033 蒼銀竜の覚悟
「……皆、やってくれたのですね」
立ち昇る輝きが、迸る雷光が消えた空を見上げ、フェルトは表情を綻ばせる。
レイチェル、ランディ、そしてカーレル。
彼らの運命をねじ曲げてしまったと、後悔しなかった日はない。命を永らえさせる代償に、自身と同じ境遇を押しつけてしまったのだ。
彼らの心の裡を知るのは、本人のみ。フェルトにできるのは、彼らが迷惑と思ってないことを祈ることのみだ。
「さて、わたしの役目を果たさないといけませんね」
アイグレーの眼前に迫る数多の異形たち、その概数は凡そ万に迫る。昨日の戦闘、そして特記戦力の襲撃を受けた現状では、到底対応しきれない戦力。
だがしかしそれには、アルギュロスのみであれば、という但し書きが付く。戦況を覆しうる
そんな少女の下に、大柄な人物が歩み寄った。
「フェルト隊長。協力感謝する」
行方不明の総長に代り、この場の指揮を執っていた副長のオズワルドだ。現状の最高責任者として、ヒュドラルギュロス隊長――フェルトへと協力を打診し、
「はい、できる限りの――」
「おい副長。本気かよ」
「そんな気味の悪い女に頼るなんて。俺たちは反対だ」
「――あ……」
そんなフェルトの受諾を遮り、無粋な声が浴びせられた。
背後から容赦なくぶつけられる、憎悪の感情。少女を取り巻く視線は、決して好意的なものだけではなかった。むしろ、忌避感、拒否感の方が多い。
当然だ。特異な生い立ちのフェルトは街の人間に疎まれている。理解を示してくれる者たちもいるが、忌避感の方が圧倒的に多いのが実状だ。
それも全て、自身の中に流れる血が原因である。異形同様元素に反応して蒼く発光する血、人の中に生まれた忌むべき毒の血。
――お前なんて、産まなければ良かった。
今際の折の、母の言葉が想起される。いまだに悪夢としてフェルトを苦しめる、呪詛の言葉。
視界がぐにゃりと歪み、足元がふらついた。辛うじて転倒は堪えたものの、額からは嫌な汗が噴き出す。結局自身は、母の亡霊を乗り越えることができていない。
隊員から放たれる心無いヤジを受けたフェルトが顔を伏せ、
「――ほう。ならばお前たちは彼女の助力なしにこの状況を打開できるということだな」
オズワルドがその隊員たちに声を投げかけた。
覚束ない眼差しを向けると、首や指の関節を鳴らす大柄な男の姿。言葉こそ静かなれど、その視線には明らかな怒気が見え隠れしている。
「無論、街への被害を一切出さず、お前たちの戦力だけであの異形どもを全て打ち倒すことができる。その上での非難であろう。であれば遠慮せずに突撃するがいい」
「そ、それは……」
「いや、俺たちには……」
気圧されたように、突っかかった隊員が後ずさる。
眼前に迫る敵の数は昨日よりは少ないとはいえ、それでも数千は下らない。現状の隊列では、到底対応できない規模の群れ。少数で乗り込んでも、羽虫を潰すように飲まれるのがオチだ。
黙り込んだ隊員たちを睥睨して、オズワルドが腕を組む。その場で大きく息を吸い――
「お前たちもだっ! 決定に文句がある者は戦況を変える覚悟を持って申し出ろっ!」
一喝。
迫り来る異形の足音の中でも、その轟声はビリビリと戦場に響き渡った。各所で起こっていたざわめきが吹き飛び、一転して訪れる静寂。
「今は時間がない。命を無駄にしたくないのであれば、状況を覆せる者の邪魔をするな」
オズワルドの咆哮に、場の誰もが言葉を返せない。
「フェルト隊長。アルギュロスの隊員たちが……いや、それ以前に総長が君たちの印象操作を行っていることを知りながら止めることができなかったことを謝罪させて欲しい」
「オズワルド副長……」
「虫のいい話なのは承知している。だが、それでも、街の人々を救うためには君の力が必要だ。どうか今一度、我々に協力して欲しい」
頭を下げ、真摯な態度で訴えかけてくるオズワルド。フェルトは何も語らない。
身動ぎすらも躊躇われるほどの、張り詰めた静寂の中で、
「……俺も、彼女たちは信頼に値すると思う」
囲いの中からひとりの年若い男性隊員がフェルトたちの前に進み出てきた。
「アルギュロス隊のリベルタ・ブリュットだ。昨日、君の隊のメンバーに助けられた」
男性隊員――リベルタの言葉に、フェルトがはっと顔を上げる。昨日カーレルやランディが助けた部隊の一つが彼の部隊だったようだ。同様に進み出てきた部隊員を親指で指差し、
