016 密会

 戻ってきたフェルトと会話を済ませたカーレルは、夜の街をひとり散策していた。フードを目深に被って歩きながら思い出すのは、先程の頭が痛くなるやり取りだ。


 もうちょっと教育に力を入れてくれと揃って上奏する三人。そんな蒼銀の眷属ヒュドラ・ブリードたちに対する隊長からのありがたい返答は、


『では、ふたりの教育はカーレルさんにお任せします』


 という、完全に投げ槍めいたものだった。


 唖然とする三人を前にしてフェルトは困った笑みを浮かべ、


『わたしは身の上が身の上でしたので、まともな教育自体を受けたことがないんですよ。引き取ってくれた研究者も、自分たちの研究ばかりにかまけていましたので』


 としょんぼり打ち明ける。


 末恐ろしい告白を聞いた三人は、しかし同時に深く納得せざるを得なかった。幼少期より忌避された存在であったフェルトは、他者との関わりが極端に少ない。まともな教育など望むべくもない環境にあったことに、頭が回らなかった。


 つまり現状は、最年長者のカーレルが適任者なのだ。


『わたしが手伝えることは手伝いますので、カーレルお願いします』

『手伝いって、例えばどんな……?』

『えっと、今は喪われた古代の元奏術とか……あ、あとはジープの運転とかも――』

『『――カーレルセンセイオネガイシマス』』

『……手のひら返し早いな』


 結局役目を押しつけられたカーレルは、痛む胃を押さえながら街中を進む。目的地は、街の中央――領主館の正面にある噴水広場だ。


 待ち合わせスポットとして有名なそこは、遅い時間でも多くの人々で賑わっていた。街路樹が円形広場に等間隔に並び、元奏機関で明るくライトアップされている。


 そんな中でカーレルは、古いベンチに腰を下ろして新聞を取り出す。『大侵攻間近。住民は一人一人警戒を』の見出しを眺め――隣に人の気配を感じた。


 チラリと見えた服装は、地味なシルクハットにトレンチコート。


「――久しぶりね、カーレル」

「お前もな、ミレーナ」


 コート姿の女性――ミレーナ・ユーデラインと視線を合わせることなく言葉を交わす。


「そっちからコンタクトを取ってくるとはね。重傷を負ったって聞いたけど、元気そうで何よりだわ。オルハ様も心配していたのに」

「うちの隊長のお陰でなんとか生き永らえた。代わりに部隊の教練官に任命されたけどな」

「それは大変ねぇ」


 馴れ馴れしい口調は約ひと月半ぶりのもの。そこに幾ばくかの懐かしさを感じてしまったカーレルは、新聞の裏で苦笑する。ミレーナは気遣うような口調で、


「カーラちゃんも凄く寂しがっていたわよ。一回くらいは顔を出しなさい」

「……病院に蒼銀の眷属ヒュドラ・ブリードが簡単に顔を出せる訳ないだろうが」

「……そう、だったわね」


 病弱なカーレルの妹、カーラ・スペーディア。


 ヒュドラルギュロスの一員となった今、カーレルは自由に出歩くことはできない。表立って異端の肉親と知られれば、カーラにいらない危害が及ぶ可能性がある。故に、妹の所へ顔を出すこともできない。


 雰囲気が少し重くなり、会話が途切れた。やがて空気に耐えられなくなったカーレルがそれを払拭するように、


「さっさと用件に入ろう。幾つか頼みがあるんだが……」

「ちょっと。幼馴染だからって私を便利屋みたいに使わないで。仕事も大変なんだから」


 途端にムッとしたような声色で抗議してきたミレーナに、カーレルは失笑した。


「はいはい。アイグレー領主補佐官様すごーい、サイコー、たよりになるー」

「もう、揶揄わないの」


 ミレーナは兄妹の年上の幼馴染で、現アイグレー領主の補佐官を務めている。年齢が近かったということもあり、昔は三人で遊んでいた。成長してからは交流が途絶えていたものの、カーレルの領主護衛着任を機に再会。以来旧交を温めていたのだ。


「ははっ……ありがとうな」

「……急にどうしたの?」


 文脈のない感謝に、ミレーナが訝しむ。


「いや、アルギュロスの奴らに会うときは大体避けられるか、睨まれるかのどっちかなんだ。前から変わりなく接してくれるのは――今のところお前だけだ」


 ポツリと漏れたそれは、カーレルの本心だった。


 死の瀬戸際に立たされたとき。カーレルはそれまでに築いてきた立場をかなぐり捨てて、生にしがみつく道を選んだ。


 因子を取り込んでも生存率は僅かで、助かったとしてもその先は茨の道。悪魔に魂を売り渡すと揶揄されかねないほどの、その愚行。


 運良く命を永らえた代償は、アルギュロス仲間たちからの排斥だった。方々ほうぼうから叩きつけられる――畏敬の、恐怖の、そして、忌避の感情。回復した直後のカーレルは、世界から完全に切り離されたような孤独を感じていた。


