4章 大侵攻

023 大侵攻

 隊長格が集った会合から二〇日ほど経った今日。アイグレー東部の街から少し離れた荒地に、剣戟と怒声、そして咆哮が響き渡る。


 黒と蒼の波濤が衝突し、砕け合う戦模様。それは、アルギュロス異形フォボスの激突だった。


 両陣営が交錯してから時間が経過し、明陽ヘリオス・へメーラが傾いた頃合いだ。衝突の直前では、確認されたフォボスの群れの総数は一万ほどにも及んでいた。


 調査任務の道中で対峙した人狼や、大型の肉食爬虫類に大蛇。翼持つ四足の獣が飛来し、見上げるほどに巨大なゴーレムが徘徊する。


 災厄に対する防衛人員は、規模のみで言えばその三分の一ほど。正面切っての戦闘は、人側に明らかに不利な状況だ。


 しかし人の経験が、歴史が一方的な蹂躙を許さない。


 防衛ラインの各所に敷設されるのは、元奏術を用いて造られた塹壕。その奥には、古代文明の技術を解析して建造された元奏機関の機動砲台や大砲が設置されている。周囲の元素を取り込む他に、術者が元素を充填することで運用できる優れものだ。


 射程に入ったフォボス目がけ、射出された砲弾が降り注ぐ。速力を上げて戦線に突っ込んできた異形たちを、塹壕と屈強な戦士たちが足止めする。立ち往生したところへ放たれる広範囲の元奏術が、フォボスを打ちのめす。


 初動戦術が功を奏し、現在の戦況は混戦の膠着状態に縺れ込む。そして、そんな黒蒼の波を――ヒュドラルギュロスは物見塔の上から見下ろしていた。


「……今のところは戦況は拮抗しているな」

「そうですね。予想外に防衛隊が持ち堪えていますね」

「……予想外は流石に酷くないか?」

「いえいえ、戦力差を鑑みての純粋な賞賛ですよ」

「そうは聞こえなかったんだが」


 双眼鏡を手に遠方の戦況を並んで見届けるカーレルとフェルト。だがそんな少女の言葉には、どこか棘があるようにカーレルには感じられた。


 先程まで見張りをしていたランディとレイチェルは現在後ろの席で休憩中だ。


 戦場から少し離れたこの場所は、砲台のさらに後方。アイグレーの街までの、最終防衛ラインだった。


「にしても、本当に俺たちは戦わなくていいんだな?」

「正確には、防衛ラインに異常、もしくは戦線が破綻しかけるまで待機してろって指示だ。今が暇だからって気を抜くんじゃないぞ」

「要するに自分たちが点数を稼ぎたいから、邪魔者は引っ込んでろってことですよね」

「まぁそういってやるな。アルギュロスも必死なんだから」

「こんな逼迫した状況になっても使える戦力を持て余して必死ねぇ……」


 棘どころか、ナイフすらグサグサと刺さりそうなレイチェルとランディの物言い。そのもっともな言い分に、カーレルは肩を竦めるのみだ。


 最終的な配置が通達されたのは昨日の夜。指示書曰く、『ヒュドラルギュロスは後方で不測の事態に備えられたし』とのことだ。


 指定場所にあったのは、高さ一〇メルナほどの粗末な物見塔――元奏術で魔改造済――。つまり、戦場で猛威を奮ってきたヒュドラは、今回蚊帳の外に置かれたということだ。


 好んで戦線に身を置きたい訳ではないが、現状を面白くないと思うのは至極当然。そして、それはこの場の皆が同様だ。ランディやレイチェル、そしてフェルトまでもが少なからず不満を抱いていた。


まったく……。つまらない見栄のために犠牲を増やすなんて。非合理的ですね」


 不満たらたらと言った口調で唇を尖らせるフェルトの言葉自体は正しい。現に、前線に立っていた隊員の中には戦死者も大勢いるのだから。


 だが、そんな隊長へと背後から向けられる目には、別種の驚愕が含まれていた。


(……最近、フェルト隊長の表情が凄く柔らかくなった気がするんだけど)

(確かにな。一体何があったんだか)


