第2話 栄華の翳り

 源頼朝を討伐するため、西国の兵を中心とした先陣が出立していく。

 平氏の紅い旗印をなびかせたその威容は、街道を埋めた物見高い衆々を圧倒した。


「あれが維盛これもりさまか。なんとお美しい」

 此度の東征において総大将となった維盛は清盛の嫡孫である。美形揃いの平家一門でもその美貌は傑出していた。中軍にあって、その姿は光り輝くものだった。

 天上の飛天が舞い降りたのではないか、人々は囁き合った。

の『光る源氏の君』にも負けておらぬのではないか」

 おおう、まさにそうであろう。人々は頷きあう。


「いや、あれほど美しいと魔に魅入られるものだ。不吉な事が無ければよいが」

 僧形の男が小さく言ったが、その声に耳を傾ける者はいなかった。


 ☆


 続々と東征軍が発して行く中、知盛は屋敷の縁に座り外を見ている。豪奢とは程遠い、数本の庭木が植えられただけの実に簡素な造りの庭である。

 おそらく意図的に自然を残した枝ぶりと、こちらは丁寧に整えられた下草が、この邸の主人である知盛の心のうちを表しているようにも見える。


「相変わらず艶のない庭だな、知盛」

 苦笑を浮かべながら、逞しい体つきの男が入ってきた。長身で、肌はやや浅黒い。いかにも武人らしい立ち姿だが、その表情は意外なまでに静謐だった。



「これは叔父上。お出迎えもせず、失礼を」

 知盛は座ったまま深く頭をさげた。

「叔父上は止めろと言っただろ。わたしはそんな年寄りじゃない」

 顔を上げ、にやにや笑う知盛に、男は小さく手を振った。


 男の名は 忠度ただのりという。東征の副大将であるが、出立前に親友の知盛を訪ねて来たのだった。


 忠度は平清盛の末弟にあたる。年の離れた兄弟であるため、年齢的には清盛の子の知盛と同世代と言っていい。叔父と呼ばれるのを嫌がるのはそのためである。


 日本のみならず、大家族制が基本となる古代中国においても、叔父と甥の年齢が接近、または逆転している事はよくみられる。有名なのは後漢末期の名臣、荀彧じゅんいくと甥の荀攸じゅんゆうだろう。彼らは、甥の荀攸のほうが叔父の荀彧よりも年長なのである。


 忠度は縁側に腰かけた。この男の挙措を見ながら知盛はいつもながら感心する。動きに全く隙がないのだ。腰を下ろすその瞬間を狙い斬りかかっても、知盛の腕では、おそらく返り討ちに遭うだろう。


「これが実戦を経た武士もののふという凄味か」

 口にした後、知盛は顔をしかめた。自らの思考にどこか羨望の色がある事に気づいたからだ。羨望は容易に嫉妬に繋がる。知盛は忠度に対し、嫉妬という感情を向けたくはなかった。


 忠度は怪訝そうに振り向く。

「なんだ。何か言ったか」

「いや。間もなく出陣だな」


 うむ。と忠度は唸った。

「お前を伴って行きたいと、宗盛むねもりにも言ったのだがな」

「そうか」

 複雑な表情で二人は顔を見合わせた。


 平宗盛は清盛の出家をうけ、平家を束ねる棟梁となった。長兄重盛、次兄基盛が早逝したためとはいえ、これには反対が多かった。

 問題はその資質にある。


 温厚な性格といえば聞こえは良い。だがその実はごく凡庸、極言すれば暗愚に近い。朝議を開く事は好むが、それは自分の前に諸官がひれ伏すのを見るのが快いだけなのである。時折、的外れな事を問いかけ、相手を困惑させるのが関の山という男だった。

 ただ清盛の後見があるため、誰も表立っての批判は出来なかった。


「奴は」

 忠度は宗盛をそう呼んだ。

「お前に武功を立てて欲しくないのだ。自分の立場を脅かすからな」


 ひやりとしたものを知盛は感じた。京の不穏分子を探る六波羅探題の目は、彼ら平家の一族にも向けられているという噂がある。

「そんな事はない。おれに才能が無いだけだ」

 滅多な事を言えば、忠度といえど只では済まないだろう。


 ふっ、と息を吐いた忠度は、知盛の顔を見詰めた。

「なあ知盛。わたしはいつかお前の下で戦いたいと思っているのだぞ。あのような綺麗なだけの雛飾りとではなく、な」

 その毒舌は大将軍の維盛にまで向けられた。

 どうやら知盛の心配はこの男には通じないようだ。繊細なのか豪胆なのか、判然としない男である。


「もう雛祭りの準備をされているのですか、忠度さまのお屋敷では」

 屋敷の奥から、酒器を揃えて佑音ゆうねが出て来た。季節外れの話題と勘違いし、小首をかしげている。知盛は少しだけ顔をほころばせた。


「佑音姫か。今日も美しいな」

「もう。忠度さまは正直なんですから。それに比べて」

 佑音は知盛を睨みつける。


「さて、忠度どの。まずは一献」

 素知らぬ振りで酒の入った片口を差し出す。

「これは済まぬ。ところで、お前たちは夫婦めおとにはならないのか」

 杯を口に運びかけて忠度は言った。

「は?」

 知盛の動きが止まった。


「い、嫌ですよ忠度さま。そんなご冗談を。め、め、夫婦だなんて」

 真っ赤になった佑音は手にした折敷で知盛の頭を、ばんばんと何度もたたく。

「やめろ、佑音。痛い、痛いからっ」

 知盛は両手で彼女の手首をつかみ、やっと落ち着かせる。


「だってお前たち。もう、なのだろう」

「え、まあ。時々は」

 しれっと答える知盛。


 佑音は膝立ちのまま、器用に知盛のお尻を蹴り上げた。

「余計な事は言わなくていいです!」




 帰って行く忠度を見送り、佑音はふと首をかしげた。

「何だか元気無かったですね、忠度さま」

 それは知盛も気付いていた。その原因も何となく想像がついてはいたのだが。

「きっと葉桜さまに振られたんですね」

「……遠慮がないな、お前は」

 そこは、そっとして置くべきところだ。


 葉桜とは、宮中に仕える女房である。和歌をよくする才媛として知られ、忠度が足繁く通い口説いているのだが、まだ色よい返事は貰えていないようである。

 傷心のまま、忠度は戦場に向かった。



 知盛たちはその数か月後、平家の軍勢が大敗を喫した事を知る。




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