五章 図書委員は書架を征す 5


   ○


 一週間後。決行日だ。前日のミーティングを経て、総勢十一名が地下閉架迷宮書庫エントランスへ集まっていた。


 守砂すさ隊四人の他、三火みか雨野あめの思兼おもかね隊の久恵くえ、そして、他隊から皆戸、小山津、大和田という隊員がやってきていた。さらには、


御高みたか先輩。いいの?」


 まさかの委員長本人の出座である。探検モードのたけるに、彼はにこやかに答える。


「ええ。魔書があるとすれば、委員長としては捨て置けませんから。それに、階層支配者ともなれば希少なヌシです。データが欲しい」


「十一人か……」


 尊はあごに手を当てて呟いた。一隊四人には少々足りないが、先行と討伐の人員を減らす訳にはいかない。


「しょうがない、陽動隊を三人で――」そう言いかけた時だ。


「まだ合同探索隊、いるかー?」


 エントランスの扉が開いた。


「谷クン!」


 久恵くえが歓声を上げる。現れたのは加来かく隊の隊員で、かつて秘密裏に守砂すさ達が助けたことのある二年生の少年、谷九郎だ。


「あら……良いの? アナタ。加来かく隊は不参加って」


 津久澄つくづみが意外そうに言った。


「いいんだ。加来かくにはもったいないからって押し通して来た。納得はしてなかったみたいだけど」彼は守砂すさへと笑いかける。「借りもあるしな、守砂すさには」


 これに、集まった面々の半数ほどが苦笑した。御高みたか隊や雨野あめのを除いた彼等は、久恵くえと同じく、かつて守砂すさ隊により救助されたメンバーがいる隊から派遣されていたのだった。


