五章 図書委員は書架を征す 8


 中三の春だった。


 当時の守砂すさたけるは探検家・冒険家としては最注目の新星となっており、スポンサー、協力者は向こうから集まってくるほどであった。


 様々な大人に囲まれたその中で、たけるの目的はただ一つ。


「俺だけがたどり着ければそれでいい」


 勝手にしろ。俺もそうする。お前たちを全て使って、俺はあらゆる場所を征服する。


 そうして挑んだ、海外のある山で、彼は墜落した。


 突如の落石群だった。たけるを誰かが直撃から庇った。しかしたけるは混乱の中、足を踏み外した。


 気付けば、クレバスのようになった谷の合間だった。落ち際、咄嗟に身を振ったのが幸いし、奇跡的に体が引っかかり、彼は落下死を免れていた。背中を下に、くの字の体勢で止まっていた。落ちる心配こそ無いが、足と頭に傷を負い、特に右足は動かすことすら出来なかった。


(いったい……なにが)


 ぼやける視界で思う。振動と喧騒が遠くに聞こえ、しばしの後。静寂が訪れた。死の静寂だ。


「良かった……君は、生きていたか……」


 上から声がかけられたのは、その数分後だった。はっきりしない視界を上向けると、そこには一人の男性がいた。たけるを、岩の直撃から救った大人だった。


「私は……腹をやられてね。もう必要ない。君が、使いたまえ」


 彼の体は、あちこち赤く染まっている。声と共にロープで下ろされたのは、食料と水だ。


「何、を……あんた、俺の、せいで……」


 か細く問い返すが、彼はどうやら笑ったようだった。顔を引っ込めて、それきりだった。


 その夜。たけるはその大人の――彼の名前を知りもしなかったことに気付いた。




 守砂すさたけるが救出されたのは、二週間の後だった。下ろされた食料と水が無ければ、まず死んでいた。たけるを庇い、それらをくれた誰かは、たけるに付いてこなければ死ぬことも無かったのに。


 そのことを、山中に浮いていた時から病院の中まで、ずっと考えていた。


 たけるの傷は、頭部裂傷・右足骨折及び神経損傷。


 冒険家としての守砂すさたけるは、こうして死んだ。




 たけるは十五にして焔のように燃えていた目的を奪われた。


 かといって『彼』のことを思えば死ぬこともできず、乾いていった。


「笑え。あの人みたいに」


 あんな風には出来なくても、笑っていれば、人生を楽しんでいるように見えるはずだ。


 その内、自分も騙せるかも知れない。微笑んで、あの欲望の笑みを覆い尽くせ。




 なのにたけるは今、地下深くで探検をしている。昔のテンションを思い出しながらも、


(これは、やり直す機会なのかもしれない)


 たけるはずっとそう思っていた。久方振りの、しかしかつてとは大分違う探検。


 他人を利用して、その他人に助けられた。ならば。


(俺もそうする)


 死んでも連れて帰れば生き返り、助けられなくてもデメリット付ながら復活する。そういう場所ではある。それ故に他人を助けることが疑問視される場所だ。


(助けなくていい。そう規定されている場所で、助ける)


 委員達や仲間達には、それらしく実利的な理由を語りはしたが。そういう場所だからこそ、実利以上のものがある。


(……のじゃないか、とか思ったりして)


 眼前には、バリケードの上、邪魔者が一人になったとみてにじり寄らんとする大量のヌシ達。


 通常探索においては、適正と効率上の問題でたけるは後方にいるが、


(前線向きの魔書が来てたらな)


 『亡失迷宮』の有用性を認識し、最大限に活用した上で、たけるはそう思っている。


 前衛を担当し、倒れる後輩二人を見る度に、たけるは忸怩たる思いを持った。それを聞けば、あの二人は笑うだろうか。


「やー、ここは任せて下がってろっての、二度目でも中々に気持ちいいもんだな」


 魔書生物たちが、手こずらせた獲物を引き裂く歓喜に沸くように咆哮する。


 それを冷静に見て、たけるは凶暴な笑みをさらに深めた。減らして、傷つけて、追い詰められて。


 しかし。たけるの脳内には、この戦場の全てがある。




「――もう勝ったと思ってるのか? バケモノども」




 大音声。北西の方面から、凄まじい砲声が轟いた。


「「「な、なんだ!?」」」


 後方からの戸惑いと、たけるの笑み。さらに同時、エキドナの大音声が響き渡る。


 しかしその発声の原因は、エキドナの鬨の声ではなく。


「ミカ姉、津久澄つくづみ先輩、やってくれたか」


 断末魔だ。たけるの脳内マップ、北西の大きなヌシの反応が今、消えた。


「魔書には、切札がある……それを委員長たちが切ってくれるかは賭けだったが」


 見開きと呼ばれる必殺の記述。三火みかから、その存在をたけるは聞いている。討伐隊に三火みかを回したのは、第一に戦力的な必然性もあるが、


(ミカ姉なら早い決着を誘導してくれるって、確信してたからな!)


