第6話 新たな脅威

 対岸で味方が包囲されているにも関わらず、残る源氏の者たちは動こうとしなかった。みな互いに様子を伺い合い、険しい目つきを周囲に向けるばかりだ。


 それは陣中にある噂が流れていたからだった。

「このなかに平氏に寝返ったものがいる。何も知らずに川を渡り始めたら、後方から襲撃を受けるだろう」

 というのである。

 無防備な背後を襲われては精強な坂東武者とて、ひとたまりも無い。


 誰もが疑心暗鬼に囚われ、その場を動くことが出来なかった。


 ☆


「う、う、討ち取ったーっ!」

 清経は、血の気のない引き攣った顔で、震えながら大声を上げた。掴もうにも、その首には髷が無い。清経は両手でそれを高く掲げた。


「源氏の総大将、頼朝の弟、義圓ぎえんを討ったぞぉ!!」

 平家方から歓声があがった。もちろん実際に首を取ったのは彼の郎党であるが、その功績は清経のものである。


「では、おれも」

 知章は馬腹を蹴り、新宮十郎行家を探す。あの男は品の無い派手な甲冑を身に着けていた筈である。しかし、どこを見回してもその姿は無い。

「くそ。どこへ逃げた」


 ふと見ると、ほとんど裸同然の雑兵がうろついていた。その格好からは平家方か源氏方か見分けがつかない。

「おいお前、新宮行家を見なかったか」

 その雑兵は顔を伏せたまま、南を指差す。

「南だと。そうか、尾張から伊勢へ向かって逃げるつもりか」

 紀伊の国はあの男にとって所縁の地である。知章は迷わず馬首を南に向けた。


 しばらく身を屈めていたその雑兵はひとつ舌打ちした。主を失った馬を捕らえ、その背に飛び乗る。

「畜生めが。なぜ後続の奴らは川を越えて来なかったのだ」

 おどおどとした雑兵から態度が一変した。

 新宮十郎行家は吐き捨てるように言うと、一目散に北陸方面を目指し駆け去っていった。 


 盟主であった新宮十郎行家と義圓の敗北を見て、対岸の源氏はそれ以上の進攻を諦め、徐々に散っていった。

 洲股の合戦は平家方、知盛の完勝に終わった。


 ☆


「一番手柄は清経どのだな」

 知盛に言われ清経は顔を紅潮させた。彼にとっては、人生初にして最大の武功だったのだ。そこでふと清経は首をかしげた。

「しかし不思議です。なぜ対岸の源氏どもは攻めてこなかったんでしょうか」

 そのおかげで、知章と清経による包囲が完成したのだ。もし後続の源氏が渡河してきたら、包囲されていたのは平家方だったに違いない。


「ああ、それは……」

 知盛はそっと佑音を見た。だがその彼女はそっぽを向き知らん顔だった。

 ふ、と知盛は苦笑した。


「さてな。天の加護、というものではないか」

 彼自身、まったく信じてもいない事を口にする。だが、清経と知章には感銘を与えたようだ。すでに目が潤んでいる。

「亡き相国さまの霊がお守りくださったのですね」

 ふたりは空に向かい、手を合わせた。


 知盛は複雑な表情になった。清盛のそれは守護霊というより怨念だろう。

「我が墓に頼朝の首を供えよ」

 清盛は臨終にあたって、そう言い残したのだ。平家一門を見守るような、そんな優しい男ではない。したがって、源氏方の足を止めさせたのが相国清盛の霊でない事だけは確かだった。


 知盛は二人きりになった時、佑音を抱き寄せて耳元でささやいた。

「見事な働きであったと、家長どのに伝えてほしい」

 佑音は知盛に笑顔をみせた。


 伊賀平内左衛門 家長いえながは佑音の兄で、現在の伊賀家当主である。もとは平氏の一族で、伊賀の国に領地を持つことから伊賀姓を名乗っていた。


 山深く入り組んだ山谷に多くの小豪族が蟠踞する伊賀の国は、古くから難治の国と云われる。その豪族たちは常に反目し合っているが、他国からの勢力の侵入には同盟して敵に当たる。

 彼らは独自の連絡網を持ち、馬にも勝る通信速度を誇った。それぞれが小勢力であるため、敵方の情報をいかに素早く取得し得るかどうかが、そのまま一族の興廃に繋がるのである。

 後に「忍び」と呼ばれる者たちが、この小さな山間の国で生まれたのは決して偶然ではない。

 佑音の兄、伊賀家長が束ねているのはそんな者たちである。嘘の情報を流し、源氏方の中に裏切者がいると思わせる事など、彼らには容易たやすいことだった。

 ただ、それを他国のものに知られるのは得策ではない。佑音の沈黙はそういう意味である。知盛もそれをよく分かっていた。


「しかし何度見ても、あれが佑音の兄上とは思えない」

 知盛は家長の丸いタヌキのような顔を思い出し、顔をほころばせた。佑音も笑いをこらえるように、知盛の胸に顔を押し当てる。

「間違いなく兄です。でも昔はもっと細身だったのですよ」

「そうか。佑音も数年後には、ああなるのだな」

「なりませんよ、もう!」

 手を突っ張り身体を離そうとする佑音を、知盛はさらに強く抱きすくめた。

 ふたりは抱き合ったまましとねに倒れ込み、佑音は小さく声をあげた。


 ☆


 知盛は手勢を率い源氏方の残党と戦い続けていた。

 小戦闘を繰り返し、ようやく、尾張から源氏の勢力を一掃出来た頃である。佑音が難しい顔で知盛のもとへやって来た。


「京の宗盛さまからお手紙です」

 むっつりしたままで、それを差し出す。

「どうした。この戦力で鎌倉まで攻め込め、とでも書いてあったのか」

 笑いながら言う知盛を見て、佑音は目を丸くした。

「え?」


「え、え?」

 まさかの図星だったようだ。知盛の顔が凍り付いた。

 慌ててその手紙を開く。しばらく無言でその文面を眺めていた知盛は、大きく息を吐いた。


「どうやって、この東国で兵を集めろというのだ。ここは見渡す限り源氏の勢力圏ではないか」 

 宗盛は未だに、平氏の名を出せば軍兵は幾らでも集まって来ると思っているらしい。増援はできない、兵糧も現地調達せよ。宗盛はそう言ってきたのである。

「つまり、略奪しろと云うことか」

 さすがの知盛も怒りをあらわにした。



 だが、京では知盛に増援を送りたくとも出来ない事情があった。


 北陸道に木曾義仲が率いる源氏の軍団が現れたのだ。そして、彼は真っすぐに京を目指していた。




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