029 変異体

 カーレルと竜の睨み合いを他所に、ランディたちは四〇肢の異形と向かい合う。


 対峙するだけでわかる、圧倒的なプレッシャーに鳥肌が止まらない。先日斃したサソリなど相手にならないほどの難敵だ。極度の緊張から、知らず槍を握り締める手元に力が籠る。


 隣に並び立つのは、額に汗を浮かべながらも元奏杖を構えるレイチェル。


 周囲に倒れ伏すアルギュロス隊員たちは総じて戦闘不能。お陰でフェルトの援護は期待できない。


 こみ上げる恐怖を払拭するかのように、ランディが穂先を突きつけ、


「はっ、気色悪いムカデ野郎が。お前なんだ俺たちだけで十分だ」 


 そのとき、異形の頭部がヘルムバイザーのように開いてゆく。下から現れたのは、醜悪に歪んだ蒼銀の



『あぁん、誰かと思ったらヒュドラのガキどもじゃねぇか』



 その歪みきった顔はしかし、見覚えのあるものだった。調査任務の折、ランディたちにちょっかいを掛けてきたアルギュロス隊の隊長。そんな相手が、なぜか異形に転じて己たちの前に立ちはだかっているのだ。


「貴方は、一体……」


 茫然と呟くレイチェルの言葉に、ランディは内心で歯噛みした。目の前の状況を理解できない。など、今まで聞いたことがなかった。


『クッヒャッヒャッヒャっ! こいつは丁度いい。カーレルの野郎にはいろいろと借りがあるからなぁ。その前に味見してやるよ』


 他者を見下すような態度で、異形――『ジャスパーだったフォボス』が嘲笑する。


『けど、お前らの相手をしてやるのはもう少し先だ。先約がいるからなぁ……っと、ホントに前線にいたよ。よぉ、元気か――親父』


 砕けた大地をガサゴソと漁り、土煙に汚れたひとりの太った人間を吊るしあげる。それは全身から血を流してぐったりとした、ゲーリック・コルファニオだった。


 ゲーリックは眼前にある異形の顔を見て悲鳴を上げ、


「……な、何だ貴様は……っ⁉ ば、化け物っ⁉」

『あぁ? 実の息子に化け物はないだろうがよ』


 その言葉で相手が誰かを認識したゲーリックだったが、


「き、貴様なんぞ息子でも何でもないわっ。このっ、俺を、解放しろっ」

『……はぁ、分かってはいたけど、親父は俺のことなんて見てくれてなかったんだな』


 拘束から逃れようとする父親へ向けられた紫眼は、とても冷ややかなものだった。


『昔から金、権力。他人なんて所詮道具扱い。だから俺は、俺は……』

「ジャス、パー……」

『なーんてなっ。アンタの言う通り、この世界は所詮強い奴が勝つんだ。そして今の俺にはに貰った力がある』


 節足を蠢かし、ジャスパーがゲーリックの全身を甚振るように突きまわす。弛んだ首に、その一本が絡まり、


『フォボスを喰って、人間を喰って。そうやって手に入れた、ヒュドラルギュロスの連中すら越えた力だ。だからアンタなんてもういらなんだよ。用済みだ』


 締めつけの圧力が強まったのか、脂汗を垂らしたゲーリックがいよいよ失禁し、


「ぐえっ、や、やめ――」

『あばよ、親父。精々最期くらいは楽しませてくれや』


 グキッ、という鈍い音をたてて、ゲーリックの首が横に一八〇度回転した。屠殺された家畜さながらに、吊るされた四肢から力が抜ける。反応を示さなくなったを軽くゆすり、


『……んぁ? なんだ、もう終わりかよ。つまんねぇな』


 呟くジャスパーが、用は済んだとばかりに肉塊となり果てたそれを投げ捨てる。ドシャリと辺りに響く、湿った潰音を一顧だにせず、


『ま、いっか。これで用は一つ片付いた。次は――お前たちだ』


 狂気をより一層滲ませながら、言葉を発せずにいたランディたちへと向き直った。


『カーレルを潰す前の前座には、十分な獲物だ』


 四〇肢の異形が全手足を震わせ、不気味に揺らめく。蒼い甲殻が擦過し、不快な音が空気を震わせ、


『さっさとくたばってくれるなよっ!』


 巨躯に似合わない俊足を見せ、アルギュロス隊の倒れ伏す戦場を蹂躙してゆく。


 節足先端に制御陣が煌めき、幾十もの元奏術が発動。その密度、放たれる重圧に、ランディの背筋が戦慄いた。


「こいつ、隊長並みの術制御力じゃないかっ⁉」

「ランディっ!」


 咄嗟に身構えるヒュドラ・ブリードのふたり。


「背中は任せたっ!」

「了解っ!」


 受け答えの直後、術式が一斉に――開放される。爆槍が、閃光が。氷刃が風弾が岩雨が闇刃が雷光が爆風が鋼刃が水塊が雷鞭が光剣が岩槍が灼鞭が。少年少女を消滅させるべく、全方位から波濤となって押し迫る。


「うおぉぉぉぉぉぉっ!」


 ランディの槍が複雑な軌道を描いて少女に迫る術式を打ち払い。


「はあぁぁぁぁぁぁっ!」


 レイチェルの元奏杖が旋回して少年を貫きにかかる攻撃を受け流す。


 それはまるで、薄刃の上で踊る舞踏の如く。幼馴染の連携が、互いの隙を補いあって迫る死へと抗い続ける。


 慈悲無く押し寄せる波状攻撃に、終着は見えない。


「ランディっ! 左っ!」


 少女の放つ散弾が比較的包囲の薄い一角に間隙を作り、


「――蒼烈刺そうれつし!!」


 少年の破閃が突破口を穿つ。揃って身を投げ、紙一重で脱出。背後に殺到していた術同士が干渉し、直前までふたりのいた空間が盛大に爆ぜた。


 ひと刹那の安全地帯で必死に呼吸を整え、


「……生きてる?」

「……なんとか、な」


 喘鳴混じりに交わされる応答には余裕が欠落していた。


 全身に負った大小さまざまな裂傷。少女の二の腕は灼鞭に灼かれ、少年の肩口には岩槍が突き刺さっている。フェルトの術式対応訓練が無ければとっくにやられていたであろう密度の攻勢だ。


 彼我の距離はたった二〇メルナほどだが、その距離が果てしなく遠い。それでもなお、浅くない被弾を代償にランディとレイチェルは死線を躱し続けていた。


 だが、そんな彼らに、


『そらそらそらそらそらそらそらぁっ! どうした、その程度かぁっ⁉ そんなんじゃ直ぐに、死んじまうぜぇっ!』


 異形ジャスパーの攻撃はより激しく、苛烈に、容赦なく迫り来る。放たれる圧力で足場が、空間そのものが軋みを上げ、


『はっはぁ! こいつは、オマケだっ!』


 どころか、砕けた瓦礫を掴み取っての投擲が織り交ぜられ始めた。


「次から、次へとっ!」

「これじゃ、キリがないっ!」


 一方的な攻撃される緊張状態に、自然と舌打ちが漏れる。


 対応で手一杯のふたりは気付かない。異形の瞳が、不気味な光を称えていることに。

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