一章 図書委員は地下へと潜る 3


「いけそうです?」


「ちょい待ち。こっちに向かって歩いてる。反転するまで……」


 書架で出来た通路。並ぶ棚の端の間を歩き、陰で屈むふたり。たけるが数本指をたたみ、GOサインを出す。


「ゴッタゴー」エスキュナが先行し通路を数本渡り、その後に続く。


「ほんと便利ですよね、敵の位置分かるなんて。鉢合わせしたらそれで終わりですもん」


「あのでかい犬だけだけどな。君がさっき追っ払ったモモンガみたいのは分かんなかった。大物だけ分かるのか……?」


 分からないといえば、迷宮書庫というもの自体がたけるには未知の塊だ。そもそも、何故図書館の地下に生物がいるのかということも。


「そこらは色々、後で受付嬢さんとやらを問い詰めるとしてだ」


「あ、意味ないですよそれ」


 周囲を警戒しつつ、エスキュナ。こちらの疑問の気配を感じたか、続ける。


「あの人、基本的に魔書の貸出返却処理以外はなーんにもしません。例えば図書委員以外があそこ行って、扉開けてもノーコメ。だから彼みたいなのが入っちゃうんです」


 そう言って、彼女はたけるの背負う少年を指さした。


「なんだそれ。無責任だなあ」


 思えば、たけるがここに入る羽目になったのも受付嬢のせいと言えなくも無いのだ。


「っと! 守砂すさせんぱい! 上っ!」


 慌てた声。たけるが振り煽げば、数十cmはある巨大なネズミが数匹、本棚の上から降ってきているまさにその時だった。口を開けている。長く鋭い歯が、地下書庫の明かりに煌めいた。


「そっからも来るの!?」


 顔を左腕で庇う。一瞬の覚悟の後、制服を貫いて鋭い痛みが複数、腕に走る。だが。


「っづぅぅぅ! この程度、慣れっこなんだよ……! でいっ!」


 刹那の後。たけるは腕を思い切り、書架の壁部分に叩き付けた。耳障りな声とともに、大ネズミたちが衝撃のクッションになる。


「ギィッ!」


 押し潰されかけ、這々の体で大ネズミたちが歯を放し、逃げ去っていく。


「大丈夫ですか? ……わ、おっきなハンカチ!」


 エスキュナがたけるに駆け寄る。たけるはとりあえず腕の可動を確かめる。出血はあるが、動く。洗浄できないことを気にしつつ、昔から愛用している大きなハンカチで圧迫、縛る。


「痛いけどね、まあこんなとこのネズミだ。出たら消毒して医者行かないとな……」


「あ、いやそれは――」


 感染症とか大丈夫かな、と心配するたけるへ、エスキュナが明るく声を上げた時だ。


 ぱぁん……と音が響いた。大ネズミを叩き付けたような先刻の音とは違う。


 圧倒的な力で、弾き飛ばした音だ。


「「っ!?」」


 慌てて、たけるが脳内地図を確認した。巨犬のマークが、いつのまにか周回ルートをずれ、こちらへ向かってきていた。


「速い……! もう隠れんぼは終わりだ。走るぞ!」


 死体を担ぎなおして立ち上がり、エスキュナを急かす。


「え、え、なんで!?」


「さっきのネズミだ。あいつらが逃げた先で――くそっ、そういうのもアリかよ!」


 話す間にも、巨犬のマークの移動速度が上昇。走り出した。


「一応聞くけどさ! 戦って勝てたりする!?」


「わたしが十人いたらたぶん勝てます! 内八人死にます!!」


「勝てないんじゃねえか!」


 だかだかと迷宮を走る。道が分かるたけるが先導だが、


「うわ足音聞こえてきた! せんぱい早く早くぅ!」「仏さん背負ってるのに無理言うなよ!」


 切羽詰まった後輩の声を聞きつつ、


(いや全く、こんな全速力は本当に久し振り――)


 足を動かすたけるの口端は、犬歯が見えるほどどうしようもなく上へと歪んでいる。


 そして、たけるの視界に階段が目に入る。同時、


「うわー出た! 来た!」


 後ろを振り向いたエスキュナが叫ぶ。同一通路に入られた。出口も見えた今、後は一直線のレースだ。


「エスキュナ、君だけでも先走れ!」


「ええ!? ぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇはい分かりました!」


 速度を上げた彼女がたけるの横に出る。中々に判断がお早い。


(いいことだなオイ! 多分到着前に追い付かれる……! くそ! 恨むからな受付嬢さん!)


 ただ。背後から迫る死を覚悟しながらも、この時少しだけ。たけるの心は救われていた。


(あの時よりは、マシか)


 強化されているとは言え、人と巨犬の速度差は冷酷だ。


 それでも懸命に足を回したその時。背後の四足音と重圧が霧散した。


「!?」愚行と分かっていながら、反射的に後ろを振り向く。そこには、


「消え……」何もいない。だが直後。


 ずどん、と大重量が降りる音。振り向いたたけるの背後、つまりは先ほどまでの前方へ。


「ぎゃあああぁ!」


 エスキュナが叫ぶ。再び、視界を前へ。そこには。


「グゥウゥゥゥ――――」


(飛び越えやがった……!)


