1章 編入

002 ヒュドラルギュロス

「……夢、か」


 窓から差し込む陽光に照らされ、青年――カーレル・スペーディアは意識を覚醒させた。


 丈夫さのみが取り柄の、古い石造隊舎の一室。安宿の一室とも言えるほどに物がなく、特徴のない部屋だ。


「もう、ひと月も前のことなんだな……」


 寝起きの頭をガリガリと掻き、なんとなしの独白を零す。今しがた見た夢の情景は、カーレルがひと月前に経験した出来事だ。


 全身のコンディションを確認――異常なし。身を起こして周りを見やると、机上の便箋と筆記用具が目に入る。昨日部屋に戻ってから途中まで書いていたことを思い出し、


「帰ってきてからにするか……」


 立ち上がり、部隊から支給されている服装へと着替えてゆく。


 インナーシャツの上に羽織るのは、銀縁の黒い軍用防刃コート。その肩には、絡み合う九頭竜を模した意匠の蒼い紋章エンブレムが取りつけられていた。


 剣帯に剣――細身の片刃長剣を提げ、部屋を出る。目的地は、この隊舎とは別棟に存在する所属部隊の詰所だ。


 途中ですれ違う他の隊員たちが、談笑を止めてこちらを注視する。驚愕から一拍後に道を開け、視線を背けた彼らの顔に浮かぶのは――畏怖の念。


 明らかに避けられているとわかる反応に、内心で一つため息を吐く。足早に廊下を抜けて階段を降り、建物の外へと踏み出す。


 〈明陽ヘリオス・ヘメーラ〉から降り注ぐ柔らかな光に手を翳し、目を眇める。蒼空を背景に、風に流される雲が幾筋いくすじも千切れて広がり、


「……はぁ、気が重い」


 カーレルの心境には、それとは正反対の暗雲が立ち込めていた。



  §



 〈惑星ケイオス〉南半球に位置する〈アトラース大陸〉に、肌寒い秋の風が吹き抜ける。その大陸東部に〈独立城塞都市アイグレー〉は存在していた。


 都市の東部城壁沿いに存在する、周囲から隔離された建造物へと入る。元は古代文明時代の施設だったと、伝え聞いた話を思い出す。長らく放置されていたそれを隊舎として摂取したのが、カーレルの編入した部隊だ。


 ロビーらしき広間を通り抜け、一階最奥の扉を開ける。中はカーレルの利用する隊舎と違い、二段構造の小洒落た造りの部屋だった。


 入り口横にはカーペットが敷かれ、来客用テーブルと一対のソファが置かれている。五段ほどの段を登った部屋の上階層壁沿いに並ぶ、ロッカーや本棚。供用机を囲うように木製の椅子が並び、奥にはホワイトボードが敷設されていた。


 そんな、そろそろ見慣れてきた室内へと一歩を踏み出し、


「止まれよ」


 予測通りの押し殺した怒声に足を止める。


 ドアの先、階段手前に細身の少年が立ちふさがっていた。カーレルと同じデザインの制服をまとう、こちらより頭一つ背の低い少年だ。


「はっ、〈アルギュロス〉のエース様が、〈ヒュドラルギュロス〉に何の用だよ」


 腕を組んで犬歯を剥き出し、短い黒髪の奥から覗く金色の瞳がカーレルを睨みつけ、


「いいかげんにしてよランディ。そのやり取りもう何回目よ」


 部屋にいた少女に窘められた。


 頬杖を突いて本を読んでいるのは、少年――ランディ・クロッツァと同じ年頃の少女だ。コートを椅子の背もたれにかけ、部隊指定のシャツにスカートというラフな姿。翡翠の瞳が応酬を煩わしそうに見やり、低い位置で結わえられた長い緋髪が揺れる。


 カーレルが言葉を発する間もなく、ランディは少女へと向き直り、


「なんだよレイチェル。お前だってこいつのことが気に入らないんだろっ︎」


 と噛み付くように怒鳴り返した。


 少女――レイチェル・ディオラはその大音声にこめかみをぴくりと震わせて、


「私はランディの言葉を否定してないでしょ。ただ煩いから言ってるだけよ」


 トーンを落とした声とともに向けられる、親の仇を見るかのような鋭い眼差し。


 繰り返されるやり取りに辟易していたカーレルは、ため息のあとに口を開き、


「――そこまでです」


 後ろから伝わる、尋常ではない元素エーテルの高まりに閉口した。


「フェ、フェルト隊長……?」


 顔を真っ青にしたランディの声に振り向き、紺碧の瞳と視線が合う。この部隊ヒュドラルギュロスの隊長である、フェルト・ハーティル。ひと月前、死に瀕していたカーレルを救ってくれた少女だ。


 普段楚々そそとした態度を崩さないフェルトの笑顔には、しかし筋が浮きあがっていた。


「やり取りはじっくりと見させていただきましたよ、ランディ。前回もしましたが、貴方は何一つ改善しようとしないのですね」


 射すくめられて身動きの取れない少年へと、フェルトが歩み寄る。


 奥に見えるレイチェルは「懲りないんだから」と額に手を当てて、小さく合掌。気迫に半ば圧されたカーレルも「どうぞどうぞ」と道を譲る。そんなふたりに会釈を返したフェルトはランディの前に立ち、


