一章 図書委員は地下へと潜る 2
◇
(あの女子、どこ行った……って!)
そして、場所は戻って地下書庫だ。
「くそっ、見つかった!」
聞こえる爪音が加速し、振り向く
「なんで図書館にこんなもんがいるんだ!」
(全力で走るなんて、いつ以来だ……しかも前より速い?)
それは、彼には失われたはずのものだった。命の危険を感じているような状況で無ければ、跳び上がって喜んでいたところだろう。
「そんな場合じゃねえけどー!」
巨犬ほどではないが、通路や書架の端々に、妙な生き物も時折眼に入る。だが今はそれどころではない。如何に常より早いとは言え、高校生男子と巨犬。双方の運動能力を考えれば、遠からず追い付かれる。
(い・よ・い・よ・ダメかー!?)
「こっち!」
絶望が
「っ!」嫌も応もない。このままでは犬の夕食だ。
壁に肩をぶつけながらも
「閉めて! すぐ!」
声に従い、
「ぜえ、ひい……助かった……?」
入った先はまた通路だ。荒い息を吐いた
「!?」
横たわる少年の姿だ。赤毛の、少し不良っぽい印象である。襟の徽章からすれば、一年生。しかし何よりも目を引くのは、髪の赤では無い。胸に広がる朱だ。反射的に脈を取るが、
「死んでる……!?」
「死んでますね。いやあ、助けに来たんですけど間に合いませんでした」
あっけらかんと死を語る声。横からのそれに
空色の髪。シャープに整って、目鼻立ちのくっきりした容姿は西洋人のそれだ。よく見れば、その顔は図書委員会で幾度か見たことがあるものだった。会話したことは無いが、英国の留学生と言う希少な立場から、名前は
「一年のエスキュナ・コーナー……だっけ」
「イェス。確か図書委員のせんぱいでしたよね。お名前はごめんなさい、覚えてないです」
「
「どっちだっていいけど、君、これ」
「ああはい、とりあえず連れて帰らなきゃいけないんですけど、流石に担いでアレから逃げるのは無理だったんで、困ってたんです!」
何がなんだかという有様であるが、とりあえず本の返却がどうとかいう場合では、もはやないということは明らかだった。
「ちなみに、帰り道とかは」
「うろ覚えです! ふふふ、せんぱいったらわたし一年ですよ?」
自慢げに、誇らしげに言われた。
「帰りのルート失うとか、遭難じゃねえかよ……」
遭難。目の前の死体。自分と共にいた人の。体温が数度ほども下がる錯覚。
(――――っ。落ち着け……ここは違う。あの場所じゃない……)
と、
「あった!」小さく叫ぶ。
「わっはぷ!」普通に叫ぶ。
先ほどの巨犬の他にも生物らしき姿はあった。気付かれれば面倒だ。エスキュナへしーっと注意して、
…………見事に、彼が逃げ走ってきたルートが塗り替えられている。
「よーしよしよし……」
しかも、自分とは違う動くマークがある。先ほどの巨犬だ、と何故か
「行ける行ける行ける……」
「何か怖いこのせんぱい」
目を閉じて唸る
「失礼な。よし、帰り道は任せてくれ」
「ほんとですかっ! せんぱい頼りになるぅ」
「……………………」見事な変わり身だった。
しかし、今すぐ出てはあの巨犬に鉢合わせする可能性が高い。休憩を続けつつ、
「この彼は――いったいなんだってこんなとこに」
「バカヤチは……あ、こいつですこいつ。わたし、こいつが何かここに入ってくのを見て、危ないから助けに来たんですよ。……間に合わなかったけど」
エスキュナが答える。知り合いだったようだ。
(二重遭難。いや、俺も含めりゃ三重か)
そういった状況に覚えがある
「そいつは……残念だった」
「ま、放置はさすがに可哀想ですしね~」
淡々と彼女は答える。
「か、軽いな……。しかしなんだって図書館の下にこんなとこがあるんだ」
「え、せんぱい知らないんですか? 地下閉架迷宮書庫」
常識っぽい返され方をして、
「あれあれ? わたし、勘違いしてます? せんぱい、魔書もらいましたよね?」
「ましょ?」
こくこくとエスキュナは頷いて、
「受付嬢さんに」
言われて、彼は思い出す。懐の本を取り出した。
「あ、それですそれ」
「コレが? 返却するんじゃないの?」
素の疑問に、エスキュナは怪訝さを深めた。
「もしかしてですけど、せんぱい、何も知らずに来てます……?」
「こんなとこがあること自体初耳だよ」
おーぅ、と彼女は天を仰いだ。
「とりあえず――必要なことだけ聞かせてくれ。この本に何があるの?」
彼女は頷いた。
「これ――読めます?」
「英語っぽいけど、読めな……ん、ん?」奇妙な感覚が脳髄に走った。字自体は微妙なのだが、「読める……? 『
「はい。確かそのはずです。これ、私は今、読めないんです。魔書の貸出者じゃないので」
なんだそりゃ、と
「そういうものだと思って下さい。要は、魔法の本です。だから魔書。そんなのあるわけないとかナシですよ、ここにありますから」
「むう」
先んじて反論を封じ、ぴこぴこ指を振って彼女は続ける。
「これを地下閉架迷宮書庫――ここです――のエントランスで『受付嬢』さんから借りると、貸出者は……えー……簡単に言うと、強くなります」
「んな」
アホな、と続けようとして。
考え込む
「なので、魔書はこの危険な迷宮書庫を探索するための、装備なんです」
「――それだけじゃないよな? 本の効果」
不意に投げた疑問。次に意表を突かれるのは彼女の番だった。
「え、もしかしてせんぽい、『記述』使えるんです……?」
「それかどうか知らんけど」
「すごい……迷宮書庫初めてですよねせんぱい!? それで『記述』使えるなんて。わたしなんてまだパワーアップだけですよ」
疑問はまだあるが、一旦置く。帰還が優先だ。
「整理しよう。つまり今俺達は普段より身体能力が高くて」
「
「分かる」「すてき」
頷き合う。帰れそう。
「わっすご。持ち上げちゃった。こいつ、お任せしていいんですか?」
「君は一応魔書とやらの経験者なんだろ。そっちが自由な方がいい、と思う」あと、と人差し指を立てる。「仏さんにこいつ、は止めとこう」
エスキュナが何事か言いかけ、しかし口を閉じた。代わりに「はーい」と返事。
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