 そして。このヌシ達をたけるに殺到させているのは、エキドナだ。それが倒された今、ヌシ達の行動に大きな変化が現れる可能性は十分ある。


「何が起きたんすかセンパイ!」


「エキドナが倒された! 討伐隊の勝ちだ!」


「ほ、ほんとですか!? やったー!」


 たけるの予測を裏付けるように。ヌシ達の群が、明らかに戸惑ったように足踏みした。背後を振り向いたヌシもいる。


(ヌシの中には普段、こちらには無関心な奴もいる。隙さえ、出来れば……!)


 果たして。バリケードの下、ひしめくヌシ達の中で踵を返したのは、全体の四割ほどだ。


『ゴガァァアァァァァッ!』


 混乱が起きる。戻ろうとするヌシ達と押し合いへし合い、渋滞が起きている。


 一瞬、振り向く。状況に戸惑う大国おおぐに、エスキュナ、谷がいる。誰もが魔書能力は空に近い。(最後の勝負だ……谷の能力を解除してバリケードを魔書生物側に崩し、一気に脇を抜ける!)


 決心し、作戦を声に出そうとしたその時だ。一瞬の違和が、たけるの脳裏を走った。


 引き返したヌシの反応が一体、消えている。


 論理的に考えたわけではなく、閃きだった。冒険家時代、幾度も窮地を切り抜けた、感覚として先に来るそれ。即座に従う。バリケードを飛び降りる。


 後ろへ。仲間たちの側へ。


「せんぱいっ!?」


 仲間の戸惑いを聞いた瞬間。通路の突き当たり、曲がり角の奥から猛焔が吹いた。


「こいつは……っ!」


 二度。三度。炎が通路を走り抜ける。しかしすぐに消えるそれは、魔書能力によるものと知れた。確認のため顔を出せば、焔の後には、数体のヌシが転がっていた。その中には、


「あのラドンが……?」


 火球を吐き出す竜。ここに集まったヌシの中でも最強格である存在が、消えていく。


 焔の後から、曲がり角より現れる痩躯の影がある。その姿は、


加来かく!?」


「何建築してるんだお前は……まあちょうどいい、陰に隠れてろ! 三十頁『劫火』」


 再び。ごばあ、と本のバリケードを焔が舐めて通路を照らす。バリケード越しにも、その焔が確認できるほどだ。


加来かくの魔書……『火の蛮性と聖性』だ」


 焔を見て谷が言う。魔書の名前だ。先ほどの、突如消えたヌシの反応。その答えだ。


(強敵を倒すのが目的の加来かく隊……その隊長の魔書能力)


