第15話 京へと向かう道

 他の源氏に先駆けて京へ入った木曾義仲だったが、その天下人とは程遠い状況に苛立ちを隠せなかった。

 後白河法皇の命により福原まで進攻したが、すでに平家の主力は大宰府まで落ち延び、屋島に残った別働軍には手痛い敗戦を被った。しかも庇護していた筈の新宮行家に、空き家を狙うような真似をされたのである。


「新宮めは平家に打ち破られ、また行方を晦ましたようです」

 今井兼平から報告を受けた義仲は多少なりと腹が癒えた気がした。


「いかに叔父とはいえ、あのような不実な者を味方と思ったは義仲の不覚。こうなれば我らのみで京を治めるのだ」

 義仲は残った将領を集め、固い表情で言った。しかし京入りの際に数万を数えたその兵数は、今や千騎を切るところまで減っている。

 苛立ちと焦りが義仲の頬を削げさせた。


 壱岐 判官ほうがん知康が僧兵、地侍を集め、反木曾の兵をあげたのもこの頃である。鼓の名手であることから鼓判官と呼ばれるが、知康は決して武人ではない。決起したものの、一夜と持たず鎮圧された。


「後白河め。小細工を弄しおって」

 燃え上がる知康の屋敷の前で、義仲は歯がみした。この反乱の裏に後白河法皇がいるのは明らかだったからだ。事実、小規模な軍事蜂起はこの後も続く。

 もはや義仲の周囲には敵しかいなかった。



 そんな義仲に最悪の凶報が届いた。

「鎌倉の頼朝が、京へ向けて軍を発した」

 弟、範頼と義経を大将軍として六万騎で進軍中だというのである。


「誰だ、その義経というのは」

 義仲は首をかしげた。範頼はお飾り程度の凡庸人だという噂が伝わっていたが、義経という名前は初耳だった。

「奥州に逃れていた者だと聞きました」

 兼平もその程度しか知らなかった。だが奥州藤原氏を後ろ盾としているなら、決して容易な相手ではないだろう。


「とにかく、もっと兵が欲しい」

 血走った目で、義仲は呻くように言った。


 ☆


 知盛が屋島において着実に勢力を拡大しているのに引き換え、大宰府へ向かった宗盛らの方は至ってはかばかしくない。

 九州の大族、緒方 惟義これよしを呼び寄せようとしたが、惟義は情勢の推移を伺うかのように、返事を明確にしなかった。


「せめて敵対しなければ、良しとすべきだ」

 そう考えていた忠度の前で事態は一変した。


「源氏の甘言に乗せられた大鼻め。鼻が邪魔で世の道理が見えぬか。愚か者が」

 のらりくらりと返答をはぐらかす惟義の使者に対し、業を煮やした時忠が惟義の容貌を嘲る暴言を吐いたのだ。怒った使者は憤然と席を立つ。

 当然、交渉は決裂した。


「さすが時忠どの。よくぞ言われた。この宗盛もすっきりしましたぞ」

 宗盛も事態の重大さを理解せず、お気楽に笑っている。


「あいつら、斬って捨ててやろうか」

 佩刀に手をかけ重衡しげひらが腰を浮かせる。忠度は重衡の帯を掴み、引き戻す。

「もう遅い。いまは次の手立てを考えねばならん」

「次の、とは」

「緒方惟義を迎え撃つか、逃げるかだ」


 ☆


 小舟を中心とした、うらぶれた船団が屋島沖を進んで来る。

「あれはなんだ。なあ知盛、ちょっと襲って来てもいいか」

「やめろ教経。おまえは海賊か」


「使者が来ました。あれは大宰府にいた方たちです!」

 望楼の下に走ってきた佑音が、知盛に呼び掛けた。

 安徳帝以下、大宰府に行在所を作ろうとしていた平家一門は、緒方惟義を中心とした軍勢に攻め込まれ、ほとんど一戦もせず海上に逃げたのだった。


「やはり、こんな事になったか」

