022 教師襲来

 その人物は、唐突に隊舎へとやって来た。


「た――のも――――‼︎」


 バァン、と大々的に扉を開き、明るい声が部屋全体に響き渡る。


 入ってきたのは、二十代半ばほどの、長身の女性だ。糊のきいたシャツの上から黒いジャケット、パンツスーツを着こなしている。ハニーブラウンの髪をポニーテールにまとめ、目元を覆うのは大きなサングラス。まさに、キャリアウーマンといった出で立ちの人物だった。


 しかもなぜかぷるぷると震えるメイド服姿の女性を後ろに帯同している。


 今後の訓練の予定を組んでいた一行は呆気にとられ、やがて反応が二分化した。


「……えっと、どちら様?」

「さぁ?」


 首をかしげる幼馴染組と対照的に、カーレルとフェルトは狼狽する。物申したいけど言葉が出てこないといった様子で、口をパクパクさせるだけ。


 よく分からない空気を切り裂いたのは、やはりハイテンションな女性だった。


「久しぶりだな、カーレル。元気そうで何よりだ。それとフェルト隊長。私的に会うのは初めてかな」

「な、な……」

「どうして、貴方が……」


 男勝りな口調の女性が、カーレルへとサングラスの奥から瞳を向け、


「嫌だな、以前お前から頼まれていた件についてだ。そこにいるに相談しただろう? だから私が来た」

「相談って、まさか……」

「なんだ、まだ話していなかったのか?」

「……カーレルさん、どういうことでしょうか?」


 全員の視線がカーレルに集まった。


 予期せぬ事態に内心で冷や汗を掻きながら、フェルトたちへと事情を説明する。すなわち、ランディたちへ勉強を教える教師を用意してくれと依頼したことを。


「――もう、そういうことでしたら早めに相談していただきたかったです」

「……面目ない」


 頬に手を当てて困った表情を浮かべるフェルトの前で、小さくなるカーレル。そんなふたりを見てくつくつと笑うサングラスの女性は、


「話がいってなかったか。そうなると、今日のところは顔見せだけにして出直したほうがいいかな?」


 と楽しそうに宣う。


「そもそもどうして貴方なんですか。オ――」

「――おっとそこまでだ。自己紹介くらい自分でするさ」


 カーレルの言葉を遮り、サングラスの女性がランディたちへと向き直る。


「初めまして、ヒュドラルギュロスの若き戦士たち。私はハル・アーレイ。以前カーレルに勉学を教えていた者だ」


 話を合わせろと、フェルトたちにアイコンタクトする女性――ハル。どうやらこの場では、今口にした名と立場を使うつもりなのだろう。


「どうも、レイチェル・ディオラです」

「……ランディ・クロッツァ、です」


 しどろもどろになりながら挨拶するふたりへと、ハルは人好きのする笑みを浮かべる。やがてカーレルへと視線を向け、


「なかなか素直そうないい子たちじゃないか。カーレルが肩入れするのも分かるなぁ」

「いや、こっちの話も聞いて欲しいんですがね」

「何か言ったか?」

「イイエナニモ」


 ジトリと睨みつけるハルから視線を逸らし、カーレルは空返事で返す。しばらくしてため息を吐いたハルはランディたちへと向き直り、


「いいかふたりとも、あれは反面教師だ。君たちはあんな悪い大人にならないように」

(本人の前でいけしゃあしゃあと)


