第22話 新たな敵と裏切り

 一の谷で討たれた平家の武将たちは、その首を京の大路へ晒された。


「そのような蛮行、公卿であった者に対し前例がない」

 内大臣以下、朝廷の顕官らは猛反対したが、ついに源義経が押し切ったのだ。


「平家に対する復仇は我らが悲願。此度の功績に対し、ただこれ程の事も認められないのであれば、今後この都は誰がお守りするのでしょうか」

 小柄な体から妖気を漂わせ、義経は居並ぶ大臣たちを見渡した。

「ようやく、木曾義仲の狼藉で荒れた洛中も、元の平安を取り戻そうとしておりますのに、惜しい事です」

 にっ、と両の口角を上げる。


 ざわめく大臣たちは救いを求めるように後白河法皇に目をやった。

「その儀、許す」

 後白河法皇が表情を変えないまま、義経の申し出を許可した。

 ききっ、と義経は笑い声をあげた。


「ところで、義経」

 途端に砕けた口調で、法皇は呼び掛けた。平伏していた義経は怪訝そうに顔をあげる。

「平家の公達をひとり、生け捕りにしたそうではないか」

 後白河の目がすっと細くなった。


「三位中将の重衡しげひらでございます。それが何か」

 ふんふん、と後白河は頷く。

「清盛と正室、二位尼の子であったのう。どうだ、義経。やつの命は三種の神器と釣り合うのではないかと思うが」

 三種の神器とは八咫鏡やたのかがみ天叢雲剣あめのむらくものつるぎ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまの事をいい、平家都落ちの際に安徳帝と共に運び出され、現在は屋島へ安置されていた。


「三種の神器を引き渡すなら、重衡を返してやると伝えよ。それが洛中において晒し首を行う条件じゃ」

 義経は小さく舌打ちした。


 だが船を持たない源氏は、瀬戸内海を隔てた屋島を攻め三種の神器を取り返す力が無いのも事実だった。

「捕虜のひとりくらい、くれてやってもいい」

 義経は思い直した。小さく口の中で呟く。


「それに三種の神器を受け取ったからといって、素直に重衡を返してやる義理もない。これは意外と悪くない、か」

 義経は後白河の顔を盗み見た。その視線に気づいているのだろうが、後白河はまったく素知らぬ振りである。


 喰えぬお方だ、義経は口の中で呟く。


 ☆


 平家が屋島に設けた仮の御所に、二位尼時子の泣き声が響く。

「重衡の命を救うてくだされ、宗盛どの」

 膝にすがりつき泣き崩れる母親の背を撫でながら、宗盛はちらりと背後の三種の神器に目をやった。

「母上、もちろんこの宗盛も重衡を救いたいと思っております。しかし知盛が、どうしてもがえんじないのです」


 時子は怨みのこもった目で知盛を睨みつける。

「なぜじゃ。そなた重衡が殺されてもよいのか。そなたに人の心は無いのか」

 硬い表情のまま知盛は目を伏せた。


「もちろん、わたしも重衡を救いたいのは同じです」

 ですが、と知盛は顔をあげた。

「神器を渡したとしても、重衡が返って来る保証はありません。源氏の者どもは後白河とともに我らをたばかっているのです」

「そ、そんな。やってみねば分からんではないか……」

 宗盛はなおも言い募ろうとする。


「黙れ、宗盛!」

 後方から雷撃のような声が座を圧倒した。病癒えた教経だった。

「我らはみな最前線で戦い、多くが命を落とした。重衡は虜囚の辱めこそ受けたが、天皇の正統たる証しと引き換えに自らの命を長らえようなど、微塵も考える筈がないであろう。姑息な男よ、恥を知れ。我らは武士ぞ!」

 宗盛と時子は蒼白になって身体を震わせた。



 知盛は袖を引かれ振り返った。いつの間にか佑音が傍に控えている。相変わらず気配を感じさせなかった。

「知盛さま、筑紫の緒方 惟義これよしが」

 彼女の硬い表情の見ただけで知盛はすべてを悟った。


「菊池と阿蘇もか」

「はい」

 短く佑音は答えた。

 北九州最大の豪族である緒方惟義が、同じ九州の大族、菊池氏と阿蘇氏を語らい、進軍中というのである。

 彼らはまとまった水軍を持っていないが、長門、周防もしくは伊予へ渡る事が出来れば後は陸路である。それまでに何としても九州東岸を押え、本隊の渡海を防がねばならない。


「わたしは長門へ戻り、緒方惟義らの東進を防ぐ。ここ屋島は……」

 そこで知盛は言い淀んだ。ここは能力、人格から云っても薩摩守忠度ほどの適任はなかっただろう。しかし彼はすでにこの世に亡い。


 他には、これまで何度も大将軍に任ぜられた維盛がいるが、富士川、北陸道の度重なる大敗によって、もはや前線に立つ気魄を無くしてしまっていた。幽鬼の様に船内を彷徨っては何度も入水を計り、今は一室に監禁されている有様である。

 その弟の資盛、有盛に至っては、三草山の合戦において只の一戦もせず屋島へ逃げ返るという醜態を晒した。とてもではないが後を託すことは出来ない。


「教経、そなたに任せる」

 これは知盛にとって苦渋の決断である。勇猛で鳴る緒方惟義を相手に、教経なしで戦いを挑むのは無謀といってよい。分の悪い陸戦ではなく、何としても海上で決着を付けねばならなかった。


 ☆


 人目を憚るように時忠が席を外す。自らの居室に戻ったところへ一人の男が現れた。灯火の届かない薄闇のなかで、その男は平伏している。

「これを法皇にお伝えせよ」

 短く文章をしたため、時忠はその男に向け、抛った。


「確かに」

 伊賀 家長いえながは小さく頷いて書状を拾い上げると、そのまま音もなく姿を消した。

 

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