第5話 洲股(墨俣)合戦

 追討軍の大将となるにあたり、知盛には新たな官職が贈られた。

 それにより、彼の正式な名乗りはこうなる。

「従二位 行中納言 征夷大将軍 兼 左兵衛督 平朝臣知盛」


「征夷大将軍など、名ばかりだからな」

 知盛は別に有難がる様子もなかった。


 それも当然だろう。後世のような絶対的な権力者、武家の棟梁、といった意味合いはこの当時の征夷大将軍にはなく、単なる東方担当の将軍、と云うことでしかない。

 しかも与えられたのはその名号だけで、実際に彼に付与されたのは、清経率いる僅か数百の兵だけだった。

 そのため知盛は已む無く領国の長門(現在の山口県)から、手勢を呼び寄せなくてはならなかった。


「父上と共に戦えるとは、光栄です」

 一族の知章ともあきらという若武者が、長門から五百ほどの兵を引き連れて来た。年齢は清経とそう変わらないが、武士らしく鍛え上げられた体躯を持っている。

「父はやめてくれ」

 知盛は苦笑いしながら、彼にと呼ばれる忠度の気持ちが少し分かった。


 この知章は知盛を烏帽子えぼし親として元服した。それをまだ少年と呼ぶのは憚られるが、十代半ばに達していない彼の表情は、少年以外の何者でもない。


「烏帽子親は実の親と同じ。いや、むしろそれ以上ですから」

 あくまでも真面目な知章である。知盛は幾分辟易しながらも、頬を緩めた。


 ☆


 知盛は兵数を三万と号し、尾張へ進軍した。


「そんなに居ますか、三万なんて」

 佑音は後続の兵を見て首をかしげた。知盛は渋い顔になった。

「いいんだ。こういう時は多めに言っておくものだ」


「なるほど。どう見積もっても千人くらいだけどな、と思ったので。やはりわたしの見間違いじゃなかったんですね」

 ふむふむ、と頷く佑音の凛とした武者姿を知章はうっとりと見ている。

 佑音がそれに気付き微笑み返すと、知章は耳まで赤くなった。


「おい知章、この女の見かけに騙されるな。実は、がさつな乱暴者だ」

 えっ、と知章は佑音の澄まし顔を見返した。


「相変わらず失礼な。それに、少年の夢を壊したら駄目じゃないですか」

 佑音は馬上で口をとがらせる。

「現実を知るのは早い方がいい。それに今、自分で夢だと言ってしまったぞ」

「あ、……嘘だからね知章くん。わたしは優しいお姉さんだからね」

 知章は困惑した顔で、はぁ、と曖昧に頷いた。


 ☆


 洲股すのまた(墨俣)は木曽川流域にあり、古くから水陸交通の要衝である。後に、美濃攻めを狙う織田信長の家臣、木下藤吉郎が築いた一夜城で有名となるが、この当時から幾多の戦いの舞台となっていた。