 走るたけるとエスキュナの上を行き、進行方向をふさいだ。


「つ、詰んだぁ~」


 エスキュナが外国人らしからぬ言い回しで諦念を表す。




(なんだ――)


 たけるは目の前の獣――巨犬を見る。見据える。恐怖を堪えて。




 巨犬は二人を睨む。逃げようにも、背中を向けた瞬間に襲いかかるという視線と姿勢だ。


(なんだおい――)


 さらに、見る。恐怖を超える感情が浮かぶのを自覚する。




 それが、たまらなく、腹立たしい。


(何を邪魔してんだ、この野郎が――――!)




 エスキュナの横へ歩み出る姿がある。怒りと不屈の瞳がある。


 守砂すさたけるだ。


「エスキュナ」


「は、はいぃ……」


「どっちかが襲われてる隙に、もう片方は上がって助けを呼ぶ。いいな」


 ぎょくん、と横で唾を飲み込む音がした。


「せんぱい覚悟決まりすぎぃ……ううぅくそ~……やったりますよ」


 そう言う後輩も中々のものである。たけるは左へ、エスキュナは右へ。ハンドサインで、頷く。


「「いっせーのー……」」せ、のワンテンポ前に。


(上手いこと上まで逃げろよ、後輩!)たけるは先んじて巨犬へと踏み出そうとした。


「せぇぇえぇぃっ!」


 だが声は上から来た。たけるとエスキュナが視線を上げ、巨犬も釣られて首をもたげた瞬間に。


 白刃が舞った。


 甲高い悲鳴が響く。巨犬のモノだ。どうなったかを確認しようとしたたける達の視界を、巨犬と彼らの間に着地した人影がふさぐ。エスキュナが歓声を上げた。


天寺あまてらせんぱい!」


「え?」


「無事?」


 振り向かず問う。階段上部から跳躍、身を回しつつ空中で地上の巨犬の背に一閃、着地。とんでもない身体能力だ。


 しかしその姿と声は、たけるのよく知る人物のものだった。


天寺あまてら――え、ミカ姉?」


「ん、んンっ」


 返す問いかけに、名前を呼ばれた少女がむせた。


(ミカ姉も……なんだ、結構いるのか? ここを探索するっていう委員は)


「皆さん、無事ですか!?」


「ちょっともう。ミカっち!」「飛び降りるとか無茶も大概にしなさいな」


 さらに複数の声。それは階段の上からだ。


「あれは――」たけるには彼等も見覚えがある。図書委員会の「委員長と、役員の人ら」


 記憶を探る。御高みたかむすび委員長、津久澄つくづみあさひ副委員長、雨野あめの朱見あけみ書記。思えば、三火みかもまた企画部長であったはずだ。


 新たに現れた人数は三火みかを入れて四人。階段を降りてきた彼等により、三人ずつで巨犬を挟む位置取りとなる。


「あらあ、ガルムじゃん。地下三層の死神」「運が悪いわねこの子達も」


「グゥゥウ……」


 未だ戦意を燃やして立つ、ガルムと呼ばれた巨犬の背中には三火みかによる刀創が出来ており、鮮血が滴っている。巨犬は後ろを振り返り――


「ガァッ!」


 ダメージを与えてきた三火みかを脅威と判断したようだった。背後の三人へと飛びかかる。


「あら、こっち来ちゃう? 『長城記録ちょうじょうきろく』四七頁、『八達嶺はったつれい』っと!」


 矢面に立つのは津久澄つくづみだ。女性っぽい口調で、たけるには意味の分からぬ符丁が漏れた。同時、制服の隙間から一際強い光が漏れる。彼が顔を守るように右腕を構える。


 ガルムの巨大な牙と爪が津久澄つくづみの右腕を捕らえる。これには人間の右腕などひとたまりもない。瞬時に骨ごと砕かれ引き千切られる――そう思えたその時。


 ガキィッ――! まるで石に激突したような音が地下空間に響いた。


「うわっ……!?」


 音源は。今まさに魔犬の牙が挟んでいる津久澄つくづみの右腕であった。たやすく引き裂かれるかと思われた腕は、何と無傷で健在だ。それどころか、良く見ればガルムの牙は津久澄つくづみの腕にすら接触してはいない。


「……なんだ? 壁?」


 半透明ではあるが、津久澄つくづみの腕を覆って牙を受け止めるものがあった。


「ガァッ?」


 空中で飛び掛った姿勢のまま、驚愕の声を上げるガルム。津久澄つくづみはその腕に魔犬を乗せたまま、腹に左手をそえて、大きく後方へ身を捻る!