「助けてもらった奴、あれから注意深くなってな」「分かる~。使えるようになったわ」「まあ、他の奴の声かけなら来なかったけどよ」


 空気が軽くなり、口々に談笑が起きた。これは、正直尊たけるには望外のことと言えた。


「……ムダじゃなかったんだね、私達のやってたこと」


「だな」


 エスキュナと大国おおぐにが笑い合う。それを背中で聞きつつ、たけるは手を打ち合わせた。


「よし! これで三隊を組む!」


 まず先行隊は雨野あめのをリーダーとして久恵くえと皆戸、大和田。


 陽動隊はたける大国おおぐに・エスキュナ・谷。


 そして討伐隊に御高みたか三火みか津久澄つくづみ・小山津だ。


 これはそれぞれの魔書能力による相性が重視された。雨野あめのは戦闘に置いては、リーダーとなる方が能力を発揮しやすいという理由でこうなった。


「んーじゃ、まず私ね。みなのものーついてこーい」


 雨野あめのの号令に、三人が「はーい」「うぃーす」と声を揃える。この短時間で既に他隊の隊員を掌握している辺り、ただものではない。


「んねえ、スッサー」彼女がこちらを振り返った。


「なんです?」


「私が危なくなったら、助けてくれる?」


「はあ、そりゃ救助依頼が来れば勿論助けに行きますけど」


 にかり、と。名前とは裏腹に、雨野あめのは太陽のように笑う。跳ねるように一歩、たけるへと近付いて、彼の唇へひとさし指を押し当てた。


「?!」


「うっふっふ。言質取ーった」


 その指をぺろりと舐めながら、「やる気出てきたぞー」と彼女は迷宮書庫へと入っていく。


 奇妙な沈黙が場に満ちた。


「アラヤダ。大変ね守砂すさチャン」眼鏡を光らせ肘でグイグイと津久澄つくづみが突いてくる。楽しそう。


「せんぱい、デレデレしすぎじゃない?」反対側から突いてくるのはエスキュナである。


「え、えー。はい、この内に陽動タイミングの打ち合わせをするぞー……」


 敢えて考えずにそう言った所で。ぽんと肩を叩かれた。


 振り返ると、にっこり笑う御高みたかである。


「その前に。ちょっとあそこで尋常ならぬ眼光になっている天寺あまてらさんをなだめてもらえますか? 合同隊長」


 仕事が増えた。


   ◇


「ずいぶん、カリカリしてる」


 降ってきた声に、加来かくは顔を上げる。声の主は、返却から戻ってきた思兼おもかねだ。


 宇伊豆学園附属図書館地上一階。エントランスカウンターである。


「別に、そんなことは」


「ここは図書館入ってすぐの所。笑顔とはいわなくても、せめて眉間のしわは取って」


「む……」


 言われて、ばつが悪そうに加来かくは顔を揉む。


「原因は、なに」


 問いに、加来かくは意外を得る。この思兼おもかね八呼という上級生は、今まで個々の委員の事情を聞くようなことはなかった。


「――谷の奴が、急に例の作戦に参加すると言い出したんです。ダメだって言ったのに、あれこれ説き伏せてきて。おかげで、今日の探索(アタック)は取り止めで」


「おかげで、いつもサボりの探索委員が、今日は当番にやってきたと」


 さらりと差し込まれた嫌味に、加来かくは決まり悪く黙る。探索委員は、図書当番をサボりがち。加来かくもその例に漏れない。


「随分、守砂すさを敵視してるのね」


「別に、そんなことは」


 ない、と言いかけて、加来かく思兼おもかねの視線に射貫かれた。地下十階層以下を攻める隊の隊長である彼をして、思兼おもかねは侮れない。浅~中層の依頼をこなしながら、ヌシを排除する。浅層組の安全に最も貢献しているのは思兼おもかね隊だ。加来かくとて、初心者の頃はその恩恵を受けている。


「長い目で見れば、詳細地図の作成はプラスに傾く可能性がある。それは貴方も分かっているでしょう。どうしてあそこまで目の敵にしたの?」


 やり過ごせないか、と加来かくは嘆息。


「……別に、俺は自分の言っていることも間違いだったとは思ってないです」思兼おもかねの視線を、見返す。「ただ俺は、中学の頃の守砂すさを――あいつを、知っている」


「地下閉架書庫迷宮に潜ると、昔のテンションに近くなると。そのこと? 少し言葉が荒くなるくらいでしょう」


 加来かくが首を横に振って、呟いた。


「そんなもんじゃないですよ。……あいつの、昔のあいつは――暴君みたいなものだった」


「暴君って」


 少し呆れて、思兼おもかね。彼女の認識する守砂すさたけるとは、あまりにそぐわない。


 加来かくは嘆息を返した。


「あの頃のあいつは、言ってみたら征服欲とか、支配欲とか……そういうのの塊だった。山だの谷だの、遺跡だの。自分がそこに立つっていう欲求のためだけに生きてるような奴だった」


 午前中だ。来館者はそこまで多くない。思兼おもかねは入り口付近を確認してから、続きを促すように視線を戻した。加来かくも再び、ためらいながらも口を開く。


「中二の時、あいつと話をしたことがあって。どこだか外国の山を制覇した後だったと思います。割と上機嫌で。歯を剥き出しにして、獲物に噛み付くように、笑って――。


『俺は、全部が見たい。全部の場所を踏みしめたい』

『難しいだろって隠されてるものを、全部暴きたい。それが、最高に気持ちいい』

『マスコミだの、取り巻きだの、付いてきたいなら勝手にしろ。骨の髄まで利用してやる』

『俺が行きたくて、俺が行くんだ。他は全部、どうでもいい』


 ――正直、マジかこいつって思いましたよ」


 その意外に、思兼おもかねの目が開かれた。加来かくは鼻を鳴らして言う。


「だから、俺はあいつの言うことが信用ならない。『みんなのためになる』だと? お前がそんなタマかってね」


 これ以上言うことはないというように、彼は前を向いた。眉間のしわもそのままで。


   ◇


 地下閉架迷宮書庫エントランス。およそ、二時間の後。


「つっかれたー! ごめん、中央通路に皆戸の死体が残ってる!」


 汗みずくになった雨野あめの達が帰還した。エントランスの中央で一同大の字になって、


「みずー!」と叫ぶ。


 渡されたペットボトルを飲み干し、久恵くえが言った。


「九体やっつけた~。雨野あめの先輩まじすご……」


 うおお、と一同がどよめく。犠牲者は出たとは言え、予想以上の成果だ。


久恵くえセンパイもすげぇな……」


 さしもの大国おおぐにも感心しきりだ。谷は久恵くえの手を握って声をかけている。たけるも労う。


「おつかれさま、雨野あめの先輩」


「ふふふ、見直した? 倒したのはね~、こいつと、こいつと……」


 雨野あめのが拡大コピーした地図の赤点(ヌシ)に×印をつけていく。


「一応進行ルートにいるやつは叩いといた。走り抜けて問題ないと思う。……あとね、伝承によっちゃ不死身扱いされてるのも、普通に殺せた。だからここの元になってる魔書記述、一体一体に細かいものは無くて、多分系譜とか、それだけなんじゃない?」


