第23話 知盛の水軍、屋島を発つ

重衡しげひらは、助からないだろうな」

 ぽつり、と知盛は呟いた。


 屋島の湊では、軍船の出航準備が行われている。

 一隻でも多く手元に置きたいと云う、吝嗇な宗盛を半ば脅し、強奪するように数百隻を自軍に加えた知盛だった。

 いまは望楼から、船に物資が積み込まれるのを眺めていた。


「まだ、うじうじと後悔しているのか。たとえ頼朝が許したとしても、必ず南都の坊主どもが重衡を殺せと騒ぎ立てる、そう言ったのはお前だぞ。知盛」

 呆れたように教経が知盛の背中を叩いた。


「ああ。後白河の口車に乗れば、三種の神器も重衡も、共に失うことになる」

 顔をしかめた知盛はため息をついた。

「分かっている。それは、だが」


 以仁王の反乱に同調した南都へ侵攻し、歴史ある寺院、仏塔を悉く焼き払ってしまったのが重衡なのだ。仏敵となった重衡が助かるみちは、何処にもなかった。


「だが、救えるものなら、救いたかった……」

 知盛は望楼の横木を強く握り締めた。




 後日のことになる。重衡は鎌倉へ送られ、頼朝と対面した。

 頼朝は心の動揺が押えられなかっただろう。

 美しい姿勢で彼の前に座す重衡には、敗者の卑屈さは微塵もなかった。しかも将軍としてだけではなく、音曲にも造詣が深く、その知識は頼朝を圧倒した。


「何の。和歌であれば忠度、笛は清経、敦盛。琵琶なら経正と、わたし以上の才を持つ者は大勢おります」

 ……いや、おりました、と重衡は目を伏せた。


「これが平家の公達というものか」

 関東の武士には、これだけの人物は一人としていない。どうしても配下に加えたい、呻くような思いで頼朝は重衡を見詰めた。


「殿、南都より使者が参っております」

 縁側から声が掛かった。


 頼朝は天を仰いで嘆息した。

「分かった。すぐ行く」

 明らかに肩を落とし、頼朝は立ち上がった。悼ましい表情で重衡を見下ろす。


「残念だ、重衡どの」

 ひと言だけ、言い残すと頼朝は出て行った。



 やがて鎌倉から南都へ送られた重衡は、復讐に狂った僧らによって惨殺された。


 ☆


 船へ向かう知盛の前に、巨体が立ち塞がった。

「知盛どのかな」

 頭の上から野太くしわがれた声がした。知盛は身体をのけ反らせるようにして見上げる。日に焼けた顔が彼を見下ろしていた。

「そうだ。ところで、人相の悪いそなたは何者だ」


 男は大笑いして、その場に膝をついた。

「これは失礼した。おれは熊野で海賊をやっていた恒河沙ごうがしゃという者だ」

「熊野だと。もしや忠度どのが引き連れていた元海賊か」


 忠度は熊野灘の海賊退治で名を馳せている。以前知盛は忠度から、一騎打ちの末に頭目を捕らえ配下に加えたと聞いていた。どうやら、それがこの男のようだった。

「まさか、勝負しろ、などと言うのではあるまいな」


 知盛の言葉に、恒河沙の武骨な顔が困惑の表情に変わった。

「戦えと仰せなら闘いますがね。でも多分、おれが勝ちますぜ」

「そうだろうな」

 あっさりと知盛は頷いた。この男はいかにも海賊らしく、獰猛に発達した上腕と、波の揺れにも動じないだろう強靭な足腰を持っている。少なくとも体力では、知盛が勝てる見込みはなさそうだ。

「では何の用だ」


「忠度さまの言いつけにより、貴方さまの下知を受けるために参りました」

 恒河沙は頭を下げた。

「われ亡きあとは知盛に従え、と」

 この男の配下なのだろう。一見悪党じみた連中が彼に従って頭を下げる。


「そうか、忠度どのが」

 知盛は片膝をつき、恒河沙の肩に手を置いた。


「一緒に来てくれ。お前たちの力が必要だ」

 

 ☆


「では、瀬戸内の海賊どもに声をかけましょう。陸の豪族に反感を持っているものも多いですからな」

 恒河沙が腕組みをして頷く。しかし知盛には不安があった。

「その者たちは平家をどう思っているのだろう。その豪族と同じであるなら、協力はしてくれまい」


「何をおっしゃる」

 さも意外そうに恒河沙が両手を拡げた。

「水に生きる者はみな、平家を慕っておりますぞ。かの、音戸の瀬戸を開削して頂いたのは、そんなに昔ではない」

 現在の呉市と倉橋島の間の狭い水道を、船舶が航行可能なまでに拡げたのは知盛の父、清盛である。


 海岸にそって船を進める場合、倉橋島は障害となり、島に沿って大きく迂回する事を余儀なくされる。それが、本州との間に音戸の瀬戸と呼ぶ運河が出来たのである。水運業者のみならず、海賊にとっても恩恵は計り知れないようだ。


「それに、厳島神社は船乗り共通の守り神ですからな」

 まるで海面に浮かんだように見える朱色の大鳥居と社殿は、海に生きる彼らにとって信仰の対象となっているのである。

「そうか。すべて、父の遺産か」

 知盛はふっと息をついた。



 知盛は漕ぎ手の多い快速船を中心とした偵察部隊を派遣し、敵の様子を探っていた。すぐに緒方らの情報が入った。

「豊後の海岸に船を集め、四国へ渡ろうとしている模様!」

 ただし大型船は少なく、小舟を用い何回にも分けて兵を輸送するつもりらしい。中には川船のようなものまであるという。

 よし、と呟いて知盛は立ち上がった。

 

「我らの目的は緒方惟義ら九州の叛徒どもが、中国四国へ渡るのを阻止することである。奴らが海上に出たところを襲い、海の藻屑とするのだ」

 屋島の湊に舳先を揃えた水軍を前に知盛は宣言する。


「出陣!」

 知盛の号令一下、平家水軍は屋島を発し、豊後灘を目指した。

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