 今度は聞こえないように悪態をつき、カーレルは後ろで縮こまるメイドへと歩み寄った。ぷるぷる震えている銀髪黒瞳の女性は、顔を隠すように背ける。


「で、お前は何をやってるんだ――

「……そんな人物は知りません。人違いではないでしょうか」


 言い逃れしようとするメイドは、以前カーレルが接触した幼馴染のミレーナだった。藍色のワンピースに白いエプロンを組み合わせたエプロンドレス姿が映える。


 知り合いの前でメイド服姿を晒すのに抵抗があるのだろう。顔を背け、頑なに目を合わせようとしない。だが、逃さないとばかりにカーレルはジト目を外さなかった。


 やがて根負けしたミレーナがしゅんと肩を落とし、


「……教師の件を相談したら、あの方がヒュドラルギュロスの子たちと話をしてみたいからって乗り気になっちゃってね。私は付き添いよ」

「はぁ、そんなところだろうと思った。仕事は大丈夫なのか?」

「私たちがちょっと抜けただけで崩壊する体制は作っていない、ですって」

「さいですか」


 ミレーナとカーレルは揃って肩を落とす。


 対照的に、話し込むハルとランディ・レイチェルは盛り上がっていた。


「つまり、ハルさんが私たちに勉強を教えてくれるということですか?」

「ああ、そのつもりだ。戦場に身を置く者とはいえ、君たちはまだ教育を受けるべき年齢だ。そんな君たちの力になりたくてな。だから私のことはハル先生と呼ぶように」

「……あんたは俺たちが怖くないのか?」


 訝しむランディへと、ハルは微笑んで見せる。うっ、と微かに頬を赤くして目を逸らした少年の脛を蹴るレイチェル。ふたりの微笑ましい姿を見たハルは大きく首肯し、


「君たちはこの街の、アイグレーのために命を賭して戦ってくれているんだ。感謝することこそあれ、恐れるのは筋違いもいいところだろう」


 その声音は、真剣なものだった。サングラスを外し、ハニーブラウンの瞳がふたりを見据える。


「だから君たちさえ良かったら、私の授業を受けて欲しい」


 ハルの真摯さを受け取ったのだろう。ランディとレイチェルが顔を見合わせて小さく頷き合った。


「……わかりました。こちらこそよろしくお願いします。ハル先生」

「……同じく、お願いします。……ハル先生」

「ああ、よろしく」


 返事を聞いたハルはふたりへと手を差し出し、握手する。

 次いで金髪の少女へと顔を向け、


「フェルト隊長。君の事情も把握しているつもりだ。君にとっては退屈かもしれないが、一緒に授業を受けてみないか?」

「……わたしも、よろしいのですか?」


 困惑した表情を浮かべる少女へと歩み寄り、


「ああ、ここまできたらふたりも三人も変わらないさ」


 彷徨ったフェルトの視線が、カーレルを捉える。小さく首肯する青年を見て意を決し、


「……わかりました。この子たちと一緒に学ぶのも面白そうです。よろしくお願いします」

「ふっ、そうこなくてはな」


 笑い合って握手する代表者たちの言葉で、定期的な勉強会の開催が決定されたのだった。



  §



 で忙しいとのたまっていたハルだが、二日に一度は顔を出すようになっていた。来訪の時間はまちまちなれど、その度に珍しいお菓子を手土産に持ってくる教師。本職で鍛えられた話術と相まって、二度目の授業ではすでに隊員たちと打ち解けていた。


 開始から数えて五回目。教本を片手に、本日の講義である『数学』の板書をしていたハルが振り返り、


「――ではランディ。この問題が解けるか」


 ノートにメモを取っていた少年を指名する。本来であれば、彼らの年代が学ぶ少し手前の範囲の問題だ。しかし、名指しされた少年はこれから決戦に臨む表情を見せ、


「ああ、やってやる」


 と息巻いてボードの前に立つ。ペンを手に取り、数式と導かれる解答を書き込むランディ。


 途端、スッとハルの目が細められた。何かミスをやらかしたかと顔を引き攣らせる少年。


 教師は彼の前に立ち、


「――よくやった。正解だ」


 と笑顔で首肯し、少年の頭を撫でる。


「お、おう……」


 素直になされるがままのランディだが、その表情には僅かな照れが見え隠れする。


「む〜……」


 初々しい態度の少年を睨み、面白くなさそうにレイチェルが唇を尖らせた。そして、そんな少女の態度を見逃すハルではない。ランディを席に戻し、次の問題を書き込んで振り返り、


「では次の問題は、レイチェルに解いてもらおう」

「は、はいっ」


 唐突な指名に、あたふたとするレイチェルが前に出てきた。ランディ同様に黒板へと向き直り、必要な数式と答えを書き込む。


「うむ、君も正解だ」

「えへへ……」


 優しく頭を撫でられ、自然とレイチェルの頬も緩む。卓を並べるフェルトも、柔らかな雰囲気で見つめていた。


「……なんかすごく馴染んでいるな」


 教室となったヒュドラルギュロス隊舎の一室。付き添いのミレーナと対面するカーレルは、部隊に配属された当初を思い出す。


 フェルトはともかく、露骨に敵対してきたランディと、拒絶感あらわだったレイチェル。対して目の前の授業の風景は、和気藹々わきあいあいとしてる。すごく負けた気分になったのは、気のせいではないはずだ。