「ありがとう雨野あめの先輩。いい情報だ。死体は回収に行きたいけど……終わってからだな」


 たけるが立ち上がる。それに大国おおぐにとエスキュナ、そして谷が追随した。


「討伐隊は俺達より五分遅れて突入。渡した詳細地図を使って、最短で地下四層隠しフロアの梯子へ。俺達は討伐隊を視認したら地下五層へ降下。討伐隊は俺達のまた五分後に降りて」


 三火みかへ向けて、たけるが地図を開いて作戦内容を解説する。


「地図の上を北として話す」


 五層隠しフロアは、大別して、中央を南北に貫く大通路と、大通路から横道で繋がる北東・北西・南東・南西、南、五つの小通路から成る。


 大通路は天井が十m近いが、小通路はエキドナの部屋を除けば天井はいくぶん低くなっており、その分の上部は書架となっている。


 この地図上で大別すれば、梯子は南側中央。エキドナのいる大部屋は北西だ。


「俺達はエキドナにわざと見つかってから北東方面に逃げ、その後南西方向まで引っ張る。討伐隊はその隙に大部屋に突入してエキドナを撃破。突入タイミングには気をつけて」


 早すぎても陽動隊を追うヌシ達と鉢合わせするし、遅すぎると陽動隊の負担が増す。


「エキドナは獲物を見つけると叫び声を上げた。あれを一つのタイミングにしてくれ」


 言い置いて、陽動班を引き連れ、たけるは梯子を下りた。




 四層は先行隊が最短ルートの『影』を始末していたこともあり、ほぼ素通りだ。五層もまた、雨野あめの達の奮闘により進行上のヌシは排除されている。だが、


「本番はこっからだ」


 最奥の大部屋、その口を開けた壁の近くへたどり着き、たけるは三人へ耳打ちする。


「俺が見つかって、すぐに戻ってくる。後はひたすら俺に付いてきてくれ」


「ウス」「はーい」後輩二人が頷いて、


「おいおい、ちょっと待ってくれ」谷が慌てたように小声で言ってくる。「そんなんで大丈夫なのか? なんかこう、もうちょい作戦とか……」


「必要ねえよ。センパイよかここに詳しい奴いねえんだし」


「そーですよ。谷せんぱいもここ初めてでしょ?」


 初めて守砂すさと行動する谷は不安げに嘆息する。彼の魔書能力は事前にたけるへと伝えられている。その射程、特性を聞いた彼は「ありがたい。一手増えた」と、そう言った。


「谷」そのたけるが呼びかける。


「お、おう」


「今から逃げ回るわけだが、一瞬でも迷うと死ぬような場面が、おそらく出る。反射だけに意識を割いてくれ。ルート選択、状況判断、攻撃指示。考えることは全部俺がやる。即座に従って欲しい。――隊長として、こう言うのは恥じるべきなんだが……谷の命、一回くれ」


 理屈はあれど、俺を信じて死ねと、そう言われて。


「あ~~~」がりがりと谷が頭をかく。「普通なら、ざけんなって言う所なんだが……久恵くえとのことがあるしなあ。お前等いなかったら、俺あそこで脱落してたかもだし」


 拳を前に出してくる。応じてたけるも拳を出すと、谷は軽く打ち付けた。


「今回だけな。いっちょ頼むぜ、合同隊長。――せめて上手く使えよ」


 親指を立てて。たけるは部屋へと入り込む。


(姿を見ると魅了が来る)


 ならば、どうするか。部屋に入る瞬間、あるものを真上に放る。


 そして。エキドナと目を合わせる。その異形の姿態に、視線が惹き付けられる。彼女以外の景色が曖昧になり、意識が持って行かれる。その瞬間に、


「あだっ!」


 ごづん、と頭部に衝撃。視界がはっきりする。落ちてきた魔書をキャッチして、即座に身を翻す。同時。


「SHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 エキドナの叫び声。そして、殺意が階層中に満ちる。


(魅了されたままだとそのまま餌食になるんだろーな! で、それ破ると子供達呼ぶ、と!)


 走りつつ考え、隊員の元へ。速度は緩めずそのまま走り抜ける。全員が付いてくる。この中で最も足が遅いのがたけるだが、地図を完全に把握し、リアルタイムで階層中のヌシの動きが見えるのもたけるのみだ。取るべきリスクだった。


「行くぞ…………!」


 死を前提にした逃走が、始まる。

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