「……どっせい!」


 飛び掛られた勢いを利用したブレーンバスター。口を離す暇も与えてもらえなかったガルムは、背中から床に叩き付けられる。


「『戦地景』二八頁、『鬼切部おにきりべ』」


 勢いよく、今度は御高みたかの周囲から伸びるモノがあった。刀に槍、長刀が刃を天に向け地面から噴出しガルムの背中を撃ち上げる。


 突き刺さる。数えて五本の刃がガルムの背を貫き、その三〇〇キロを優に超えるであろう巨体を宙に固定した。その喉から甲高い声が響く。雨野あめのが口笛をひとつ。


「ひゅ~後輩の前だからって張り切っちゃって」


「いえ、出力がいつもより高いですね」


「ふン? なるほど……どうも彼の影響らしいわね」


 三火みかも加えて、上級生四人がそろってたけるを見た。そして、たけるも気付く。自分の制服のポケットが、淡くではあるが、光っている。中身は、


「本……さっきの『亡失迷宮』……?」


 序盤の頁が、読めるようになっていた。文字のあちこちが光っている。それとは別に、意味が脳内で形を成す。


「未踏地……能力上昇?」


「え、なんですかそれすご!」


 エスキュナが驚きの声を上げた。それは三火みかも同様だ。


「魔書記述! しかも常駐パッシブ!? 無条件で効果発揮……」


「ウッソ、マジで? 一割と見積もっても破格ねえ。当たり引いたかしら」


 訳の分からないことを話す先輩方に、ふと我に返る。


「いやそういうことではなくて!?」


 図書館の地下で先輩がでかい犬に飛びかかられて壁と刀出して惨殺しました。


 あまりのことに頭がついていかない。が、とりあえずこの惨状をどうにかせねば。


「ど、どうするんだこれ。片づけとか。は、墓? 犬の墓作る?」背中に後輩の死体を背負いつつ、たけるがおろおろする。


「おうおう落ち着きたまえ。えーと、守砂すさだからスッサーね。まーもうちょい見てなよ」


「あっ!」


 そう言って回り込み、たけるの背中をぽんぽんと叩いてくる雨野あめの三火みかが声を上げる。たけるは言葉に従いガルムの方へ目を向けた。


(犬の体が、ゆらいで――)


 ぶわっ、と黒い煙が一瞬だけ広がり、収束。次いで、地から伸びた刀槍もその姿を消した。後には一枚の紙きれが残るのみであった。そこには先ほどの魔犬らしき絵が記されている。


「紙片変換っと」


 津久澄つくづみがそれを拾い上げ、びりびりと破り捨てていく。風も無い室内で、その細かな紙片は何処へとも無く流れていった。


「まあガルムをここで消せたのは良かったですね。これでしばらくは初心者でも比較的安全に仕事が出来ます」


「何週間か経てばまた勝手にくっついて元通りだけどね」


(なんなんだ……)


 異常状況を慣れた様子で話す先輩達に、しかしたけるも冷静さを取り戻す。


「とりあえず、助かっ……助かりました。……けど」


 聞きたいことが、と続ける前に。エスキュナが上を指さした。


「言ったでしょせんぱい。上がってから。六人もいると色々集まってきちゃいますから」


 色々。明らかに良くはなさげなそれに、周囲も頷く。


「そうね。いこ、たける。……その、背中の男子のことも」


 三火みかに言われ、たけるは改めて担いでいる死体を意識する。


(そうだ。とにかく彼を弔って、しかるべき説明とこの場所の追求を)


 そうでもせねば、死んだ彼も浮かばれない。委員達の反応の薄さにも腹が立っていた。


 一行は階段を上る。雨野あめのが「ひらけごまー」などと言いながら(思えば、彼女は特に何もしてない)扉を開けて、エントランスへと入る。


「いやったー! 生還!」エスキュナが順を抜かして飛び込んで快哉を叫ぶ。


たける」続こうとするたけるへ、殿しんがりを務めた三火みかから声がかかった。「今からまた驚くと思うけど、説明はするから」


 え、と返事をしつつ、扉をくぐる。


 異変は、腕から来た。大ネズミに噛み裂かれたたけるの腕。その痛みが消える。まるで元から、そんなものは無かったかのように。


 ば、と腕を上げる。錯覚では無い。というか、


「治ってる! 服まで……?」


 切り裂かれた服までが、元通りになっていた。さらに、背中をくすぐる感覚と、急速に感じる暖かさ。


 体温だ。


「むぐ……うぅ」


 声まで追加された。明らかに背中の少年――大国おおぐに八治やちの体が、生気を取り戻していた。


「!?」


「とりあえず進んで。扉閉めるから」「せんぱーい、こっちこっち」


 三火みかとエスキュナに言われて、たけるは一行が車座になっているエントランスの中央部へ歩く。


「彼を下ろしてみてください」


 指示するのは御高みたか委員長だ。床に横たえた時点で、たけるは目を剥いた。


 傷が無い。加えてたけるの腕と同様に、服も元通りふさがり、出血の跡すら無い。さらには、


「うっ……くぅ……ぐぅ……?」


 寝息を立て始める。


「生きて……いや」たけるは彼を担いでいた時の死の感触を思い出す。まさかとは思いながらも、言わざるを得ない。


「生き返、った……?」

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