三章 図書委員はクレームを受ける 4


   ○


 湯気を上げる茶色い出汁の中に、太い麺とたっぷりのネギ、肉と揚げ物がてらてらと油を光らせ鎮座している。


 隊長会議翌日の学食だ。たけるが頼んだのはうどんである。


(肉と揚げちくわをトッピングできる日が来るとは……これが収入のある生活……)


 満ち足りた心地でずるるると麺をすする。つい癖で最安の素うどんのボタンを押してしまったが、今のたけるにはトッピングボタンを追加で押すお財布の余裕があった。


「はあ、うまい……冒険やめてからは、普段節約で腹持ち優先だったからなあ」


「ねー守砂すさ、あんたんとこ救助やってくれんだってー?」


 幸せに浸るたけるの横へ唐突に来たのは、同学年の地下探索委員だ。


「行けるとこなら。報酬どうこうはうるさく言わないけど、経費くらいはもらうよ?」


 返答に、彼女は親指を立てて詳細を話す。四層の普段通らぬ通路で背後から魔書生物に襲われ、隊は総崩れで退却。あとから気付けば一人が取り残されているらしい。


「あたしらは今日予定ある隊員いてさ、お願いするね。くそー、お腹空いた!」


 襲撃地点などの必要情報を聞き出す。そこは、


「落とし穴あったとこだね。落ちた?」


「もしかしたらそうかも。あー、守砂すさの見たら麺類食べたくなってきた。一口くんない?」


 そのまま隣で定食を食べる彼女を見つつ、たけるは思う。


(普段通るルートから外れるってのは、想定外の被害も増えるからな……)


   ◇


 そんな二人をガラス越しに外から覗く影がある。


「……くっ、救助依頼で一緒にごはんなんて……」


「羨ましいなら真似すれば?」


 三火みかと、それを呆れて背後から眺める思兼おもかねだ。外の木陰で弁当を開いていたら、内部が見えた。途端、彼女は壁に貼り付き始め、ちらちらと窓から覗いている。


 箸を噛んで恨みがましい視線を向ける友人を、思兼おもかねは嘆息混じりに相手していた。


「うちの隊でそうそう遭難者出ないもん……」


「なら普通に横行って食べればいいでしょ」


「だだだだって、なんて言って行けばいいのか」


「『たけるーお弁当持ってきたの一緒に食べましょあーんしてあげる』」


 露骨にめんどくさくなって、思兼おもかねが棒読みで思いつきを口にする。


「お、お弁当か……そうか……」


 母親作の弁当を凝視して真面目に考え出す友人に呆れて、思兼おもかねは食事を再開した。


「……ま、忙しくなりそうではあるね、彼は」


   ◇


 床は草原を思わせる草の絨毯が広がり、そこに生える木のような本棚が林立する。図書館や本屋を本の森と称することがあるが、ここはまさにその名の通りの有様だ。


 地下閉架迷宮書庫五層。植物の相を色濃く見せる階層だった。


「うわ、本棚突っ込んでら」「引っ張り出しましょ」


 その、端っこである。男子生徒の死体を崩れた本の山から発掘し、たけるが背負う。ロープ、カラビナをハーネス経由で回して固定する様を見て、エスキュナと大国おおぐにが感心する。


「わ~、べんり」「そういうの良く持ってるっすね、センパイ」


「昔の趣味道具なんだよ」リュックは前に回す。


「これ、上から落ちて来たってことかしらね。そンでそのまま魔書生物にポカリ」


 津久澄つくづみが地図を片手に上を見上げる。天井は今現在こそ閉じているが、四層と五層の地図と照らし合わせると、この場所は四層にある落とし穴の真下である。


「四層と五層は直接繋がってるんですねえ」


 こちらはエスキュナの言葉だ。


「どーゆーこと?」


「もっと下の方になってくると、直で繋がってるわけじゃなかったりするんですよ。なんか魔方陣みたいなのでワープして下に行くとこもあるんですって~」


 彼女の説明に、大国おおぐにたけるは改めてこの場所の何でもあり具合を認識する。


「しかしまあ、最近は浅い層も活発になってきたわね」


「何か理由が?」


 聞くたけるに、津久澄つくづみは苦笑を返す。


「原因が何言ってンの。アナタが見つけた隠し通路のせいでしょ。あの梯子の下――地下四層にしてはそこそこの図書があるって話でね」


 外部から求められる一部の図書がこれまでより浅い場所で見つかる、と彼は語った。それにより、深層へと行くことが難しい隊が、多少魔書生物が強くとも四層の隠しフロアならば、と向かうということだ。


