第10話 暮れ行く空

 新宮行家を撃退した忠度ただのりだったが、すぐに自軍に倍する騎馬隊を遠望する事になる。優雅な平家の軍装とは対照的に装飾の少ない武骨な甲冑から、木曾義仲の軍であると知れた。


維盛これもりは敗れたか」

 心を鎮めるように忠度は愛馬の首筋を軽く叩いた。

「ならば……」


 忠度は太刀を抜き、高々と突き上げた。

「ここが切所せっしょと心得よ。死ねや者共!」

 応、と雄叫びをあげ忠度軍は突撃を開始した。勇猛な木曾兵に対し一歩も引かず激闘を繰り広げる。ついに木曾の先陣を粉砕して、義仲の本陣に迫った。



「やるな、誰だ平家の大将は」

 義仲は、自分と同じ黒糸 おどしの鎧を身に着けた敵方の武将を見て声をあげた。

 軟弱なだけだと思っていた平家方にも思わぬ強敵がいたことに、歓喜を含んだ獰猛な笑みを浮かべた。


「あれは薩摩守、平忠度さまです」

 馬を並べたともえも忠度の奮戦を見詰める。

「さすがにお強い」

「ふん。気に喰わんな」

 どこかうっとりとした巴の表情を見て、義仲は端正な顔を歪める。


「一人も生きて返すな。包囲して叩き潰せ!」

 叫びながら義仲は馬を進めた。一度は押されかけた木曾軍だったが、義仲の叱咤で再び攻勢に転じた。

 知度とものりを討ち取った!」

 声があがる。三河守知度は清盛の末子だった。


 ☆


「進め、本陣は目の前ぞっ!」

 崩れ始めた平家軍を必死に支える忠度の前に、長身の武将が立ちはだかった。共に同じ黒の軍装。

 忠度は眉をひそめた。


「お初にお目にかかるな、忠度どの」

 義仲はにやりと笑う。


「そなたが木曾義仲か」

 ふっと短く忠度は息を吐いた。

 次の瞬間、忠度は太刀を横薙ぎに払った。鋭い金属音があがる。義仲の大太刀がそれを受止めていた。


 ほう、と義仲は目を瞠った。それ程に強烈な打撃だった。手が痺れ、思わず太刀を取り落としそうになった。

「やはりこの男、ただの歌人ではないな」

 義仲はぺろりと唇を舐めた。


 二人は馬を離す。忠度は自分の太刀を見た。すでに何人も斬った為に刃毀れが酷い。

「だが、最後にこの男を討つ事くらいは出来るだろう」

 忠度はうそぶき、馬腹を蹴った。


 忠度と義仲の馬が何度も交錯し、そのたびに鋼の打ち合う音が響く。互いに浅手を負っているが、まったく怯む様子はない。

 その時、義仲の馬が何かに躓いたのだろうか、少しよろめき体勢が崩れた。

「うむっ」

 義仲は落馬をこらえる。そこに隙ができた。


 気合とともに忠度の太刀が繰り出された。それは真っすぐに義仲の首を襲う。義仲の恨みのこもった視線が忠度を見返す。

「もう遅い!」


 勝利を確信した忠度の目前を、白銀の輝きが走り抜けた。

 忠度の放った必殺の一撃は、その標的の寸前で喰い止められていた。受止めたのは薙刀の刃だった。

「義仲さまは殺させません」

 巴が硬い表情で、馬をふたりの間に割り込ませる。


 忠度は手にした太刀に目をやった。それは切っ先から半分ほどが折れ飛んでいた。

「運が無かったな、忠度どの」

 体勢を立て直した義仲は大太刀を振り上げ、哄笑した。

「これで最期だ!」


 忠度は折れた刀を構えた。まだ諦める訳にはいかない。

 ぶん、と何かが忠度の顔の横をかすめた。

「ぐっ」

 苦鳴があがった。義仲だった。その肩に矢が突き立っている。

「義仲さま!」

 巴が義仲を庇い前に出る。その目が大きく開かれた。忠度の後方を見ている。


「平家の援軍か……」

 呻くように巴が言った。振り返った忠度は思わず、おお、と声を出した。


 戦場を囲む山々に、数百という平家の紅い幟が翻っていた。


 ☆


 木曾軍の撤退を見極め、忠度も軍をまとめた。

「危ういところで総崩れだけは免れた。感謝するぞ、知盛」

 しかし暗い表情の知盛を見て、忠度も自分の不安が的中した事を知った。

「やはり維盛の軍は……」


「維盛、通盛どのは京へ戻られた。だが兵は一割も残っていない」

「そうか」

 もはや平家にとって致命的な敗北といえた。

「だが、あれは」

 忠度は山に翻る大量の幟に目をやった。まだあれだけの兵がいるのなら、戦いを継続する事も可能なのではないか。


「あそこに兵はいない」

 苦渋に満ちた表情で知盛は首を振った。

「布、だけか」

 途端に山中で揺れる幟が儚いものに見えてきた。忠度はがっくりと肩を落とした。

「いや、すまん。……見事な策だったな」


「どうする知盛。このまま木曾義仲を追撃するか」

 暗い雰囲気を吹き飛ばすような声が響く。能登守教経だった。義仲を射たのもこの男である。


「やめておこう。我らは劉邦りゅうほうではない」

 漢の高祖劉邦は和議が成立した後、撤退する項羽こうう軍に奇襲をかけ、結果的に中原に覇を唱えることになる。

「それに劉邦には韓信かんしんがいたが、我らに味方はいないからな」

「……ほぅ」

 韓信は劉邦の別働軍として北方に一大勢力を築いていた。彼の参戦によって戦局は決定したのである。ただし教経にその故事の意味は通じなかったようだが。



「では、我らも京へ戻るとしようか」

 忠度は残った全軍を招集した。進発した時と較べ、寂寥としか言いようがない。


 討ち減らされた平家一門の他には、畠山重能、小山田有重、宇都宮朝綱らが僅かな手勢を率いているのみだった。

 彼らは皆、関東に所領を持つが、長年朝廷に仕えている者たちである。自然、平氏に対する恩義の念も強かった。この度の戦さでも常に最前線で戦い、多くの郎党を失った上に、彼ら自身も数知れない手傷を負っていた。


「見事な働きでありました。ただ、今はその労に報いることが出来ないのが残念」

 知盛は彼らに頭をさげた。畠山らは膝を突き、涕泣した。


「進発!」

 忠度の合図で、平家軍は京に向かい撤退を開始した。殿しんがりを務める知盛は天を仰ぐ。暮れかかる空には、赤い月が一際大きく輝いていた。


「まるで血の色だ」

 知盛は呟くと、小さく身体を震わせた。

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