四章 図書委員は企画を練る

四章 図書委員は企画を練る 1


「ンで、どーするの?」


「隠し通路の先埋めましょう。現状やられまくってるのが地下四・五層の隠しフロア側。地図が埋まれば犠牲者は減ります」


 津久澄つくづみの問いへ、たけるが本棚に向かいつつ答える。


 翌日の放課後。図書館三階だ。学術書中心の配架かつ平日ゆえ人の来ないそのカウンターで、津久澄つくづみは思案するように息を細く吐いた。


「……確かに、下級生組も強くなったし。そろそろ行けないこともない、わね」


「これまで侵入した隊の話から、地下四・五層の隠しフロアの魔書生物は、通常フロアの二・三層下相当。今五層を埋めつつある僕達なら、注意深く行けば四層は行けるはずです」


「注意深く行くこと前提だけどね。何? 今月末で文句言われるワケね? アタシ達」


「隊の方針に注文付けられるのは面倒ですから」


 たけるは笑って頷く。今月末の議題に出されるとすれば、猶予はおよそ二週間と少しだ。


「隠しフロアだしね。現状の四・五層と同規模の広さがあるとは考えにくいわ。予断は禁物だけど――やりましょうか」


 持ってきた返却図書を並べ終えて、たけるが向き直る。


「んじゃ、当番の後で悪いんですけど、今日あたり前言ってたやつ、やりますか。大国おおぐにとエスキュナは先に行ってます」


 返事代わりのウィンクと投げキスが飛んで、たけるがひょいと避けた。


   ○


「ああ、復活してるわね。最近この辺来てる子らは上手く避けてるのかしら」


 地下閉架迷宮書庫の入り口、階段上だ。津久澄つくづみが眼下の地下三層を眺めて、目標を確認した。


(――ガルム)


 黒い魔犬。ライオンなどの大型肉食獣をも越える巨体。北欧神話における神の番犬。その記述から現れた魔書生物は、地下三層を我が物顔に歩き回り、人も他の魔書生物も関係なくその爪と牙で引き裂いていく。


 ヌシとよばれる魔書生物。同層にいる他の個体とは一線を画す力を持ち、復活に一~二週間を要する。これを倒せれば、その隊には概算として数層下の魔書生物ともやりあえる力があることになる。


「あや、みんながみんな避けられてるわけでもないっぽいですね」


 エスキュナが指さす先、書架の狭間をどたどた走る複数の影がある。


「めっちゃ逃げてんな……あ、こっち来る」


「いつだかを思い出しちゃうわね」津久澄つくづみが笑い、


「先輩以外は立場逆転だなあ」たけるは初めてこの場所に来た時を思い出した。


「ンじゃま、行きましょっか!」


 津久澄つくづみを先頭に、守砂すさ隊が階段を降りる。逃げてきた隊のメンバーとすれ違った。


「ごめーんおねがい!」隊長会議で見た少女が、怪我人を背負って階段を上がって来る。


「――りょーかい!」


 入れ替わるように守砂すさ隊の面々が階段を降り、ガルムの前に立つ津久澄つくづみへと追い付いた。


「ほーらほら、こっちよこっち」津久澄つくづみは魔犬へ手を叩き囃し立てる。


「ゴォアアアァァアン!」


 一瞬は警戒したガルムであるが、獲物が階段を上り逃れたことを悟ると、怒りのままに津久澄つくづみへと躍りかかる。


「はいワンパタ~。四七頁『八達領』ォ!」いつかの再演のよう。飛び掛かるガルムの牙を、津久澄つくづみは腕に出した壁で受ける。身を反らし、彼がたける達を見た。「ォォォォォオ……っしィ!」


 再びの――ブレーンバスター! 魔犬の巨体が背後へと宙を舞う。


大国おおぐに!」「っス!」


 たけるの声にほぼ重なるように。


「ついに来たぜぶっ殺された礼をする時がよ! ――十頁! 出ろや『オノマストス』!」


 古代オリンピックボクシング、最初の優勝者とされる英雄。魔書『英雄の書』に現れた名を叫んだ大国おおぐにの声と共に、ポケットの中の魔書が光り輝き、一瞬全身を覆った。そして、


「オラァ!」未経験とはとても思えぬ、モーション、体重移動、タイミング三点揃ったアッパーだ。古代の英雄の動作が再現されていた。


 それは津久澄つくづみにより投げ降ろされるガルムの脳天へ、見事にカウンターで叩き込まれる。


「ッ……!?!???!?」


 魔犬の声にならぬ叫び。首が異常なほど捻れ、その巨体が一瞬、中空を踊った。


「同じく十ペ――――――ッジ! 『ス・タ・ディ・オン』!」


 無防備なその腹を、投げ槍のような鋭角が突き刺した。それはたっぷりと助走を取って走り飛んできたエスキュナの蹴りだ。競争を意味する『原始競技』の項目は、彼女の脚力を重点的に追加強化する。戯画のようにその足先がめり込んだ。たけるがそれを見て拳を握る。