「もっと下攻めてる隊からしたら旨味が無いんですけど、浅い層攻めてる隊にしたら美味しい話だったみたいですねー」


「んで、未登録図書はあらかた探されちまったみたいっすね」


「へー。まあ俺、後からでも自分でたどりつければそれでいいしな」


 エスキュナと大国おおぐにの報告にたけるが感心する。隠し通路一つでも案外動くものである。そんな隊長の様子に再び津久澄つくづみが苦笑した。


 よっこいせと立ち上がり、たけるは指示出しを始める。救助は見つけてからが本番だ。救助者を抱えたせいで全滅しては話にならない。


(最悪頭を持って帰ればいい……って話だが、あんまり試したくないなあ)


 たけるは懐の魔書を見て、発光――『未踏地域強化』の効果が発動していることを確認する。


(一回の探索中なら、帰路でも効果内ってのは助かるな)


 一割程度、とは言うが、一割というのは案外デカい、とたけるはこれまでの戦闘で実感している。最初に倒した戦法と同じものでも一割違うと案外倒し損ねるし、そうなると被害も増える。


(三・四層ではそれ忘れた指示出しで大国おおぐにとエスキュナに迷惑かけたしな)


 そう思いつつ、五層の帰路を半分ほどまで来た時だ。


「あ、守砂すさだ」


 別の道から戻ってきた集団と、十字路でかち合った。別隊だ。隊長会議で見た顔の、先頭の少年が守砂すさの背中に目を留めた。


「自分とこの奴でもないのに、物好きだな」


「別にいいじゃねえか。放っとけよ」


 顔見知りなのか大国おおぐにが言い返す。相手は後ろの隊員を振り返ってから嘆息した。


「……地上に戻ったら、話がある」


 言ってから去って行く。「悪いな」「先行くわ」と隊員たちも続く。


「どんくらい空ければいいんですっけ?」「まあ、直線で三十mも離れれば平気ね」


 エスキュナと津久澄つくづみが前後を警戒しつつ言う。地下書庫の魔書生物は、大所帯になると反応を強めて排除にかかる。そもそも書架と書架の間の通路がそこまで広いわけでもないのだ。五人を超えると動きが取りづらい。


「……こりゃ、もしかして」




「ウチの奴も一人やられてさ」


「やっぱし」


 くしゃくしゃと、たけるは頭の癖毛をかき混ぜる。


 図書館の読書机に移動して、たけるたちは先ほどの隊長から話を聞いている。


「そっちも、新規ルート探し?」


 照れくさそうに彼は頬をかく。図星のようだ。


「帰りに欲出したのがまずかった。俺らはもう魔書の記述切れでさあ。頼める?」


「今回は救助に行って帰っただけだから、余裕はあるけど」


 たけるが視線を向ければ、離れたソファでくつろぐ守砂すさ隊の面々(残ってもらっていた)は肩をすくめつつ親指を立てたり、腕で輪を作ったりして返答する。


「すまん。一回借りと思ってくれ」


 位置を教えて去って行く彼を見送って、津久澄つくづみたちと合流する。


「今回は地図埋めついでで出来るからまだマシね。どーも、脇道を見つけようってのがブームになってるみたいねえ」


 意味ありげに視線を向けてくる津久澄つくづみに、たけるは言葉を返せなかった。


   ○


「柵隊が一人欠けたってさ」「守砂すさ? 俺らも一回世話になったぞ」「隠し通路の先マジ鬼畜なんだけど」「やっぱ欲かくもんじゃねえな」「でも新規部屋見つけると美味しいんだよな~」


