2章 調査任務
006 出立
翌日、手紙を出したカーレルは、胡乱げな視線に晒されながら部隊隊舎へと向かう。
宛先は妹のカーラ・スペーディア。兄妹の両親は過去のフォボス襲撃で他界しており、血縁は互いのみ。生まれつき体の弱いカーラは、寝たきりの生活を送っている。カーレルの給金は、その治療費に充てられているのだ。
瀕死の重傷を負ったと連絡したあとに届いたのは、取り乱した筆跡と涙の跡が残る手紙。
無事か、命に別条はないか、こちらを心配しなくていいから自分を大事にして欲しい。
滲んで読みにくいが、故にこそ真に迫った気持ちの込められた手紙だ。これ以上心配をかける訳にはいかないな、と内心で苦笑したことを覚えている。
合流予定の隊舎に着いたとき、他の三人はすでに準備を終えていた。
「ちっ、おせーぞ新入り」
舌打ちし、真っ先に口を開いたのは背中に蒼槍を背負ったランディだ。昨日のことを根に持っているようで、まるで宿敵を見るかのような視線を向けてくる。
だがカーレルはちらりと目をやったのみで言葉を返さない。
無反応なこちらへの圧力を強めた少年だったが、
「ランディ?」
「はいぃ⁉︎」
背後から聞こえる冷たい声色に態度を一転させ、直立の体勢で動かなくなる。
声の主――フェルトはカーレルに柔らかな笑みを向け、
「カーレルさん、今回はお願いしますね」
「……ああ、こちらこそ頼む」
笑顔の気迫に押され、そう答えるだけで精一杯だった。固まる男性陣を他所に、フェルトはレイチェルの背中を押し、
「……その、よろしくお願い、します」
「ああ、よろしく」
消え入りそうな声の少女に、カーレルは挨拶を返す。それでランディからの視線の圧がさらに増したものの、結局は口を開かなかった。
レイチェルが持っている獲物は、ランディのそれよりも少し短いポールウェポンだ。
縦長の楕円を割って上下にずらしたような、奇妙にふくらんだ形状の先端。柄の半ばに付随するのは、射撃時に保持する展開式のサイドグリップだ。
恐らくは昨日聞いた
「では出発しましょうか」
フェルトを先頭に、ヒュドラルギュロスの面々は街を行く。
この街では隊舎を含む一部の建物を除き、石造家屋が一般的だ。
その例外の代表が、街の中心に位置する領主館である。
古代文明の技術で建造された金属製の外壁に、外敵を拒む鉄城門。一〇階建ての古代高層建築は、単独で街の城塞を遥かに超える防御を誇る建造物である。敷地の広さも相まって、非常時の避難場所としても指定されていた。
そんな領主館に背を向け、石畳の道を歩き東門へ向かうカーレルたち。
道中では露店や店が開かれ、主要通りでもないのに多くの人々で賑わっていた。
周囲の風景をキャンバスに描く画家に、花売りの少女。噴水の近くで談笑するカップルのそばで、近所の子供たちが追いかけっこをしている。
だがその雰囲気は心なしか、迫る大侵攻の予兆でピリピリしているように感じられた。そして、そんな人々の視線が、近くを通った一行へと突き刺さる。
「……ちっ、毎度毎度気に入らねぇ。俺たちは見世物じゃねぇっての」
「ランディ、仕方ないでしょ。私たちは……この街の異端児なんだから」
「……これが、ヒュドラルギュロスの視点か」
「はい、今後のために慣れておいてくださいね」
「……簡単に言ってくれるな」
この少年少女たちは、今までこの中で生活を送ってきたのだ。つい先日まであちら側だったカーレルは、複雑な心境だった。
衆人環視の中を進む一行は、門へと近づいてゆく。街並みも、城壁へと近づくにつれて新旧入り混じったものへと変化していた。
三年前に発生したフォボスの大侵攻の際に破壊されたか否かの違いだ。
東防壁の一角が破られ、街への侵入を許してしまう失態を犯したアルギュロス。当時別の部署に配属されていたカーレルは直接戦闘にかかわることはなかった。だが、破壊された街の惨状はそう簡単に忘れられるものではない。
やがて東門に辿り着き、フェルトが話を通しに行く。卒倒しそうな若い門番の案内でカーレルたちは巨大な鉄扉横の通用口を通り抜ける。
その先には――どこまでも続く荒野が広がっていた。
フォボスの侵攻に晒されるアイグレー東部の、果てのない荒地。延々と続く青空と大地の世界は、カーレルにとって約ひと月ぶりの外の光景だった。
フェルトが皆を振り返り、
「この任務は目的地周辺にフォボスがどれほど存在してるのかを確認するものです。しかし、訓練もかねて戦闘は積極的に行おうと考えています。状況に合わせて動きましょう」
「了解だ」
「りょーかい」
「わかりました」
三者三様の返事を返し、門の脇に止められた乗り物へと意識を向ける。荒地迷彩を施した、最新浮遊機構搭載の
街の外は基本的に荒地で、車輪や履帯では長時間の移動に適さない。故に、優先的に古代技術を解析して開発されたのがこの元奏浮遊機関であった。
後部に積まれているコンテナには食料やキャンプ用品、医薬品が格納されている。
「今回の足として手配しました。貴重品ですので壊さないように運用しましょう」
「よくこんな高価なものが調達できたな。最近部隊の一部で運用され始めたばかりだろう」
「この開発者の方とは顔見知りですし、わたしも開発に協力したんですよ」
