第12話 思いを夕の雲に馳す

 出立準備をする知盛の許を三人の武将が訪ねて来た。倶利伽羅くりから峠でともに戦った畠山 重能しげよし、小山田有重、宇都宮 朝綱ともつなである。


「これより、われらは関東へ帰ります」

 彼らは深々と頭を下げた。

「こうして無事に領国へ戻れるのも、ひとえに知盛さまのお蔭です」

 三人は涙ぐみながら知盛の手をとった。知盛もしっかりとその手を握り返す。


「ご武運を、というのも変ですが」

 知盛は苦笑した。おそらく、東国へ戻った彼らは源頼朝に従う事になるだろう。現に畠山重能の子、重忠しげただは源氏方の有力武将として活躍しているのである。



 平家が都を退去するに当たり、彼らの処遇が問題となった。長年朝廷に仕えているとはいえ、彼らは代々東国に所領を持っている。

 つまり平家にとっては潜在的な敵と言ってもいいからだ。


「勿論、今のうちに捕らえてりくすべきだ」

 そう強く主張したのは時忠である。領国へ戻れば、彼らが即座に平家に弓を引く事になるのは目に見えている。

「なるほど、それはその通りですな。では早速、捕吏を遣わしましょう」

 宗盛も簡単に同意する。そこには何の情も感じられない。へらへらと薄笑いを浮かべている。


「お待ちください」

 宗盛の指示を遮るように進み出たのは知盛だった。そしてその後ろに、維盛、通盛、教経が続く。

 それを見て、時忠はあからさまに不愉快げな顔になった。


 知盛はそんな時忠を一顧だにせず、宗盛に迫る。

「畠山らの働きが無ければ、我らは倶利伽羅峠で全滅しておりました。その彼らに対し、褒賞ではなく、斬首をもって応えるというのですか」

 京に戻って以来、さすがに涸れ果てたかと思われた怒りの感情が、知盛の中に湧き上がった。


「そのような理不尽な主の下で、本気で戦おうとする兵が居りましょうか。それに、このような為されようは、ただ陛下の御名を貶めるものに他なりません」

 このままでは、功績に対し処刑をもって報いた天皇という悪名が、はるか後世まで残る事になるだろう。


「ふむ、確かに殺すまでもないかのう」

 元々これといった意見を持たない宗盛である。言われるままに態度を変える。それに議場の雰囲気が助命に傾いていたのも確かだった。


「若僧めらが……、調子に乗りおって」

 時忠は顔を歪め、憎々し気に知盛を睨んでいる。だがそれ以上反論する事はなく、舌打ちして顔をそむけた。


「まあ、いいではないか時忠どの。今更、三人くらい大した事ではないだろう。のう、無益な殺生はせぬ方がよい。そうじゃ、殺生はいかんぞ」

 なぜか急に落ち着きを失くした宗盛は、息を切らし額に汗まで浮かべている。


 その目は知盛の後ろに控え佩刀に手を掛けた教経に向いていた。彼の無言の圧力と刺すような視線に、宗盛は背筋を凍らせていたのだ。

「彼らは関東に帰らせよう。それで良いな。な、知盛どの」


幸甚こうじん

 知盛は一言だけ答え、その場を下がったのだった。


 ☆


葉桜はざくらに別れを告げて来たよ」

 月明かりの中、知盛が郎党を引き連れ屋敷を出たところへ、単騎で忠度が追いついて来た。

 葉桜というのは宮中に仕える女官である。以前から忠度が文を送り、想いを伝えているらしいというのは佑音も聞いていた。


「お連れしなくてもいいのですか」

 眉をひそめ、佑音が問いかける。都を落ちる平家の公卿らは、多くが妻子を連れている。当然、忠度も彼女と共に行くものと思っていた。

「ああ。いいんだ」

「振られた、という訳じゃないのですよね」

 佑音の何気ない一言に忠度の顔が硬直した。頬がぴくぴくと動く。


「あ、あ、あたり前だ。何を根拠にそのような戯れ言を。いや、それとこれとは、全然別なんだからな」

「でも、目が泳いでいらっしゃいま……あ、いたっ」

 知盛が佑音の頭を、がつんと叩いた。

「ちょっと。なにを思いっきり殴ってくれてるんですか」

 涙目で頭をおさえ、佑音は口を尖らせた。


「余計な事を言うな。忠度どのの夢を壊してはならん」

 知盛は唇に指をあて、佑音を睨みつける。ああっ、と佑音も口に手をあてる。

「そうか、分かりました。ええと、すみませんでした、忠度さま」


「おい知盛、佑音。これはおれの妄想などではないぞ。葉桜はな、葉桜は……」

 ぐうう、と呻いて腕で顔を覆う。

 知盛と佑音は、ぽかんと口を開けた。


「ほんとうに、何があったのでしょうか」

 うーん、と知盛は首を傾げた。

「まあ、そっとしておいてやろう」

 男泣きする忠度を前に、知盛と佑音は顔を見て頷き合った。


「だが……」 

 人の数だけ物語があるのだな、知盛は呟いた。



 やっと未練を振り切ったのだろう。忠度は顔をあげ、諦観と渋みを含んだ笑みを浮かべた。もう、いつもの精悍な表情である。

 天を仰ぎ、すっと息を吸い込んだ。


 忠度は、ある詩の一節を静かに口ずさみ始めた。

「前途程遠し、思いを雁山のゆうべの雲に馳す。後会期遥かなり、えいを鴻臚の暁の涙にぬらす……」


 忠度は月を見上げ、『和漢朗詠集』に収められた江相公(大江朝綱)の詩を朗誦する。蒼い月明かりの下で静まり返った大路を、その声は低く幽かに流れ、一転して高く凛と響いた。

 これが彼なりの、京への惜別の辞だった。


 二人は息をするのも忘れ、その声に聞き入った。


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