012 それぞれの夜

 拠点へと戻る間、少年と少女は無言だった。


 よく見ればレイチェルは少し顔色も悪く、唇を噛みしめて震えている。ランディに至っては俯いたまま、槍をひとときも離そうとはしない有り様だ。


 今のふたりを戦わせる訳にはいかず、周囲の警戒役はカーレルたちへと移行していた。


 幸いなことに以降は異形の襲撃を受けることなく拠点へと帰還。フェルトはふたりへと休むように指示を出す。


 黙ったままレイチェルたちが部屋へと戻り、扉が閉まったところで、


「隊長は大変だな」

「いえ、これがわたしの仕事ですから」


 カップを二つ持ってきたフェルトが、カーレルの対面に座った。


 溶かした固形スープの香りが室内に優しく広がる。差し出されたカップを受け取りながら、


「今まであんな状況に陥ったことはなかったのか?」

「……あのふたりは連携が噛み合いすぎていて、丁度いい相手がいなかったんです。それにこの部隊は少人数ですので、私の判断で安全を取って戦っていたという事情もあります」


 フェルトがカップを両手で傾け、「そこに」と言葉を続ける。


「カーレルさんが参加してくれました。ですので、多少は危険な戦闘経験を積んでもらいたかったのです。今回のことも、貴方なら対応してくれると信じていましたよ」

「……それは買い被り過ぎだと思うが」

「でも実際にカーレルさんは対応してくれました。ありがとうございます」


 頭を下げるフェルトへと、カーレルは前髪を指先で弄りながら、


「そんな他人行儀はよしてくれ。オレはもうこの部隊の一員なんだから」

「ふふっ、そうですね」


 なんでもないように取り繕うものの、泳いだカーレルの瞳には若干の照れが混じった。気付いているようなフェルトは、上品な所作で口元に手を当てている。


 諸々を誤魔化すようにコホンと咳払いしたカーレルはスープをひと口啜り、


「……立ち直れると思うか?」

「あの程度でへこたれる鍛え方はしていません。手塩にかけて育てましたので」

「まるで母親だな」


 何気ないその一言で、少女の額にピキリと筋が浮かんだ。


「ふふふ、つまりカーレルさんにはわたしがそんな年上に見えるのですね」

「……その制御陣を引っ込めて欲しいんだが」

「じー……」

「すいませんでした」

「よろしい」


 素直な謝罪で、なんとか許してもらえたらしい。


 そこでフェルトは微かに目を伏せ、


「でも、あの子たちに助けられているのはわたしの方です」

「そうなのか?」


 カップを手元で弄びながら、少女がコクリと頷く。


「カーレルさんも噂で聞いているとは思いますが、わたしの周りには昔から人が寄り付きませんでした。毒竜、呪われた存在、化物、異形、災厄……色々と詰られてきたものです」

「フェルト……」

「そんなわたしと対等に接してくれたのがあの子たちなんですよ。不謹慎ですが、あの子たちが蒼銀の眷属ヒュドラ・ブリードになってくれたときは嬉しかったです。他にも――」


 懐かしむ瞳で床を見ていた少女だが、はっと我に返ったように美麗な面差しを上げ、


「――っと、すいません、自分のことばかり語り過ぎました」


 謝罪の言葉に、カーレルは「いいや」と首を振る。


「気にするな。さっきも言ったが、今はオレもその一員だ。君だって弱音を吐きたいこともあるだろう。そんなときは遠慮なく頼って欲しい」


 色々な噂が飛び交っているとはいえ、目の前の少女は自分より年下の女の子でしかない。そこまで忌避される恐ろしい存在だとは、カーレルには思えなかった。


 当の本人はカーレルへと純粋な視線を向け、


「はい、そのときは頼らせていただきます」


 と、嫋やかに微笑むのだった。



  §



 仲間たちが就寝した後、カーレルは建物外壁に背を預け、腕を組んでいた。異形の襲撃を警戒した、夜間の交代制の見張りだ。


 ランディたちが初心者だということと、昼間の精神的疲労。それらを考慮して、昨日同様フェルトとふたりでの交代予定となっていた。


 カーレルは後半の担当で、少し前に交代したばかりだ。


 乾いた涼風が吹き抜ける荒野を、満天の星と宵の月が照らし出す。


「そういえば、あの夜もこんな空だったな」


 思い返すはフェルトと出会った――蒼銀の眷属ヒュドラ・ブリードとなった日だ。


 ランディとの模擬戦や道中、そしてサソリ型フォボスとの戦闘。それらを経て、改めて自身が人間離れした力を手に入れたことを実感する。以前であれば、レイチェルへの救援は間に合わなかっただろう。