「さすがはハル様よね。誰とも仲良くなれるのは一種の才能よ。振り回されるのはこっちだけど」

「お付きの仕事ご苦労さまです、メイド長」

「メイド長いうな」


 幼馴染同士のあけすけな応酬。ミレーナは「はぁ」と大げさにため息を吐き、


「それにしても、これは私たちの問題ね」

「……ヒュドラルギュロスに対する認識のことか?」

「ええ。私もあの子たちと話してみたけど、全然化け物なんてことはなかった。普通の子たちと変わらないじゃない」

「最初は恐る恐るだったのにな」

「そこ、茶化さない」


 愉快気に口角を上げるカーレルへと、微かに目を細めるミレーナ。彼女が初めて隊舎を訪れたときに恐々としていたのは、悪評が念頭にあったためだろう。


 だが、それは過去の話。ハルほどではないものの、ミレーナもヒュドラルギュロスの面々と馴染みつつあった。


 話題を戻すべく、コホンと咳払いし、


「ともかく、カーレルは次の任務を無事に生き残りなさい。こうやって背負うものが増えたんだから」

「当たり前だ。もう前みたいな無様は晒さないさ」


 言われるまでもないと首肯するカーレル。


 失った絆と、変わらずにある絆、そして、新たに紡がれた絆。そのどれもが自分の生きてきた証であり、これから先も連綿と続いてゆくものだ。


 このみちの果てに、いつかの約束を交わした少女はいるのだろうか。綺麗なエメラルドの瞳をした、あの少女は。


「話は終わったのか?」


 思考に耽っていたカーレルを呼び戻す声。それまでランディたちの質問に答えていたハルが会話に参加してきた。


 ミレーナが恭しく礼をして、


「はい、大丈夫ですよハル様」

「ふーん? まぁいい。今日はこの辺にして切り上げるぞ。流石にあちらを放置しておくのは悪いからな。……ランディ、レイチェル」


 ハルは一旦背後を振り返り、自身の教え子たちと向き合う。歩み寄ったふたりをまとめて抱きしめ、


「そろそろ都市の近くにフォボスの群れが侵攻してくる頃合いだ。君たちは決して無理をするな。不測の事態が起きたら身を守ることを優先しろ」


 じゃないと、と目線を合わせ、


「私が悲しむ。それともお前たちは教師を泣かせる悪い生徒か?」

「……わかってます。無理なんてしません」

「……俺も約束するよ」

「ああ、それでいい。無理をする悪い生徒は落第だ」


 と過去に無理をした落第生カーレルへと目を吊り上げる。


 カーレルは前髪を弄りながら目を逸らし、


「悪かったですって。もうしませんよ」

「お前は前科があるからな。信用ならない」


 落第者を一蹴したハルはフェルトへと向き直り、


「だからフェルト隊長。責任を持って隊の皆を無事に帰すんだ。もちろん、君自身も」

「……お言葉、胸に刻みます」


 再度カーレルたちを見回し、安心したように頷くハル。その面差しは、手のかかる弟妹ていまいを見守る姉そのものだった。


「よし、では次また無事に会えることを楽しみにしてるぞ、ヒュドラルギュロスの諸君」


 背を向けたハルは、ミレーナを伴って部屋を後にする。そんな彼女の背中を見送ったランディがカーレルへと金の瞳を向け、


「……なんか、前にアンタが言ってたことがわかった気がする」


 皆の視線を受け、それでもランディは臆さずに、


「人に生きて帰るって約束をするのは、重要なことなんだな」

「ああ、その期待を裏切るなよ」

「……いや、それを落第者に言われてもなぁ」

「おっとこれは失礼」


 冗談めかしたカーレルたちの軽口に、皆が揃って噴き出す。


 そのとき、ランディが何かを思い出したかのように、


「あっ、やばい。ひとつ聞き忘れていたことがあったんだ。ちょっとハル先生たちを追いかけてくる。ほら、レイチェルも行くぞ」

「えっ、ちょ、ちょっと何よ急に。ねぇランディっ⁉」


 少女の手を掴み、少年がふたりの後を追う。後に残されたカーレルとフェルトは顔を見合わせ、


「一体何だったのでしょうね」

「さぁな」


 共に首を傾げるのだった。



  §



 このとき結ばれた特務調査悪戯同盟が後に災厄となって振りかかることを、ふたりはまだ知らない。

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