第11話 平家一門の都落ち

 京へ帰還した知盛は時を置かず、主だった将領を呼び集めた。

 三位中将 重衡しげひら、能登守教経、その兄で越前三位 通盛みちもり。そして薩摩守忠度である。


「木曾の侵攻に備えねばなりません」

 知盛が口を開いた。

 義仲は傷を負ったとは云え、もとより京への進軍を止める筈もない。進路にあたる比叡山の動向を見極めるまで、一時的に軍を留めているに過ぎない。


「叡山の奴らが、木曾の後方を衝いてくれれば良いのだがな」

 教経が腕組みをする。

「いや。それは……無理だろうね」

 控えめに声を上げたのは通盛だった。武張った事が苦手な通盛だが、その分、朝廷内の事情に詳しかった。


「何故だ。南都はともかく、叡山相手に問題は起きていない筈だ」

 重衡が不思議そうに首をかしげる。

「まあ、南都はな……」

 知盛はもの言いたげに重衡を見た。南都の寺院を焼き払い、仏敵として憎悪を一身に集めているのは、他ならぬこの重衡だった。


「原因は宗盛公なのだ」

 通盛は苦々し気に言った。

「あの男みずから、叡山に宛てて手紙を書いたのだが、その内容のあまりの傲慢さに宗徒は激怒しているらしい」

「逆効果だったというのか」

 一同は揃って小さくため息をついた。


「ああ、だがまだ叡山が木曾方に付くと決まった訳ではないが……」

 途端に暗くなった雰囲気に、通盛が慌てて取り繕う。

「そうだな。木曾義仲が宗盛以上の阿呆であることを祈ろう」

 忠度が言うと、やっと笑いが起こった。だがそれは、ひどく乾いたものだった。



「では、各々の配置を」

 知盛は絵図を拡げた。

「山科方面にはわたしと重衡が向かいます。宇治には通盛どの。淀方面は忠度どのにお願いしたい」

「ちょっと待て。おれはどうすればいい」

 教経が身を乗り出した。自分だけ呼ばれていないのだ。知盛はひとつ頷いた。

「教経どのには御所を守って頂く」


「ご存じの通り、京への攻め口は多い。本当はこのように分散したくはないが、敵の出方が分からぬ以上、仕方がない」

 そこで、と知盛は一座を見回した。

「おそらく義仲は軍勢を数手に分けて京に迫るだろう。その中で、義仲が率いる隊だけを洛中に入れるのだ」


「なるほど。そうなったら、おれの出番という訳だな」

 満足げな教経に、知盛は大きく頷いた。

「他の街道を守っていた者は、義仲が洛中に入ったという知らせを受けたら、一気にその街道へ向かう。我らが少数で木曾を討つには他に方法がない」


「わたしたちが応援に行くまで持ち堪えてくれよ、教経」

 通盛がそっと弟の肩を叩く。教経も笑い返す。

「もちろんだとも。いや、まったく知盛は唐国からつくにの諸葛孔明のようだな。見事な策だ」


「諸葛孔明か」

 知盛は小さく口の中で呟いた。……だが諸葛孔明は結局、漢を復興することは出来なかったのだぞ、と。


 ☆


 佑音ゆうねが進発のため愛馬の馬具を締め直している所へ、知盛の烏帽子えぼし子でもある知章ともあきらが訪れた。

「わたしの準備は整いましたので、お手伝いに参りました」

「ありがとう。では、兵糧の積み込みをお願いします」


 荷駄へ向かいかけて知章は振り返った。

「この戦さは上手く行くでしょうか」

 その言葉ほどには疑っている様子はない。知盛が考え出した作戦である、知章としては全幅の信頼を置いている。ただ佑音の意見を聞きたかった。


 だが佑音の言葉は知章の予想を裏切っていた。

「今のところ、良くて五分五分でしょう。それだけ木曾軍と我らの戦力差は懸絶しています」

「まさか……」

 知章は絶句した。


「こちらの全軍をもって木曾義仲ひとりを討つ、くらいのつもりでないと相手にならないでしょう」

 あまりに呆然とする知章に佑音は笑いかけた。

「いま、伊賀家うちの人たちが総力を挙げて義仲の動向を探っています。それさえ掴めれば、さらに罠を仕掛ける事もできますから。そこまで悲観する事はないと思いますよ」

「そうですか」

 やっと知章も表情を緩めた。

「この戦さは、必ず勝たないといけません……」

 佑音は自分に言い聞かせるように呟いた。



 ふと、佑音が厩舎の入り口を振り返った。

「知盛さま、いらしてたのですか」

 いつの間にか、戸口にもたれ掛かる様に知盛が立っていた。その顔は恐ろしいまでの無表情だった。

「知盛さま?」


「用意はいらない」

 ぼそっ、と知盛が言った。

「出陣は無くなった」


 ☆


 木曾義仲を迎撃するという策を知盛からきいた平家の棟梁 宗盛むねもりは、ただ不思議そうな顔をしただけだった。

「なぜじゃ。やつらは京の都を欲しがっているのだろう。与えてやれば満足するのではないか」

 敵対する意志を示さなければ、木曾も無体な事はしないだろう、というのである。知盛はそれ以上会話を続ける気力を失った。


「それに、知らぬのか知盛。京の都は攻めるに易く守るに難い、と昔から言うことを。意外じゃのう、そなた軍略に詳しいような事を聞いたのだが、これは買い被りも甚だしかったかのう」

 ほほほ、と笑う宗盛。その隣では時忠が薄笑いを浮かべている。


「あの男の入れ知恵か」

 もはや怒りすら起こらない。知盛は冷ややかな思いで、壇上に並ぶ二人を見た。



 もちろん京都へ入る街道は水陸ともに多く、守り難いのは確かである。

 だが数倍にもなる大軍を少人数で囲んだとしても、それで勝った例など有りはしない。ここで都を捨てることに、戦術上何の意味もなかった。


「ここは、木曾義仲を討つ事だけを考えるべきです。勝機は必ずある」

 それでも知盛は訴える。

 対する時忠は不満げに唇を歪めた。自分の意見が否定されると、この男はすぐにこんな表情になる。

「そなたは、母御前や女院を危険に晒すつもりなのか。福原へ移る事はもはや決まった事。戦さなど愚かな事を考えず、さっさと準備をするが良い」


「福原まで木曾が迫ったらどうするおつもりです。大宰府まで落ちるのですか。そこも攻められれば、さらには琉球までもと、どこまでも逃げるおつもりか」

「落ちるだの、逃げるだのと。言葉を慎め、若僧」

 激高する時忠。知盛も普段の冷静さをかなぐり捨てている。今、京を捨ててしまえば二度と戻って来られない予感が知盛にはあった。


「お止め下さい」

 二位尼、平時子が声をあげた。

「知盛、ここは時忠どのに従いましょう」

 ぐうっ、と知盛は呻いた。血の色を失うほど強く拳を握りしめる。


「……母御前の仰せの通りに」

 やがて大きく息を吐いた知盛は、薄笑いを浮かべる時忠を睨み据え、小さく頷いた。


 ☆


 話を聞き終えた佑音は、そっと知盛の背に手を回した。

「でも、まだ敗けた訳ではないですよね」

 潤んだ瞳で知盛を見上げる。

「もちろんだとも」

 必ずまた、京へ戻ってくる。知盛は佑音の細い身体を強く抱きしめた。



「福原へ!」 

 安徳帝をはじめとした平家一門は、こうして続々と京を離れていった。だが彼らが京へ戻ることは、ついに無かった。

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