 背後から聞こえるひそひそ声は、ぼやくフェルトには届いていない。だが、もうひとりの新人隊員の肩が、不覚にもピクリと跳ねた。


 二対の訝しんだ視線がその背中に突き刺さる。返しでもついているかのように、食らいついて離さない。


 知っていることを全て吐けと語る、無言の催促。暑くもないのに、背中が汗でぐっしょりと濡れていることをカーレルは自覚していた。


 夜の語らいを境に少女の態度が軟化したのは確かだ。今まで浮かべていた作り物めいた笑みではなく、もっと自然な感情の吐露。付き合いの長いレイチェルたちが気付かない道理はない。


『おい何を知っている』

『そうよ吐きなさい』

『お前らだって探られたくないことくらいあるだろ』

『それとこれとは――』

『――話が別です』


 嫌疑に応じるのは、言語よりなお雄弁に語る背中から醸し出されるオーラだ。アイコンタクトを超えた、超級難易度のコミュニケーション。今のカーレルは、『男は背中で語る者』を地で行く、一種の到達者だった。


「あっ、そこ危ないです……そっちの部隊運用は迅速に……貴方たちはもっと周囲を警戒してください……ようやく撃破ですか。……ああ、わたしならもっと的確に潰せるのに……」


 無駄な技術の応酬の横、戦況への不満を実況するフェルト。蚊帳の外の、さらに蚊帳の外に置かれた少女は、戦場を見てプリプリしているのだった。



  §



 状況が明確に動いたのは、後ろからの視線と横からの愚痴に辟易していたときだった。いい加減どんよりしてきたカーレルが、一番最初に異変に気付く。


「――ん? なんか揺れてないか?」

「ンァ? 戦闘で感じる振動じゃねーのか?」

「私も特に感じないですけど……」

「――いいえ、カーレルさんの言う通りです。微かにですが揺れていますね」


 横合いからの声。三人が意識を向けると、フェルトが片膝を付き、足場に手を当てていた。ややあって金髪の少女が顔を上げ、


「――っ!? いけませんっ。逃げてください‼︎」


 と切羽詰まったような悲鳴をあげる。視線の先にあったのは、アルギュロスとフォボスが対峙する戦場。



 その集団の中央部が――突如として円形に陥没した。



 轟音と、悲鳴。砕けた地盤が崩落し、足場を失った隊員が異形共々飲み込まれてゆく。崩落の範囲は広く、後衛に設置されていた兵装すらも一部粉砕される。


 噴煙が巻き起こり、詳細な被害は不明。しかし、戦況そのものを揺るがす大惨事が起きたことは確かだろう。


 場の誰もが言葉なく戦場を見渡し、


「――あ、あれっ‼︎」


 何かに気付いたレイチェルが一画を指差す。


 朦々と立ち込める煙のこちら側、後衛部隊の中央。地中から巨大な円錐形のハサミが飛び出し、直上にあった大砲を隊員ごと圧壊させた。


 同時に陥没した地表の周囲を割って這い出してきたのは――


「この前のサソリ野郎かっ‼︎」


 ランディが苦虫をまとめて噛み潰した顔で吠えたくる。


 忘れもしない、ヒュドラルギュロスの面々が以前対峙した、巨大なサソリの異形。それが、見える範囲の被害領域周囲に――複数体同時に出現した。


 真下からの奇襲を受け、隊列が混乱に陥る。


「――フェルト、不測の事態発生だ。援護に向かっても構わないな」


 状況を見極めたカーレルがフェルトに進言する。


「カーレルさん……。はい、そうですね」

「隊長っ⁉︎」

「時間がありませんので簡潔に。恐らくは反対側にも敵がいるでしょう。わたしとレイチェルがここから後衛側の敵を迎撃しますので、ふたりは前線側をお願いします」

「でもっ」

「ランディ、貴方が力を欲したのはなんのためですか? 自分と同じ思いをする人を減らすためではないですか」


 様々な感情が混ざった表情を浮かべるランディを、フェルトは優しく諭し、


「大丈夫。ランディならできるよ。だって、この前から一杯訓練してたもの」


 幼馴染から向けられる、期待の籠った翡翠の瞳。それがランディの心に火をつけたのだろう。


「――わかったよ。ああ、やってやる‼︎」

「はい。お願いしますね。足元からの奇襲に注意してください。向こうの状況が分かりましたらカーレルさんの判断でお願いします」

「了解だ。行くぞランディ」


 首肯したカーレルはランディへと青い視線を向けた。大きく深呼吸した少年が目を見開き、カーレルを見据える。


 互いに頷き合い、武器を手に塔の上から身を躍らせた。

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