018 積年の想い

 翌日、うなされた一名が行動不能だったため、休暇が与えられる。

そのタイミングを利用して、カーレルは隊舎へと引越し作業をしていた。


 元の宿舎で肩身の狭い生活を送っていたカーレルは、手早く作業に取りかかる。とは言っても、私物は簡単な荷車一台に収まるほどでしかない。


 故に、早い段階でパパッと作業を済ませて、新しい部屋で休んでいたのだ。しかし、いつの間にか寝てしまったらしく、気が付けば夜遅くになっていた。


 すでに食事の時間は終わっているだろう。小さく肩を落とし、仕方なしに荷物にあった保存食で手早く食事を済ませる。再度寝付こうとしたものの、目が冴えて眠れない。


「……ちょっと夜風に当たるか」


 なんとなしに独白し、屋上へと足を向ける。インナーシャツにラフなスラックスという姿だ。


 隊舎の階段を登り、外へ出て屋上の手摺てすりにもたれかかる。ライトの影響で見える星こそ少ないものの、星空は優しく瞬く。


 やがて背後のドアが開き、誰かがカーレルの隣に並び立った。チラリと視線を向けると、ゆったりとした黒いナイトドレスをまとったフェルトだった。


 普段軍服を着たところしか見ていないカーレルに、少女のその姿は新鮮に映る。静かな月明かりに照らされたフェルトに、しばし見惚れていた。


「……もしかして君の特等席だったか?」

「いえ、そんなことはありません」


 問いかけるカーレルへと、フェルトは首を振る。動きに合わせて、しゃらしゃらと細い金糸が舞い、柔らかな月光を跳ね返す。


「食事の時間に来られませんでしたね。部屋に声をかけても返事がありませんでしたが」

「あっと、それは悪いことをしたな。引っ越し作業が終わったあと、気がついたら寝ていたんだ。もしかしたら疲れが溜まっていたのかもしれない」

「そうでしたか。では、今日を休みにしたのは正解でしたね」


 ランディも起きてきませんでしたし、という呟きは聞こえなかったフリをする。カーレルは藪蛇を突かない主義なのだ。


 並んで静かに空を見上げる。穏やかに吹き抜ける夜の風が、ふたりの頬を擽った。


 少女から仄かに漂う甘い香りに、カーレルが視線を向ける。フェルトの髪は微かに湿り気を帯びているようで――


「……シャワーを浴びていたのか?」

「悪夢を見てしまいまして、寝汗でぐっしょりになってしまったので」


 前言撤回、藪蛇を突いてしまったとカーレルは顔を引き攣らせた。気まずげに視線を逸らし、


「あー……それはすまない」

「構いません。ふたりも知っていることですから」


 謝罪するカーレルへと、しかしフェルトは何でもないかのように続ける。


「いつもはレイチェルが気を利かせてくれるのですが、部屋にいなかったのでこちらに」

「こんな時間にか?」

「ランディの看病をしていたので恐らくはそちらかと」

「……良いのかよ」

「はい。ふたりとも奥手で進展していませんので」


 何やら言い切られるふたりが可哀想なのでは、と思わなくもないカーレルだ。


「ですので、代りに聞いていただいても?」

「打ち明けることで楽になれるんだったら、いくらでも」

「結構重い話ですよ?」


 自然と思い起こすのは、調査任務の折に聞いたレイチェルの過去。この部隊には重い経歴を持つ人間しか所属できないのかと、カーレルは天を仰ぐ。しかしこの場は乗りかかった舟だ、と覚悟を固めた。