 今回の攻略に参加を表明したなら、まず間違いなく討伐隊に編成していた。見た目通りの火力一辺倒という威力。さらに二度三度と、焔が吹き付ける。


「うおお、すげえ……」「さ、酸欠でわたしたち死んじゃうのでは?」


「それは大丈夫だ、あいつの焔は魔書の魔力で燃えてるし、焼く相手を選べる」


「なにそれべんり。戦闘楽そう」


「そうでもない、俺と一緒で燃費悪くてさ。今これ全魔力ぶっ込んでかましてるな多分」


 四人で座り込み、噴き上がる焔を眺める。


 しばらくして。焔が収まり、陽動班一行はおそるおそるバリケードから顔を出す。


「ふん、全員生きているか。多少は上手くやっていたようだな」


 幾つもの黒い燃え滓を踏みにじって散らしながら、加来かくが歩いてきていた。


「うわ~すごい、全滅……」「とんでもねえ火力だな」


 後輩二人の言葉に、彼はふっと得意げに鼻を鳴らしたが。


「じゃああれ今へろへろなの?」「多分な。あれ範囲技の中でも今最強のやつだったから」


「余計なことを言うんじゃない谷!」


 たけると谷へ苛立ち混じりに突っ込んでくる。舌打ちしつつ、


「……まあ、不意打ち出来た上に固まってて、おまけに弱ってたから楽だったのは、ある」


 あっさりと認めて、言ってくる。


「竜の火の玉、ドカンドカン途中で爆発させてたもんな」「あれ結構痛かったんだね」


「――とにかく、助かったよ加来かく。ありがとう」後輩達を見て、素直に礼を言いつつ、たけるは続ける。「でもお前、なんで来たんだ? 不参加って言ってたのに」


 不機嫌そうに、加来かくが鼻から息を吐いた。


「……思兼おもかね先輩に、話は聞いた」


   ◇


 遡ること十数分前。地上一階カウンターで。


「そう。昔の彼、そんなだったのね。三火みかもちょっと趣味悪い」


 加来かくの話にそう呟く思兼おもかねへ、彼は小さく耳打ちする。


「……天寺あまてら先輩、やっぱりマジなんですか」


「本人隠してるつもりだから言わないであげて」


 そうなのか、と加来かくは顔を戻しつつ、自分の隊員を思って嘆息した。


「だから、俺は守砂すさが信用出来ない。ったく、谷も、目先の欲に目が眩んで……」


「ああ、そうか。そっちはまだ隠してたのね」


 気付いたように、思兼おもかねが顔を上げた。加来かくの疑問の視線に答えるように、話しだす。


「谷君は、守砂すさ隊に一度救助されてる。ウチの隊にいる彼女の久恵くえと迷宮書庫で逢い引きしようとして、死んじゃった時」


 加来かくが瞠目する。その後で、思兼おもかねは思い出す。


「あっこれ秘密だった。内緒ね」欠片もすまなさそうではない顔。


「……谷の奴」加来かくは眉間を押さえる。「どんな状況で?」


久恵くえは四層って言ってた。超カマキリの部屋から彼の死体連れ出したんだって」


 加来かくが黙る。超カマキリは津久澄つくづみがいたとしても初級の隊が挑む相手では無い。住処の小部屋に入って出るだけでも命がけになる。しかも、谷の遭難を加来かくは知らなかった。そのままであれば、谷は強制排出され魔書の適性を失っていた可能性もある。


「なんで守砂すさの奴はそこまでして、谷を――」


「だから」思兼おもかねが言葉を遮った。「貴方の知る守砂すさたけると、今の彼と。納得が行かないなら、自分で確かめてみたらどう?」


 彼女の言葉に、加来かくはどうにか返答する。


「……どうやって」


 思兼おもかねの指が、下を指した。


「人手が欲しそうだし。飛び入りでも、いいんじゃない?」


   ◇


「…………」加来かくは陽動隊の面々を見る。谷や後輩を下げて、一人残っていたたける。「ちっ」


「なんで舌打ちしたんだよ今」事情を知らぬたけるは眉をひそめるが、


「今回は谷の借りを返しただけだ」


 本当の参加理由がバレていたことに「うへえ」と肩をすくめる谷をにらみつつ、


「勘違いするなよ、守砂すさ。俺はお前の方針を認めた訳じゃない。――さっさと戻るぞ」


「助けてもらったけどえらそーだなあいつ」「実際深いとこ潜ってる隊長だからすごいんだけどね。それと人間的にどうかって別よね」「それな」


「やかましい!」


 後輩組へ言い返してから、加来かくは身を翻し、歩き出して――止まり、振り返る。


「いやだから、行くぞ。ここの本なんて放っておけば勝手に元に戻るだろう」


「申し訳ない使い方したからな。感謝して片付けんと。大国おおぐに、エスキュナに肩貸したげて」


 本を元の場所に戻しながら、たけるが指示を出す。


「えーわたしせんぱいにおんぶしてもらうのがいいー足痛くて歩けなーい」「お前な、ワガママ言うんじゃねえよセンパイも疲れてんだよ」「はーマジかよ誰だよ加来かくにチクったの……他の奴らにからかわれるな……」「そりゃしょうがねえでしょ」「しょうがないですよそれ」


 のろのろ撤収準備しつつしゃべくる三人へ、たけるが何か言おうとした瞬間。


「は・や・く・し・ろ!」


 先に加来かくがキレた。


「おうおう怒ってやがるぜ」「ていうか先に帰ってもいいのにー」


 ぶうたれる後輩組へ、谷も本を書架へ戻しつつ答える。


「あいつも今魔書記述すっからかんだから。帰りに襲われたら一人だとしんどいんだよ」


「黙ってろ谷ィ!!」


 収拾がつかなくなってきた。たける大国おおぐにとエスキュナ、二人の頭を押さえて下げる。


「君たち、助けてもらったんだからちゃんとお礼は言うこと」


「サーセーン。あざしたー」「ありがとーござまーす」


「やっぱムカつく隊だな、お前んとこは…………!」




 そうして。討伐隊とタイミングをずらしつつ、生き残った者達は無事帰還。すぐさま、たけると余裕がある人員で救助隊を結成。先行隊で死亡して残された皆戸も回収した。


 地下閉架迷宮書庫、第五層隠しフロア――後に通称『母蛇の巣』と呼ばれるこの階層は、こうして攻略された。


 勝利であった。

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