「この程度では恩返しとは言えないだろう。だが少なくとも、俺の隊のメンバーは君を支持させてもらう」
続いて周囲へと鋭い眼光を飛ばしながら、
「俺たち以外にもヒュドラルギュロスに助けられた奴らだっているはずだ! 命を助けてもらった恩を
「……そう、だな。借りはしっかりと返さないとな」
その言葉に感化されたのか、一部の隊員が彼同様フェルトへと頭を下げてくる。
思わぬ展開に困惑する少女へと、
「俺たちも昨日ヒュドラルギュロスの奴らに助けられたんだ。お陰で家族を泣かせずに済んだ。今更だが、君たちのことを信じさせてもらいたい」
「うちの部隊もだ。総長からあんたらは危険な存在だと聞いてたが、昨日のことで考えを改めた。どうか力を貸して欲しい」
先程同様周囲から向けられる視線。だがそれは今までとは違い、多分の期待を含んだ、好意的なものへと変化していた。
フェルトはその場でアルギュロスの隊員を見返す。
「……わかりました。微力を尽くします。貴方方の歩み寄り、そして、仲間たちの頑張りを無下にしたくはありません」
自然と浮かんだのは、戦いに打ち勝ったであろうヒュドラ・ブリードたちの顔だった。
彼らの撒いてくれた希望の種が、今この場所に存在する。であれば、隊を率いる自身の役目は、その種を芽吹かせることに他ならない。
覚悟を決めたフェルトの全身に活力が戻り、華奢な体躯が夜空に凛と立つ。隣に立つオズワルドを見上げて、
「ところで副長、どれ程までやってよろしいのですか?」
「……どれ程、とは?」
真意を図りかねたのか、オズワルドがフェルトへと聞き返してくる。
「言葉通りの意味です。わたしは今まで本当の意味で全力を出したことがありません。いつもは術の威力を抑えています。ですので、自分の全力を把握できていません」
「…………」
オズワルドはその言葉に、眼光を険しくした。
周囲からの奇異の瞳を恐れていたフェルトは、常に全力を出さないように気を配ってきた。故に底が分からないと、そう訴えかけたのだ。
オズワルドと同時に、視線を敵の群れへと転じる。特記戦力同士の対峙で両陣営間を空白地帯が隔てていた。再衝突までには今しばらくの時間がかかるだろう。
「……負傷者を即時回収し、部隊を後方で待機させる。全力でやって貰いたい」
獰猛に吊り上がるオズワルドの笑みを見て、
「――はい、承知致しました」
毒竜と呼ばれた少女は、流麗な所作で見事な礼を返した。
§
陣形を整えたアルギュロス隊員を背後に、フェルトがひとり異形の群れを見据える。
先程までささくれ立っていた心は、不思議なほどに凪いでいた。調子は万全、おまけに生まれて初めて全力を出していいと来たものだ。少女の口元に浮かぶのは、いっそ状況を楽しむような自然な笑み。
現場の責任者からはお墨付きを貰っている。それに何より、自分の仲間たちが方々で自由に暴れているのだ。
「なら、わたしが暴れても構いませんよね」
右手の親指を口元へと寄せ、噛み切る。
以前は自身の血を見ることさえ恐れていた。だが今は、それを受け入れてくれる人たちがいる。
かつて自身を庇い、怪我を負ってくれた恩人を思い出す。あれ以来顔を合わせていない、黄金の髪の男の子。
そんな彼が住むこの街を、守りたい。当時と変わらない想いを胸に、当時と違う紺碧の眼光が鋭さを増してゆく。
振りまかれた血が、どこまでも深く蒼く、夜闇を照らし出す。意思を持ったかのように中空に円環を描き、精緻な文様を刻んでゆく。
一つ、二つ……幾重もの制御陣が頭上に展開――同時起動数は、九。互い違いに回転し、干渉し、速度を増してゆく。比例して高まる元素がヒュドラの因子を励起させ、少女の周囲を照らす。
その様は、まるで蒼い宵月のよう。
波濤と迫り来る敵陣へと手を差し出し、掌を上へと向ける。
脳裏に描くイメージは、幼き頃の記憶に根付く情景。フェルト・ハーティルの根源たる、見事なまでの夕映え。
以前研究者から聞いた古代術式の一つに、丁度いいものがあるではないか。この術式なら、彼にも想いは届くのだろうかと、ありったけの感情を込める。
制御陣の回転が臨界に到達、ゆっくりと指を閉じて――
「――
世界が、塗り変わった。
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