第14話 反攻

 ぎい、ぎい。

 波に揺れるたび、船の床板がきしんだ。佑音は青い顔で船べりにすがり付いている。


「大丈夫か。こんな穏やかな瀬戸内の海で酔っていては、この先どこへも行けないぞ」

 佑音の背中を擦りながら、知盛は呆れたような顔になった。


「いいんです。わたしは馬の脚がつかない所へ行こうとは思いません」

 何度も大きく息をつきながら、佑音は知盛を睨む。

「そうか。おれはお前を連れて、天竺までも行ってみたいが」

「冗談ではありません。お一人でどうぞ」

 佑音はぶるっと身体を震わせた。



 都を脱した平家一門だったが、そこで二手に分かれる事になった。

 宗盛は迫り来る木曾軍の噂に怯え、遠く大宰府まで向かう事を主張した。九州にも平家に心を寄せる豪族がいるに違いないというのである。

 四国の屋島に陣を構え、瀬戸内海を挟んで木曾軍と対峙しようという知盛とは、真っ向から対立した。


「いいではないか。一族がみな揃って同じ途を行く必要はあるまい」

 静かな声で言ったのは忠度だった。

「宗盛は九州。知盛は四国で勢力を扶植してゆけばよい。一足飛びに京を奪還するのが困難な以上、西国を固めるのは当然であろう」

 これで、平家の方針は決まった。



 知盛は佑音と教経、知章を伴い、四国へ渡る。当初の計画通り、屋島へ水軍の拠点を築くためだ。

 屋島は瀬戸内海に突き出した半島の様相を呈しているが、その実、四国本土とは狭い水道によって隔てられているのである。

 そのため、屋島は周囲を堀に囲まれた水城と呼んでもいい。


「これはまさに、天然の要害だ」

 島の周囲を見て回った教経は満足げに顎を撫でる。これならば十分に対源氏の要塞を築くことが出来そうだった。


「ああ。だが潮が引いたときは馬で渡れそうだ。思ったより浅いぞ、ここは」

 知盛は島の背後の水道を見て少し不安げな表情になった。十分に柵を巡らし、後方の備えもしなくてはならないようだ。

「絵図面だけでは分からないものだ」


「だったら潮干狩りが出来そうですね」

「なるほど。おれはアサリが好きだな」

「ほほう、ではどちらが多く採るか競争しましょう教経さま。負けませんよ」

「ふふっ、愚かな。このおれが干潟の帝王と呼ばれていた事を知らないようだな」

 佑音と教経は早くも火花を散らしている。


「お前たち、船に戻るぞ」

 知盛は冷たく言うと、馬に跨がった。


 ☆


 西国は他と較べ平家に親しい情を持つ者が多い。

 それは平清盛により手厚い保護を受けた安芸の宮島(厳島神社)をはじめとして、受けた恩恵が東国よりも篤かったことによる。


「また紅の旗を掲げた船団が近づいてきます」

 櫓から海の彼方を見詰める佑音が明るい声を上げた。続々と、彼らに同心する者たちが集結しているのだった。

 やがて、大小数百隻の軍船が屋島の周辺に舳先を並べ、錨を下した。これにより、船のみならず、兵員、武具、兵糧なども十分に補充された。


「知盛さまと能登守さまがおいでと聞き、馳せ参じました」

 豪族の長たちは口々に言う。尾張や美濃の攻防、木曾義仲の大軍を一時的にせよ撃退した北陸での戦い振りは、西国にも大きく伝わっていたのだ。

 


 まず知盛が命じたのは、並べて固定した中型の船の上に、厚い板を敷き並べることだった。

船戦ふないくさだけでは、おかの敵を殲滅することは出来ないからな」

 陸戦を行うためには、どうしても騎馬が必要だ。この船は、その馬を輸送するための専用船なのである。



「備中水島に源氏の兵が集まりつつある」

 知盛は望楼から眼下に目をやった。連絡用の小型快速船が行きかっている。これは、佑音の実家である伊賀家が各地の情勢を探索するためのものである。

「ここ屋島を攻めるつもりだ。総兵数は七千騎と号しているらしい」

「ほう、こちらはよくて二千だ。困ったな」

 教経は薄笑いを浮かべた。


「心にもないことを。伊賀 家長いえながによれば、実数は互角だそうだ。教経どのには物足りず、残念だったな」

 大抵の場合、兵数は過大に称するものだ。さらに源氏方には船数が少ない。おそらく上陸しての激戦となるだろう。


「ではいつく」

 教経は問う。


「この準備ができ次第」

 知盛は短く答えた。


 教経は目を瞠る。出陣には吉日を選ぶのが恒例である。各地から集まった豪族たちもざわめいた。

「しかしそれは、占いなど行ってからでは……」

 この当時に限らない。戦さが時の運に左右される事をよく知るものほど、こういった縁起を重要視するのである。


「聞け」

 知盛は片手をあげる。すぐに一座は静まった。知盛は強い意志を込めた視線で諸将を見渡した。


「我らが行くは修羅の道だ。ならば悪日こそ、我らにとっての吉日となるだろう」

 おおう、と教経以下、居並ぶ諸将は声をあげた。感傷と高揚感で涙ぐんでいる者もいる。


「では、吉日は逆に悪日になるのですか?」

 佑音が口を挟む。

「あ、まあ。……そう、だな。そういえば」

 知盛は途端に目が泳ぎはじめる。


「ばか。そんな痛い所をつくな。吉日はそのまま吉日だ!」

「ぎゃ」

 教経に頭へ拳をおとされ、佑音が悲鳴をあげた。


「よ、よし知盛、出陣だ。いくぞ、皆のもの!」

「渾身の演説だったのに……」

 教経は、落ち込む知盛を引きずるようにみなとへ向かった。


 ☆


 水島では予想通り激戦となった。しかし、船を連結させた効果は大きく、弓戦においても安定した足場になる。正確な狙いで矢を射込み、源氏方が怯んだところへ侵攻し、船戦ふないくさの常識を覆すほどの大騎馬隊を上陸させることに成功した。


「能登守だ、能登守が来た!」

 教経の姿を見ただけで源氏方は崩れたった。

 源氏方の総大将を教経が討ち取り、平家は久しぶりの大勝利をあげた。



 福原まで進軍していた木曾義仲だったが、この敗戦を受けるや、急遽軍を返した。京に残った新宮行家が蠢動し、義仲と後白河法皇の間を裂こうと画策しているとの報を受けたからだった。

「まずは、あの策士を討ち果たしてからだ」

 義仲は歯がみした。


 義仲が帰京すると知った行家は、慌てて丹波方面へ脱出する。目先の欲に囚われただけで、単独で生き残る戦力のない行家は、すぐに後悔した。

「義仲との間を修復する方法はないか」

 焦った行家は知盛の軍を襲撃しようと図る。功をあげ、義仲の許に戻ろうというのである。大局を見る目が無い行家は、自らの力を量ることもできなかった。

 

「知盛など、何ほどの事があろう」

 手勢のわずか五百騎ほどで、平家軍のいる室山を目指した。しかし、そこにはすでに平家軍が堅牢な陣を敷いて待ち受けていた。

「なぜだ。いつの間に、平家にこれだけの兵が……」

 あまりの大軍に行家は馬上で絶句した。


「待ちくたびれたぞ」

 平家方の先頭に立った武将が大声で手招きする。その武将の凄まじい闘気に、行家は凍り付いたように動けなくなった。


 能登守 平教経は、端正な顔で冷ややかに嗤った。


 

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