「うし! 事前作戦通り……!」




 ――数分前。地下エントランスでの作戦会議だ。魔書生物は、倒してしまえば復活した個体には記憶が受け継がれず、成長しない。つまりは同じ戦法が通用する。


「なら津久澄つくづみ先輩、開幕の行動ならかなり確実にコントロール出来ますか?」


「ええ」


「んじゃ、前にあの犬を委員長と倒した時のあれ、お願いします」


「いいけど、委員長アタッカー役は?」津久澄つくづみの疑問へ、二つの声が返る。


「任してくださいよ!」「やってやりますよ!」


 大国おおぐにとエスキュナが気勢を上げた。大丈夫かしら、という目の津久澄つくづみへ、


「最初の記述が読めるようになったみたいで」


「アラ。じゃ、イケるかもね。それじゃ隊長、勝ちまでの絵を描いて頂戴な」


 頷いて、たけるは三人を集めた。




 そして今。かつては津久澄つくづみ以外の三人を蹂躙した魔犬が、反吐を散らしながら地面に落ちる。


「まだ生きてるわよ!」


 言いながら、作戦通りに津久澄つくづみが動く。腕の壁をガルムの牙へと再び突っ込み、今度は押さえ込む。たけるが叫んだ。


「やるぞ! このまま倒せ!」


 ここが好機と大国おおぐに、エスキュナ、たける自身も突っ込んで、起き上がれないガルムへと殺到する。


 蹴り。踏みつけ。拳。打ち下ろし。倒れた巨犬へ、三人の容赦のない打撃が次々と降り注ぐ。


「っ!」


 風切り音がして、たけるの頬に熱い感触が走った。仰向けに転がされながら、不十分な体勢で魔犬は脚を振り回している。だが、エントランスは間近で復活も容易だ。たけるも退きはしない。


「せんぱいっ!」


「構うな! 起きたら確実に誰か持ってかれるぞ! 蹴れ! 殴れ! 絶対に仕留めろ!」


 即座にたけるが檄を飛ばしながらガルムの脚を掴んで封じ、連続で踏みつける。


「分かりました! いくぞエス公!」「命令すんなバカヤチ!」


 さらに三重の打撃が重ねられる。津久澄つくづみもまた、常とは打って変わった冷徹な眼光でガルムを抑え続ける。そのまま、数十秒。


「!」


 空振った足の感覚に、たけるがバランスを崩した。見れば、掴んでいた脚の感触も無い。


「はあ、はあ……てことは」「ぜえ、ぜえ……」「あいたたた……だれですか私の足蹴ったの!」


 息が切れた三人の中へ、津久澄つくづみが屈み込んだ。身を起こして、その手にあるのは一片の紙だ。


「お、それは」たけるの喜色混じりの声に、紙片を破り捨てながら彼は微笑む。


「ええ、オメデト。紙片変換……ガルム撃破よ」


「「!」」


 大国おおぐにとエスキュナが顔をば、と突き合わせ、ばちんと互いの手を打ち合わせた。


「「「勝ったー!」」」快哉にはたけるも加わって。三人の声がフロアに響く。


   ○


 地下四層隠しフロアは、基本的には通常の側と変わらないものの、岩肌があちこちに見えていた。


「後から広げたってことなのかしらね……」


 誰が? とは流石に誰も言わない。そもそも魔法の力で運営されているという書庫だ。


「魔書の力で出来た部屋とかあってもおかしくないですもんねえ」


 エスキュナがキチン質(のように見える)の書架をつついている。


(ん……エスキュナの……影? 光の加減か……?)


