第20話 夕凪の瀬戸
沖に停泊する大船へ向かう船の群れから、一艘が知盛に向け漕ぎよせて来た。
「よかった。ご無事でしたか、知盛さま」
舳先で声を上げているのは伊賀家長だった。丸い身体で手を振っているが、その度に小舟が大きく揺れる。
家長の手を借り船に上がった知盛は、愛馬を見やった。長年、知盛が騎乗した黒毛の名馬である。
「ご覧の通り、もう馬を乗せる余地はございません。残念ですが」
小舟はすでに将兵で一杯だった。家長は首を横に振る。そのまま黙って弓を手にとった。
「何をする、家長」
あわてて知盛は家長の手を押えた。
「ですが、このままでは源氏の手に渡ってしまいますよ」
眉をひそめ、家長は岸に目をやる。そこにはすでに源氏の兵が集まっていた。
「構わん。わたしの命を救ってくれた馬だ。殺すなど思いもよらぬ事だ」
「そうですか」
家長は少しだけほっとしたように見えた。
馬はしばらく知盛の乗る船に並行して泳いでいたが、やがて諦めたのだろう、岸に向かって泳ぎ去った。
☆
平家の将領を収容しているという、その大船に移った知盛は思わず目を疑った。
所在無げに水夫が立ち尽くしているだけで、船の中は静まり返っていた。これは噂に聞く幽霊船ではないかと疑った程だ。
船室に入り暫くして薄暗さに目が慣れてくると、何人かがうずくまっているのが見えた。同時に血の匂いが鼻を衝く。
近くにいた少年のような男が顔をあげた。
「知盛さま……」
「忠房、お前か」
維盛の末弟、
「他には居ないのか」
忠房は弱々しく、仕切り壁を指差した。その向こうにも生き残りがいるらしい。知盛は足早に隣室へ向かった。
そこには長身の男が横たわっていた。その姿を見間違えるはずもない。
「教経」
知盛は恐る恐る声を掛ける。付き添っている佑音が顔をあげた。
「知盛さま」
佑音の目に涙が溢れた。
「佑音。教経は大丈夫なのか」
「いまは、眠っていらっしゃいます。ですが、通盛さまが」
通盛は弟教経の身代わりとなって討たれたのだった。
「……そうか」
横たわる教経の傍らに膝をつき、知盛はやっとそれだけ言った。
佑音の嗚咽はさらに激しくなった。
「どうした、佑音」
肩に手をかけ、知盛は顔を覗き込む。佑音は懐から一枚の短冊を取り出した。
『さざ浪や志賀の都はあれにしを昔ながらの山櫻かな 忠度』
その短冊には見覚えのある文字で一首の和歌がしたためられていた。
「忠度、と……。これは」
知盛は佑音を見た。佑音は耐え切れず、泣き伏した。
「わたしが向かった時には、もう遅く……」
首を打たれ、海岸でこと切れていた一人の武将。その
もう一度、都へ戻りたい。そして愛する女性と共に暮らしたい、その忠度の思いがこの一首に込められている。
知盛が最も敬愛した男の最期の言葉がそこにあった。
知盛は人目も憚らず、号泣した。
☆
一の谷の敗戦で、平家が被った人的損害は甚だしいものだった。
だがいまは、その名を記すのみに留める。
越前三位通盛。
事実上、平家は壊滅したと言っていい。
風の
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