 傷つかなかったと言えば、嘘になる。だからこそ、この幼馴染の変わらない態度が身に沁みた。


 思考に耽るカーレルの隣で、ミレーナは深々と息を吐き、


「……用件、言ってみなさい。先ずはそこからね」


 察しの良さは流石だな、と内心で謝辞を表したカーレルは、


「……ヒュドラルギュロスの隊舎に、偏見のない教養ある人材を派遣して欲しい。さっき偶然知ったんだが、隊長も部隊員もまだ年若い上に真っ当な教育を受けてないみたいなんだ」


 ここまで来る道中に、カーレルが考えていたことだった。


 ランディやレイチェルはもちろん、フェルトだってまだ若い。戦いに身を置くことを覚悟していても、それが望んだ道だとは思えなかった。将来もし別の道を選ぶことができるとすれば、教養は大きな財産となるはずだ。


「戦闘はオレが教えられるが、それ以外がカバーしきれない。なんとかならないか」

「……正直難しいと言わざるを得ないわね」


 カーレルの提案を熟考したミレーナは、そう述べる。


「まず第一に、偏見がないというのが難点。それだけヒュドラの悪評は大きいのよ」

「アイツらは悪い奴らじゃない。付き合いは短いがオレが保証する」


 任務の最中に他者のことを想い、それで懊悩できる者たちだ。約一名悪戯好きがいるが、ランディやレイチェルの純情は疑う余地はないだろう。彼らがれている原因が周囲の環境であろうことは、十分に推測できる。


「分かっているわよ、それくらい。でも、一般の人たちはそうじゃないってことよ」


 しかし、ミレーナの言葉ももっともだった。ヒュドラルギュロスの評判が街でよろしくないのも、覆りようのない事実なのだ。


「それがなかったら、貴方をまた護衛に戻したいってオルハ様が言っていたわよ」

「領主様が、か……」


 幼馴染の言葉に、カーレルが僅かに目を見開いた。


 アイグレーの領主であるオルハ・アイグレー。彼女は、過去にこの街を治めていた貴族の家系に生まれた才女である。


 貴族という立場は形骸化して久しい。だがオルハは、家系と関係なく己の実力で領主の地位に就任。その高い教養とカリスマ性で、施政の中心に立っている人物であった。


 胸が熱くなる言葉に、しかしカーレルは首を振り、


「だが今のオレの居場所はあっちだ。申し出はありがたいがな」

「貴方ならそういうと思ったわよ」


 その言葉には、僅かにこちらを揶揄う気配が感じられた。やがて深々ふかぶかとしたため息が聞こえ、


「了解。人材の件、ちょっと当たってみるわ。時間がかかるかもしれないけど」

「……いいのか?」


 想定外の申し出に、カーレルは新聞の裏で意表を突かれたような反応を示した。話のついでと振ったネタに、色よい返事がもらえるとは思っていなかったのだ。


 ミレーナはそんなカーレルの反応を予期していたかのようにくつくつと笑い、


「アイグレー最強の部隊と繋がりを持っておくのは、プラスになるかもしれないものね」

したたかだな」

「領主補佐官ですもの」


 呆れを孕んだカーレルの言葉に胸を張って答えるミレーナ。


 この幼馴染は本当に変わらないと、なんだか心が温かくなった。ヒュドラルギュロスの面々と行動するときとは別の、懐古の温かさだ。


「わかった。また近いうちに繋ぎをとる。後これはオレの――」

「独断なんでしょ。付き合い長いのよ。それくらい分かるわ」


 自身の言いたいことすら読まれてしまえば、カーレルは苦笑するしかない。新聞の反対から、ふふん、と得意げな気配が伝わってくる。


「そっちの姫様に相談して正式に決まったらまた連絡を頂戴。見繕っておくから」

「ああ。頼む。それともう一つ、重要な案件がある。むしろこっちが本題だ」


 カーレルは話を仕切り直し、一枚のメモ用紙をミレーナへと手渡した。


「これは?」

「部隊の仲間から聞いた情報なんだが、三年前の大侵攻のときにとんでもない事件が起きていたかもしれない。そしてそれをアルギュロス側が秘匿している可能性があるんだ」


 間を置き、ミレーナが息を呑んだ気配が伝わる。


「……これ、本当なの?」

「ああ、この場で迂闊に話すのも避けたい内容だ。詳細は記載しておいたからその調査を依頼したい」

「……貴方はこの情報を漏らしてもいい訳?」

「オレはもうアルギュロスじゃないから問題ないだろ」

「屁理屈ねぇ」


 言葉の後に、しばらくの無言が続く。恐らくはメモの内容を精査しているのだろう。


「――ふぅ。叩けば埃が出るとは思っていたけど、まさかここまでとはね。……どこまで調べられるか分からないけど、やるだけやってみるわ」

「ああ、頼んだ」


 やり取りを終えたふたりは、示し合わせたかのようにベンチを立つ。そして、視線を合わせることなくその場を立ち去るのだった。

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