「そうなのか」
「はい。対フォボス因子の特効薬を開発したのもその方々です」
どうやらフェルトの周りは完全に敵だらけという訳ではないらしい。副長然り、その開発者然り、理解を示す者も少なからず存在しているようだ。
フェルトから講釈を受けるカーレルの隣で、
「これが装甲車か。話は聞いていたけど実物は初めてだ」
「やめてよランディ。みっともない」
ジープへと歩み寄って物珍し気に眺めるランディと、少年を諫めるレイチェル。
カーレルとフェルトはそんなふたりを見て肩を竦め、
「はっ。任務がお遊び感覚とはいい
向けられた侮蔑の言葉に振り返ると、背後に六人の人物が立っていた。
§
各々に銀縁の黒コートをまとい、武器を装備しているのはこちらと同様。違うのは、肩のエンブレムが銀色の盾を象っていることと、白銀の装備だろう。
カーレルの古巣であるアイグレー都市防衛部隊、アルギュロスのメンバーだった。
彼らがこちらへと蔑む視線を向ける中、中央に立っていた人物がカーレルを睨みつける。
茶髪茶眼の青年はなるほど黙っていればそれなりにモテそうな顔立ちだ。だが今その表情には歪んだ笑みが浮かんでいる。
「ジャスパー……」
カーレルの視線が、相手の見下すようなそれと交錯した。
ジャスパー・コルファニオ。カーレルに対抗意識を持っていたアルギュロスの隊員だ。素行こそ悪いものの、戦士としての技量は一級品。しかしことあるごとに突っかかられるカーレルとしては、非常に苦手な相手であった。
「へぇ、そちらの方は無様に敗北した元エースのカーレルさんじゃないか。どうした? 育児施設の先生にでも左遷されたのか?」
いつもの因縁にため息を吐いたカーレルが言い返そうとし、先にフェルトが動いた。
「……コルファニオ隊長、わたしの隊の隊員への――」
「――おやぁ、人間じゃない化け物が喋ってるぞ」
途端、ヒュドラルギュロスの一同が気色ばんだ。
フェルトは表情を僅かに強張らせ、レイチェルは息を呑む。ランディに至っては今にも噛みつかんばかりで、カーレルも剣呑な視線を向けている。
だがジャスパーは、一切気にすることなくフェルトを嘲笑するように鼻で笑い、
「化け物が人様の言葉を喋るなよ。なんなら他の化け物どもと一緒に俺が退治してやってもいいんだぜ」
「おいてめぇ、うちの隊長に何舐めた口利いてんだ?」
いよいよ痺れを切らし、ランディが噛みついた。
「あぁ? ガキがうざいな。化物の配下如きがいい気になってんじゃねぇぞ……ん?」
ジャスパーの視線がスライドし、レイチェルを見据えて止まる。緋髪の少女は僅かに身を強張らせるも、相手を睨む眼は衰えない。
「お前、どこかで……」
ジャスパーが僅かに少女へと歩み寄り、
「レイチェルに近づくなっ!」
ランディが間に割り込んだ。
ふたりを見据えたジャスパーが口元をさらに歪ませて、
「ナイト気取りか。確かに怪物には怪物がお似合いだな」
「てめぇ!」
今にも掴みかからんばかりの形相でランディが詰め寄るも、
「ランディ、そこまでです」
「隊長っ⁉︎」
フェルトに肩を抑えられ、地団駄を踏む。
そんな一行へと、ジャスパー、そして後ろの隊員たちは
「はっ、飼い慣らされた駄犬が、いっちょ前に指図なんかするんじゃねぇ」
「お前もそこまでにしろ、ジャスパー」
放たれたカーレルの言葉が、場を静まらせた。
「……なんだよ、カーレルさんよぉ?」
「部隊間での諍いは隊律違反のはずだ。この場合は因縁をつけてきたそちら側の責になる。こんな馬鹿なことで大切な点数を失いたくないだろ?」
語りこそ静かで、一見すると佇んでいるだけの無防備な立ち姿。だが事が起これば即座に反応できる、適度に脱力した姿勢である。
それに気付いた様子を見せながらもなお詰め寄るジャスパーは、
「はぁ、負け犬の説教なんざ――っ⁉︎」
突如放たれた莫大な元素の波動に、二の句を失った。
力の中心に立つフェルトはいつもの穏やかな表情を口元に浮かべて佇んでいる。だが周囲を蒼銀に発光させ、鋭い瞳は相手を押しつぶすかのような重圧を放っていた。
「カーレルさんの仰る通りです。それでも諍いをお望みでしたら、相手をさせて頂きます」
静謐な口調とは裏腹の、権能を露わにした臨戦状態。アルギュロスの面々が一気に戦慄き、ジャスパーも嘲笑を引き攣らせる。
「……ちっ。興醒めだ。ここは退いてやるよ」
続けても分が悪いと判断したのだろうジャスパーは引き下がり、こちらに背を向ける。
立ち去り際にチラリと振り返ってカーレルを睨みつけ、
「だがな、覚えておけ。お前の時代は終わった。今後は――俺の時代だ」
そう言って、彼らは門の中へと帰還していった。
残された一行の間に、嫌な沈黙が訪れる。
「フェルト……」
臨戦態勢を解いたカーレルがフェルトを見やり、
「予定より遅れてしまいました。わたしたちも任務に向かいましょう」
「……これで分かったか。俺たちの確執はデカいってことだ」
両者の間に隔てられた溝、因縁の深さを理解したか――と、ランディの瞳が問うていた。
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