 そういった声が探索委員から多く聞こえるようになってきたのは、守砂すさ隊が五層の探索を半ばまで終えた晩春の頃だ。


「増えたよなあ、遭難」


 元遭難者である大国おおぐにが、書庫普通のだへ図書を戻しながらつぶやく。その背後ではエスキュナも同様に、分類記号とにらめっこしつつ図書を納めている。


「遭難まで行かなくても、普段行かないとこ行ってやられて逃げ戻ってくる隊も増えたねー」


「センパイ言ってたもんな、救助で探索ちょい遅れ気味だって」


「特にさ、あのハシゴの下なんだって」


 言葉に、大国おおぐにが振り返ってエスキュナと顔を見合わせる。


「アレか、俺らが見つけたとこの」


「そ。あの下にさらに階段あって、五層まで繋がってんだって。……ちょっとそこ、入れるとこ違う。なんで英国人のわたしより雑なのあんた」


 言われてちぇっ、と大国おおぐには本を入れ替えつつ、


「んじゃ、そろそろ俺らもそこ行くんかな」


「かもねー。やられた人たちも大体はなんとか連れ帰ってるらしいけど、結構ヤバいみたい」


 怖い怖い、とエスキュナが芝居っぽく自分を抱いて続けた。


「救助依頼来たら、わたし達が見つけた道に先に入って遭難した人助けに行くのかあ」


「んだよ、文句あんのか」


 眉をひんまげる少年に、空色の髪を揺らす。


「文句はないけどぉ……」


 言葉を濁したエスキュナに、大国おおぐには黙って先を促す。渋々彼女は続けた。


「そーゆーの、せんぱいは楽しいのかなって思って」


   ○


「好きでやってるよ」答えて。たけるは一旦レジへと向かった。ポテトを追加購入して戻る。


 帰り道にあるコンビニのイートインである。


「趣味っていうかさ。何か楽しいんだよね、迷ってる人を目的地に連れてったり」


 雨野にも語ったことではあるが、実際、これはたけるにとって新鮮な驚きではあった。


(人が求めるものを代理で探す)


 それが、元々の自分の嗜好に思いの外マッチする。


(見たことの無いものを見る。知らない物を知る。未知を暴く)


 知的欲求を満たすこともまた、ある種の探検ではある。他者から求められるその手伝いは、たけるには面白い。


「そ、そうなんすね」「確かに、センパイ普通のレファレンスも得意ですもんね」


 ほっと息をつくエスキュナと大国おおぐにに、たけるは苦笑。


「聞きづらそうにしてると思ったら。なんか心配かけたみたいだね。悪い悪い」


 すっとポテトを差し出す。高校生特攻揚げ物兵器へ歓声を上げる後輩二人に、たけるは続けた。


「……僕が聞きたいのは、君たちかな。いいの、こんな隊長で」


 儲けも少ないぜ? と早くもポテトをくわえた後輩たちへ視線で問う。


「俺はセンパイの男気に惚れたんで、むしろさらにやる気になったっス!」


「わたしは居心地いいからですしね~。あんまりがつがつしてるの、引いちゃうから」


 これ以上はおごんないよ、と言いつつ、たけるが薄く口元を緩めたところで。


「心配した通りになったな」


「――加来かく


 痩躯の二年生隊長が、たける達を見ていた。彼もまた買い物に寄ったものか、手にはレジ袋だ。


「どーゆーことすか」


 やや反抗的に、大国おおぐに。軽く不良なこの少年は、敵意に敏感だ。エスキュナは素早く大国おおぐにの背に隠れつつにらんでいる。


「お前が作った地図」


 加来かくの呟きにたけるは眉を上げる。探索委員内で共有したもののことだ。


「隠し通路に隠し部屋、新規図書。あれで低層漁りの隊が色めき立った。深層を攻めてる俺達のような隊には大したことがなくても、戦力が低い隊にアレは射幸心を煽る」


「しゃこーしん?」「なんかアレだよ……高め狙いっつーか」


 後輩二人を全く無視して、加来かくたけるひとりへ顔を向けている。


「手の届く場所に分不相応なモノを見せれば、こうなることは予想できたことだ。お前のいらん世話が招いたことだぞ」


「運用の問題じゃないかな。探索委員の誰もが正しい場所と知識を持てば、たくさんの地下レファレンスに柔軟に対応できるようになる」


 言い合う二隊長。たけるとて現状への考えが無いわけではない。二人は視線をぶつけ合う。


「……ふん。とにかく、現状はあのザマだ。この調子だと、探索委員自体の人手が減る。月末の隊長会議では当然議題にさせてもらうぞ」


 言い募る加来かくの手元――レジ袋の中身に、たけるの視線が向いた。


「好きにしていいよ……ところで、チョコミントアイスで賄賂になる?」


 無言で嫌そうにチョコミント菓子満載のレジ袋を持ち上げて、加来かくは立ち去る。


「んだよ、因縁付けやがって」「かんっぜんに守砂すさせんぱい個人攻撃じゃん。べ~だ」


 可愛げな悪態を始める二人へたけるは苦笑しつつ、


「……ま、言われ放題は困るね」


 たけるは算段を開始する。それに加えて。何より。心の中で牙を剥く。


(俺の楽しみを、邪魔させてたまるか)

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