「弁解は?」


 その声色は、絶対零度だった。


「でもっ、こいつ、こいつが――っ⁉︎」


 何やら喚くランディの黒髪にポン、と手を置いたフェルトは、


「カーレルさんはおかしな行動は取っていませんし、それはレイチェルも同じ。騒いでいたのは貴方だけです。……覚悟はいいですね?」

「ひっ、いや、やめ――」


 カーレルとレイチェルはそっと視線を外し――


「問答無用」

「いぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁっ⁉︎」


 迸る蒼い雷鳴と絶叫が室内に木霊する。カーレルがこの部隊に配属されてから、何回目になるか分からない制裁の光景だった。



  §



「さて、次の作戦の概要を説明します。カーレルさんが合流されてからの初任務ですね」


 フェルトが地図を貼りつけたホワイトボードの前に立って部隊員を見渡す。木製の椅子に腰掛けるのはカーレルとレイチェル、そしてレアな焦げ肉ランディ


 戯けた笑みを浮かべる少女の相貌は、数多の人間を虜にするであろう蠱惑的なものだ。


 だが先程の所業を見ていたふたりは硬く頷くのみで、肉からは狼煙のろしが上がるのみだった。


「しかし残念ながら、わたしたちの部隊は色々とを受けています。その影響で、今回もまた碌な任務は割り当てられませんでした」


 フェルトは苦笑を浮かべてボードの一点――街の東側を指差した。


 アイグレーは直径約二〇キルナほどの城塞に囲まれた円形都市だ。


 壁の外、街の北部から西部にかけては峻険な岩山が並び立ち、南部には森林地帯。そして東部には、広大な荒野がどこまでも続いている。


「ここしばらく、〈フォボス〉の侵攻が穏やかだったのはご存じかと思います。ですが、これは過去の事例と照らし合わせると大きな侵攻の予兆ではないかという意見が上がりました」


 発生原理不明の『異形』は、一様に蒼銀色の体躯を持ち、多種多様な形状を有す。


 獣や無機物、そして人型すらも形どる異形たち。それらは恐怖の象徴――フォボスと呼称されている。


 かつては度々の目撃のみで終始していたそれらだが、ここ数十年で事態は悪化していた。


 目撃回数が増加の一途を辿り、比例して街への被害が深刻になってゆく。現に東防壁は各所が粉砕され、侵入した異形により多大な犠牲が出ているのだ。


「その状況調査を分担して担うのですが、またまた調の担当に割り振られてしまいました」


 フェルトの細指が地図上をスライドし、今回の目的地――街の東南東一〇〇キルナほどの地点に存在する深い渓谷地帯を指して静止する。


「ヴェローク・キャニオン。ヒュドラルギュロスわたしたちの隊はこのポイントへ赴き、周辺に存在するフォボスの個体数、並びに種別の調査を行います」


 しかしその地へと赴くには、強力な異形たちの支配域を横断する必要がある。移動だけで危険を伴うことは、明白だ。


 そこで一端カーレルへと視線を向けたフェルトは、しかし目を伏せて、


「カーレルさん。その……体調は万全でしょうか」


 ひと月ほど前の戦闘で負傷したこちらの身を案じた言葉。カーレルは相手が上官になることを考慮して丁寧な口調を意識し、


「はい、隊長のお陰で違和感はありません。むしろ前よりも体が機敏に動きます」

「そう、ですか。レイチェルたちもわたしの血ヒュドラ・ハイマに慣れるまで数ヶ月はかかったのですが。カーレルさんはわたしの因子と親和性が高いのですね」


 フェルトが意外そうに目を瞬かせる。


「そう言われても、オレは自分の事例しかわからないですからね……」


 実際、カーレルも最初のうちは負傷時以上の灼熱感に魘される日々を送っていた。しかし一〇日ほどで熱は引き、その間に致命傷だった傷も回復している。


 以降はそれまで以上に体が動き、医療関係者に気味悪がられていたくらいだ。恐らくはそれがヒュドラの因子に順応した結果なのだろう。


 そんなカーレルへと、フェルトは申し訳なさそうな表情で、


「……申し訳ありません。あのときわたしがもう少し早く到着していれば」


 揺れる少女の瞳に見え隠れするのは、深い悔恨。


 だが、そんなものは結果論に他ならない。


「隊長が気に病むことはありません。あれは半ばオレの自業自得ですから」


 カーレルは前に所属していた部隊アルギュロスでもトップクラスの実力者だった。故に、自分ならどんな状況をも乗り越えられると高を括っていたのも事実。


 その慢心の結果死にかけ、フェルトに助けられたのだ。


「けっ、いい子ぶりやがって。これだからエリート様は……」


 いつから聞いていたのか、復活していた少年がカーレルに対して悪態を吐き、


「ランディっ」

「いいんです隊長」


 咎めるフェルトの声を、カーレルがやんわりと押し留める。


 だが、ランディは露骨に表情をしかめ、


「……ちっ、気分悪りぃ」

「ちょっとランディっ」


 レイチェルの制止を無視し、乱雑に席を立って部屋を退出していった。

 残された緋髪の少女は少年が乱雑に出て行った扉から視線を切り、


「……すいません、私から言っておきますので」

「はい、お願いします。――あとついでに、処罰は三倍だと伝えておいてください」


 上官の少女は優しげな笑顔を見せ、バチバチと雷光を放つ右手を翳し、


「……はい」


 レイチェルは少年の末路を予想してしまったのか、逆に表情を青ざめさせるのだった。

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