「……お手柔らかに」


 緩衝の余地を残すカーレルへと、フェルトは儚い笑みを向け、



「わたしの母は、わたしの体質が判明した折父に捨てられ、それを苦に自殺しました」



 ヒュドラと忌避される少女の、超特大の告白だった。聞かなければ良かったと後悔するがもう遅い。熱くもないのに、嫌な冷や汗が一筋頬を伝う。


「続けても?」

「……どうぞ」


 毒を平らげるならば皿までと、半ば破れかぶれだった。フェルトは首肯し、ゆっくりとした所作で宵月を仰ぐ。


「最期は、幼いわたしに覆い被さって自分の首を斬りつけるというものでした。お陰で当時のわたしは返り血をたっぷり浴びて、今でもうなされるくらいです」


 カーレルへと紺碧の瞳を巡らせて、はんなりとした笑みを浮かべ、


「可笑しいですよね。悪夢で起きた直後は汗が止まらず体が震えるのに、人に話すときは割と平静でいられるんですから」

「……それは嘘だな。肩、強張っているぞ」


 今にも闇の中に消え行ってしまいそうな姿が見ていられなくて、思わず口にした。薄い夜着に包まれた少女の華奢な肩が、ほんの微かに震えているように見えたのだ。


 指摘されたフェルトは「……え?」と困惑したような表情を浮かべる。どうやら自覚がなかったらしい。


「前にも言っただろ。弱音を吐きたいときには頼って欲しいって」


 カーレルは体ごと少女へと向き直り、


「その悪夢を見た後に、感情を吐き出した経験は?」

「……レイチェルたちと出会ってからは一度もありません。必要以上にあの子たちに気を使わせるのは悪いと思いまして」


 無意識に手を伸ばし、彷徨わせたそれをフェルトの頭の上に重ねる。ビクリと強張った反応が返ったが、拒まれることはなかった。


「もう聞いた地点で今更だと思うがな」

「そうでしょうか」


 カーレルは少女の過去を聞いて、ああ、と納得した。フェルトが日常で見せる表情は、大抵笑みばかり。それはつまり、笑顔の仮面だったのではないだろうか。


 笑っておけば、自分の心はともかくとして必要以上に他者を気遣わせずに済む。そうやって己の感情を押し殺し、これまで溜め込んできたのではないか。


 気付いたときには、カーレルはフェルトを抱き締めていた。


「ふえっ? カ、カーレルさんっ?」


 素っ頓狂な声をあげて慌てる少女を見て、カーレルは小さく安堵した。なんだ、そんな表情もできるんじゃないか、と。


「……なんかようやく、フェルトのことが理解できた気がするよ」


 距離が近づいたことで、先程感じた香りがよりはっきりと鼻腔を擽った。夜風で少し冷えた体同士が触れ合い、熱を取り戻してゆく。


 幾らヒュドラと呼ばれても、フェルトはまだ年若い女の子でしかない。ましてや少女の周りに、悩みを相談できる大人はいなかったのだ。ランディやレイチェルは、気を使って何も言えなかったのだろう。


 であれば、フェルトの裡に潜む感情を拭い去れるのは――己しかいない。


「オレは以前、君に命を救われた。その恩返しをさせて欲しい」


 だから、と優しく言い聞かせ、


「辛いときは泣けばいいんだよ。他人の目なんて気にするな」

「あ……」


 カーレルの腕の中で、フェルトの瞳が大きく見開かれる。どこまでも澄んだ紺碧の双眸が、星の光を受けてキラリと輝いた。


「……人前で弱みを見せてもいんでしょうか?」

「少なくともオレは、助けられたとき君に弱みを見せている」

「……迷惑にならないでしょうか?」

「そうやってひとりで感情を溜め込まれる方が迷惑だ」

「……頼ってしまっても、縋ってしまってもいいんでしょうか?」

「女の子に頼られるのは、男としては嬉しいな」


 問答一つずつに薄桃の唇が震え、瞳が潤みだす。カーレルは少女の言葉を否定せず、幼子をあやすように背中を撫で続ける。


 華奢で柔らかな肩の震えが大きくなり、


「……さっきも言いましたが、わたしはどこまでも重い女ですよ」

「それくらいオレが受け止めてやるさ。だから存分に頼ってくれ」

「……言質は取りましたからね」


 やがて顔を俯かせたフェルトから、嗚咽が漏れ始めた。最初こそ押し殺した声だったが、やがて声は大きくなってゆき、


 

「――――――――――――――――――――――――――ッ‼︎‼︎」



 積年の想いが溢れ、雫となってシャツを濡らす。カーレルは何も語らず、ただ一心にフェルトの感情を受け止め続けるのだった。

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