「十万人くらい居るのではないかな」

 知章が対岸を見て、呆れたように言った。そこは見渡す限り源氏の兵で埋め尽くされていた。危惧した通り、各地の源氏が続々と加わった結果だった。


 ぴーひょろ~ろ~ろ。知章の背後で調子はずれの笛の音が聞こえた。振り向くと清経が白目を剥き、笛を吹き鳴らしている。

「おい清経どの。現実逃避をしている場合ではないぞ」

 はっと我に返る清経。

「ど、ど、ど、どうするのです。百万もの敵を相手に」


「お前たち段々と敵の見積もりが増えているではないか。……どうだ佑音」

 知盛は佑音を見上げた。彼女は器用に馬の鞍に立ち上がり、敵陣の様子を伺っている。すぐに、ひらりと飛び降りた。

「おそらく五千から六千でしょう。百万は居ませんよ、さすがに」

 佑音は軽く笑う。これは知盛の見立てでも同じだった。


「それにしても、五倍以上だな」

 どうしたものかと知盛は考え込み、顎をなでる。


「それなら簡単です。ひとり五人倒せばいいんですよね」

「なるほど、さすがは義母はは上。計算が早い!」

 胸をはる佑音と、賛嘆する知章。ふたりは顔を見合わせ、高笑いする。


「あの、義母上って何ですか。佑音さまは知盛さまの奥方でしたっけ」

 清経は怪訝そうに二人を見る。

「うん、その辺の人間関係は後でじっくり説明してあげるね」

「はあ」


「下らん事を言っている場合ではないぞ。佑音はおれの妻ではないし、知章も佑音の子ではない!」

「ひどい。わたしの知らないうちに、外に子をつくっていたなんて」

 佑音は口元を押える。知盛の頬がぴくぴく動いた。

「……貴様。川魚のエサにするぞ」



「先鋒は佑音。右翼に知章、左翼には清経だ。本陣はおれが率いる」

 絵図面を指差し知盛は布陣を説明する。

「あの。こういう場合、その他に後詰を配置するのでは」

 不安げに清経が指摘する。


「ああ。普通はな」

 だが、と知盛は言葉を切る。

「我らにそんな余力はない。この陣を突破されたら、そこでお終いだ」

「……」

 清経は青い顔で頷いた。


 ☆


 合戦は源平両陣営の挑発から始まった。

「珍しや、平氏の先鋒は女武者ではないか。男が欲しくてしゃしゃり出てきたか」

「鎧など脱いで乳を見せろ。おや、そんなものは付いておらぬか」

 むね、だと。佑音の顔色が変わった。


「これはまずい」

 知盛は唇を噛む。自重するよう伝令を出そうとした、まさにその時。戦場に佑音の罵声が響き渡った。

「源氏の玉無しども。その女相手に手も足も出ぬのか。貴様らなど、その跨っている駄馬にケツの穴を掘って貰うのがお似合いだぞ!」


 それを聞いた知章と清経は、同時に馬から転げ落ちた。

「あ、あれは本当に佑音さまか?!」




 その罵倒に最も敏感に反応したのは、僧侶あがりの義圓ぎえんだった。

「お、女め。お前などに山門さんもんの何が分かるっ!」

 これは女人禁制の僧侶としての経験から、何か感じるものが有ったのだろう。新宮行家が止めるのも聞かず、先頭を切って馬を川に乗り入れた。


「ええい、仕方ない。皆、義圓さまに続けっ!」

 どっと源氏軍が動き始めた。急な水流をものともせず渡河した義圓と行家の騎馬軍は、一斉に佑音の先鋒へ襲い掛かった。


「退くな、退くな!」

 佑音の懸命の叱咤にも関わらず、平家軍は一方的に押しまくられた。先鋒を粉砕し中央を突破した坂東の騎馬軍団は、知盛の本軍へと迫った。

 激突した当初は互角と思われた平家の本隊だったが、じりじりと押され始め、知盛も後退を余儀なくされる。


「なんと弱い。弱すぎるぞ。これが天下の平氏の軍とは呆れて物も言えぬ。覚悟せい、若僧め!」

 新宮十郎行家はついに敵将 平知盛の姿を目前に捉え、勝利の叫び声をあげた。


 だがそこで平家軍の後退が止まった。


「なに?」

 行家は、追い詰めたはずの敵将が不敵な笑みを浮かべているのを見た。首筋に冷たいものを感じ、辺りを見回す。

「……?!」

 源氏軍の左右には逃げ散ったはずの平氏の先鋒部隊が戻って来ていた。例の女武者の姿もある。

「謀られた!」

 行家の歓喜は絶望へと変わった。




 知盛は、采配を振り上げた。

「今だ。清経、知章!」

「応っ!!」

 左右に布陣した清経と知章の兵が、源氏の後方を扼するように動き出した。渡河して来たのは義圓と新宮行家の軍だけだったのだ。


 対岸で戦況を見詰める他の源氏軍の前で、包囲網は完成した。



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