を両手で覆っていたのだ。
「香月……先……生?」
「おわあ!! 片桐先生、どうしたんですか!?」
「お、おい!! レンジ、これってどうすれば良いんだよ?」
溢れ出る涙を抑えながら、全身から力が抜けていく感覚を覚えて片桐先生はその場で膝をついていた。
優しく、純粋に優しく、その優しさからドウリキの育成に真剣に悩んだ。
その姿があまりにも憐れに映り、少しでも彼の助けになればと言う純粋な恋心から自分の過去を縛ったクスリを渡してしまった。
その結果が彼を懲戒免職と言う立場に追いやっただけではなく、ランたちチームRの面々を守るため、正規の防衛部隊においても腕利きで知られる沖津中隊に一人突っ込んだ男。
その香月先生が生きていた、と言う事実は片桐先生にとって涙を流すには十分な、……いや、過剰とも言えるだろう。
彼女に巻きついている負の鎖を切断するには十分な出来事だった。
「やあ、修二君と蓮二君ですか。私のことを覚えていてくれたんですね?」
「いやあ……、香月先生と再会出来たのは嬉しいんだけど、この状況ってどうなんですか?」
「レンジに分からないんだったら……俺に分かるわけないだろ!?」
「おや? 片桐先生は泣いているんですか?」
「香月先生も鈍感だよね?」
「エリも、今はそれどころじゃないだろ? ……言わんとしていることは分かるけど、とにかく今は急がないと。」
「うーん、創也君の言う通りなんですけどね。片桐先生、今はあなたの力が必要なんです。申し訳ありませんが、私と一緒にいて貰いたんですけど、……駄目でしょうか?」
香月先生は崩れ落ちている片桐先生の肩に優しく手を置いて声をかけた。
すると片桐先生はさらに大粒の涙を零しながら、振り向きざまに香月先生を抱きしめていたのだ。
そして、片桐先生は香月先生にだけ聴こえる声で呟いていた。
「どこへでも付いていきます。……あなたの事が好きなんです。」
そして香月先生は突然の告白に驚きながらも、片桐先生の体を強く抱きしめ返しながら言葉を口にするのだった。
「ええ、私もずっとあなたに救われていました。だからあなたを縛る過去を一緒に叩き潰しに行きましょう。」
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