 知盛は思わず手摺りを殴りつける。結局、九州の反平家勢力の蜂起を促しただけだったではないか。


「まあ、兵力が増えたと思えば、いいのではないか」

 暗い表情になった知盛に、教経も掛ける言葉が他になかった。しかし知盛は首を横に振る。

「武器も、糧食も……戦意すら持たないものを大勢抱え込んだだけだ」

 はっきり言って足手まといでしかない。だがそれよりも、また宗盛、時忠と顔を合わせなければならないのが不愉快で仕方ないのだった。


「建礼門院さまにご挨拶に行きましょう。きっと長旅でお疲れです」

 佑音は望楼を降りた知盛の手をとった。

「……そうだな」

 やっと、知盛の顔に笑みが浮かんだ。



「これは知盛どの。お出迎えご苦労」

 湊に向かうと、従者に囲まれた宗盛が船から降りてくるところだった。


「海に蹴落としてもいいですか」

 佑音は知盛にささやく。

「教経みたいな事を言うのはやめてくれ。それに、そういう事はおれにやらせろ」


 ふたりのやり取りが聞こえなかった宗盛は首をかしげた。

「さっそく朝議を開きたい。どこか、良い場所はあるかな」

 宗盛は海岸を見回した。兵が寝泊まりする簡単な小屋が立ち並んでいるが、大勢を収容できる建物は見当たらない。


「では、この先の寺で」

 知盛は山の中腹にある古い寺院を指差す。



「こうして、また共に暮らせることを喜ばしく思うぞ」

 集まった平家一門を前に、開口いちばん宗盛は言った。


 正気か、知盛は口の中で罵る。この男には自分たちが九州で犯した失態に対して、何の反省も無いらしい。

 居並ぶのは宗盛の他、二位の尼、時忠、建礼門院。維盛、重衡、忠度である。他にまだ若い公達らも僅かにいるが、これに知盛、教経、通盛を加えたものが、現在の平氏一門の主要な人々だった。


「ここに、木曾義仲からの密書がある」

 なぜか得意げに、時忠が白木の三方さんぽう(三宝)に置いた一通の書状を示した。

「知盛どのも読んでみるがいい」


 書状に目を走らせた知盛は、黙ってそれを三方に戻した。

 自分を落ち着かせるように、ふうっと大きく息をつく。

「まさか、お受けなさるつもりではないでしょうな」


「何を言う。悪くない話だぞ。木曾義仲め、窮したと見えて、我らに共闘を申し入れてきたのじゃからな」

 軽躁な宗盛の声を聞くと、知盛は頭痛を覚えた。

「読んでの通り、三種の神器と共に京に入る事を妨げはしないと書いてある。叛逆者である鎌倉の頼朝を討つのにも、義仲は力を貸してくれるというのだ。これを受けない理由があろうか」


「よろしいですか」

 知盛は居住まいを正し、すっと前に出た。


「そもそも叛逆者とは誰か。かの義仲こそ、我らを京より退去させた元凶ではないか。許しを乞うというのなら、義仲は自ら縄し、我らが前に降人としてひれ伏すべきです」

 知盛は正面の宗盛を見据える。その迫力に宗盛はがくがくと頷いた。


「奴は三種の神器を手にし、新たな天皇を立てるのが目的。奴が欲しているのは、ただ我らの兵と朝廷の権威だけ。ともに世を治めようなどという気はさらさら無い。そのような者の戯言を聞く必要など、一切ありません」


 義仲の兵が行った乱暴狼藉の数々によって、洛中の人心はすっかり彼から離れてしまっている。今更そのような者と手を結ぶなど、言語同断の沙汰である。


「京は、我らが独力で奪還しなくてはなりません」

 知盛は義仲の密書を手に取ると、真っ二つに引き裂いた。


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