 その異常は違和感として来た。たけるは目を凝らすが、その違和感が形にならない。


 言葉にしたのは津久澄つくづみだった。


「ヤバっ……!? エスチャン!」


「はい?」


 と振り向いたエスキュナの首が、たける達の方向を通り過ぎて三百度ほど回った。


「げぇっ……!」大国おおぐにの驚愕。


 かくん、と彼女の膝が折れて、しかし形が崩れない影がそこに立ったままある。


シャドウ! みンな自分と書架の影に注意して! あと目を離しちゃダメ! 影に混じるわよ!」


 即座にたけるが指示を飛ばす。


大国おおぐに、牽制!」自身は後ろへ飛んで、隊員に目を走らせる。「俺らの影には異常なし!」


 同じタイミングで津久澄つくづみが周囲を見回した。「他には無いわ! アイツだけ!」


 大国おおぐにが倒れたエスキュナを挟んで『影』に肉薄する。振るわれた拳から逃げるように、影が足下へと引っ込む。


「なっ……なんだあ?」「足下よ!」


 津久澄つくづみから飛んだ声に、戸惑った様子で大国おおぐにが視線を下に向ける。


「うおっ……」目に入ったエスキュナの死体に一瞬怯んだ、その隙に。


 どどどす、と大国おおぐにの背中から影が生えた。エスキュナの体の隙間から伸びた影の槍が、大国おおぐにを下から貫いていた。


大国おおぐにッ!!」


「ぐ、この、野郎……!」異形の影が震える。自らを貫いた影の槍を、大国おおぐに自身が掴んでいた。


 引き抜く。エスキュナと共に、その下に潜んでいた『影』が宙に躍る。


「よいしょっと!」エスキュナを津久澄つくづみがキャッチして、一歩下がる。


「どらァッ!」


 周囲が空いた大国おおぐにが、『影』を書架に叩き付けた。歪な人型のような影が、昆虫めいたかすれた音を出しつつ、萎れて紙片となった。


「しくった……センパイすんません、あと頼んます」


 どしゃ、と大国おおぐにが倒れ伏す。たけるが駆け寄る。


「すまん! おつかれ! よくやった!」意識を失い、息が浅くなり始める大国おおぐにの元へ屈み込み、彼は周囲へ注意を向ける。


 微かな擦過音、視線のような気配。


 たける津久澄つくづみは無言で頷き合って後輩を担ぎ、梯子へと向かった。退却である。




 気付けば。ガルム戦の劇的な勝利から十数分しか経ってはいなかった。


「ぐえ!」「うきゃ!」


 エントランス。死体となっていた大国おおぐにとエスキュナを床に下ろす。空中で息を吹き返した彼等が尻を打って悲鳴を上げた。


「いやあ……一瞬で壊滅したなあ。ごめんな、二人とも」


「新しい層に行った直後はいつもこんなもンでしょ。私らだけじゃないわよ」


 ふいー、と息をついて、たけるは敵の正体を知っていたらしい津久澄つくづみへ向き直る。


「普通の四層の魔書生物でもないな。あれなんて奴?」


「確か七層辺りの魔書生物。通称はそのまんま『シャドウ』ね。タフさは無いンだけど、不意打ちがとにかく多いのよねえ。それでいて攻撃力は高い。面倒よ」


「暗がりからアレ出てくるのきっついな……全然わかんねえ」「いきなりやられましたぁ~」


 生き返って泣き言を漏らす下級生二人の頭をよしよしと撫でながら、たけるは対応策を考える。


「地図埋めするとなると、不意打ち主体の敵は面倒臭いな。どうしたもんか」


 たけるは自分の魔書『亡失迷宮』を見る。現状、津久澄つくづみは七種類の『壁』を出せ、大国おおぐにやエスキュナも最初の『英雄』と『競技』が出た。しかし、たけるの魔書は新たな記述を見せていない。


「ま、アナタは今ある能力だけで相当なモンだし、しょーがないわね」


「警戒を密にしながら、じわじわ進んでいくしかないか……?」


 うーむ、と一同考え込む。何せ月末までのタイムリミット付だ。


「そもそもその本、どんな本なんです?」


 エスキュナに聞かれて、しかし読める当のたけるが首を傾げる。


「いやそれが……よく分かんないんだよな。普通に見取り図みたいなのが書いてあったりすると思ったら、日記みたいなのもあるけど、どうにも何が言いたいのか……」


「知りたいか」


「どわあ!」


 唐突に。にゅっと大国おおぐにの背中から蒼色の何かが生えた。


「フブル司書?」


 大国おおぐにの背中にひょいと乗って現れたのは、宇伊豆学園図書館の事実上のトップだ。


「がんばっとるようじゃの。……ま、なんでかは知らんけど」にまにまとしつつ、言ってくる。「なのでご褒美じゃ。それの由来を教えちゃろう」


「はあ」「へえ」「ほえ~」「ふうン」


「あ、なんか疑わしげな視線。ええから休憩がてら聞いていかんかい」


「つーか、降りてくれねえかな……」


 応えた訳でもないだろうが、フブルはひょいと大国おおぐにの背より飛び降り、たけるの手元から『亡失迷宮』を取った。


 彼は小さな戦慄を得る。地下エントランスは、迷宮書庫の中扱いだ。魔書の効力も働くのである。通常より反射神経も運動神経も向上しているたけるをもってして、


(全然反応出来なかったぞ、今……)


「さて。此より語るは十六世紀の大英帝国、一人の男の顛末じゃ。一つの屋敷の顛末じゃ」


 物語るように朗々と、エントランスに少女めいた声が響く。

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