 と、そこまで考えていたとき、入り口の方に人の気配を感じた。


「こんな時間にどうした。何かオレに用か?」


 間を置き、闇の中からゆっくりと出てきたのはランディだった。


 少年は気まずげにカーレルへと歩み寄り、


「あの、さ……。昼間は、その、レイチェルを助けてくれて、ありが、とう……」

「……意外だな。てっきりまた突っかかられるかと思ったんだが」


 その返答に、ランディが少し目を細める。だが、言いに来たことを思い出したのか首を振り、


「確かにアンタのことはまだ完全には認められねぇ。でも、それとこれとは話が別だ。そこまで屑に成り下がるつもりはない」

「……そんなにあの子が大切か?」

「ばっ、べ、別にそんなんじゃねぇよ!」

「くくく」

「な、何が可笑しいんだよっ⁉︎」


 分かり易い反応に失笑するカーレルへとランディが凄むが、怖さは欠片も感じない。


「いや、そういう気持ちは早めに伝えておいた方が、少なくともお前のためだと思ってな」

「……俺の、ため?」


 意図を理解できなかったのか、ランディが首を傾げた。


 カーレルは少年から視線を切り、宵月ニュクス・セレーネを見上げる。


「……これは前に重傷を負って死にかけたとある馬鹿の話なんだがな。そいつは幼少期に一つの約束を交わしていたんだ」


 右手で前髪を弄りながら、自然と言葉が漏れた。


「初対面の女の子と交わした『困ったときはまたオレを頼って欲しい』って約束だ。果たせていないそれを果たすために死ねない、って生に縋った」


 それは無様にも死にかけ、フェルトヒュドラに助けられた、


「結果はまぁ、見ての通りだ」


 自身カーレル・スペーディアの話だ。


「人生なんてどう転ぶか分からないし、相手がいつも隣にいてくれるとも限らない。だからこそ、伝えられる想いがあるなら早めに伝えておいた方がいいとオレは思う」

「…………ん?」


 なぜか訝しんだ声を出したランディ。


「どうした?」

「ああいや、なんでもない。……アンタは何かを後悔しているのか?」


 その問いに、カーレルは肩を竦め、


「そうかもしれない。ともかく、これが死にかけた先達からのアドバイスだ」

「……アンタ、変わってるな」


 ランディが、力なく笑う。その態度からはこれまでの剣呑さが薄れているように、カーレルには感じられた。


「そうか?」

「自分を嫌っている相手にそこまで親身に話なんて、俺ならできない。だからアンタは変わっている」

「……そうかもな」


 何事かを思案したランディが黙り込み、しばらくの静寂が訪れる。


「……なぁ、俺に訓練をつけてくれないか」


 真剣な色合いを帯びて切り出した金色の瞳を、カーレルは真っ向から受け止めた。


「自分の大切な子を――レイチェルを、今度こそ自分の手で守りたい。その力が欲しい」


 少年の決意、心意気に口角を釣り上げ、


「オレの訓練は厳しいぞ?」

「はっ、望むところだ」


 ランディが、不敵かつ挑戦的な笑みを返す。


「わかった。なら明日から空き時間に少しずつやろう。とは言ってもオレは槍なんか使えないからな。最初みたいな模擬戦主体になるぞ」

「それで十分だ。よろしく頼む」


 突き出された拳同士がぶつかる。誓いへと邁進する者同士の間に交わされる、新たな絆――約束。


「このまま見張りに付いているからお前は早く寝ろ。明日からもキツイぞ、ランディ」

「ああ、わかったよ。おやすみ……カーレル」


 用は済んだとばかりに少年は踵を返し、小屋の中へと戻ってゆく。足音が十分に離れたのを確認した後、カーレルは再度入り口を振り返り、


「今日は来客が多いな。で、そっちはなんの用だ?」


 ランディとの会話中から感じていた気配がビクリと跳ねた。こっちも分かり易いと苦笑し、出方を伺う。


 やがてひょこりと、緋色の髪の少女が顔を覗かせた。表情こそ暗がりで分かりにくいが、髪と同じくらいの色合いに染まっているようだ。


 口元をもにょもにょさせ、翡翠の瞳は微かに潤んで輝いている。しっとりとした髪を忙しなく弄ぶ様子から、会話を聞いていたのは確実だろう。


 レイチェルはワタワタとした口調で、


「あの、その、わ、私……」

「よし、お前はまず落ち着こうな。ほら、深呼吸」

「は、はい。すぅ……はー……」


 その調子で呼吸を繰り返し、ある程度の落ち着きを取り戻したレイチェル。いまだ微かに頬を上気させたままカーレルと向き合い、


「ランディも言ってましたが、その、昼間は助けてくれて、ありがとうございます……」

「なるほど。つまり割と最初の方から聞いていた訳だ」

「――〜〜っ⁉︎」


 すぐさま悪い大人が混ぜっ返す。


 再び眦を滲ませるレイチェルを眺め、カーレルはフェルトの言葉に共感した。なるほどこれは楽しい、と。


 こちらの綻ぶ口元を見て目元を釣り上げた少女だが、少年同様怖さは微塵も感じない。


「悪かったよ。それで?」

「む〜〜……はぁ」


 口元を膨らませる少女は全てを諦めたように息を吐き、仕切り直しの咳払い。


「貴方は、カーレルさんは他のアルギュロスとはなんとなく違う。そう思いました」


 先とは異なった、真剣な眼差しがカーレルを射貫く。


「このことはランディもフェルト隊長も私に気を使って黙っててくれるでしょう。だからこそ、私自身がこの話をカーレルさんに打ち明けます」


 手を白くなるほどに握り締め、


「私は――私の家族は以前、アルギュロスに裏切られました」

「……裏切られた?」


 カーレルの問いかけに少女がコクリと頷く。


「三年前の大侵攻の時、私と両親はフォボスに侵入された街の中を逃げていたんです」

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