四章 図書委員は企画を練る 2
○
男の名は記されておりません。貴き血筋の者と思われまするが、一族の者達は彼に土地屋敷と金を与えて、その後に系譜から消したのです。
理由は分かりません。これから話す内容が原因なのか、それ以前のものなのか。ともあれ、その一族自体も時代の露と消えた今となっては詮無きこと。
男は、与えられた己の屋敷に満足しませんでした。肥大化した自己顕示か、それとも何かを守ろうとしたのか。それは今を生きる我々には伺い知れません。理解できる者がいるとしたら、それは、当代でこの魔書に適合していらっしゃる御方だけでしょう。
それはさておき、やったことははっきりしております。建て増しでした。
男は持てる財を全て注ぎ込み、屋敷を大きくしました。鎧うように。着飾るように。
元より庭も含めそれなりに広大であった敷地は、徐々に徐々に内より張り詰めていきました。膨張する屋敷によって。途中から邸内には畑や濾過装置が作られ、自活を始める始末。
しかしまだ、この辺りまでは記録がありました。これ以降屋敷は複雑さを増し、余人はおいそれと立ち入れなくなります。使用人には地図が必須となりました。――そう、この魔書の題名の通り。迷宮。この地下書庫の如き。
さて、ではどうやってその状況でなおも増築指示を出していたのでしょう? 作業を任された職人、これがまた律儀な御方。鳩の足に結びつけられて送られる報酬の小切手と、増築図。これを忠実に実現したのです。
屋敷の膨張はある日、止まりました。敷地の端にたどり着いたのです。
では、そこで増築は止まったのでしょうか?
いえいえ。
まだまだ。
屋敷は上へ上へと建て増されました。まるでこれまでの膨張は、上へ伸ばすための基礎造りであったと言わんばかりに。
一階ずつ、一階ずつ。高く高く。男の屋敷はまるで荘厳な教会建築の如くでした。
迷宮の如くでした。
男は広がり続けるその屋敷の内部をひたすらに移動し続けた、といいます。
一夜たりとも同じ場所で眠ったことはありません。
しかして一度たりとも道を違えたことはありません。
さて、事ここに至ると使用人達はどうしていたのでしょうか。それも、この屋敷の謎の一つでした。どこで暮らし、どのようにして屋敷を維持していたのか。知る者は誰もいません。
屋敷はある日燃えました。一本の柱も一欠片の家具も遺さぬ、それは全焼でした。
原因は分かりません。内部の失火かも知れません。何者かの付け火かも知れません。何しろ、この名物建築に面白半分に入り込む者は、後を絶ちませんでしたから。
そして、帰れなくなる者も。
焼け跡に残されていたのは、なんと地下への入り口。屋敷は、上と同じく、下にも建て増されていたのです。地下室の最下層にあったのは、屋敷の主たる男と見られる人の焼き付いた影と、一つの手帳でした。何故燃えずに遺ったのかも分からぬその手帳には、それまでの増築の全てと、迷宮となった屋敷の地図、そして彼にしか理解できぬ男の心が記されていました。
何者かの意図の元、時を経て手帳は装幀され、この地下書庫に納められたのでございます。
○
語り終え、返された魔書を
「なんつうか、だからどうしろって話でしたね」
しかし、
(ちょっと書いた奴の気持ちってか、狙いが分かってしまった……)
ちらりと、魔書を開く。
「あっ! せんぱい、新しいページ光ってません?」
目敏くエスキュナが寄ってくる。
(………………うえ)
言葉が脳に滑り込む。迸る羅列だ。文章としては理解できないのに、意味はある程度分かってしまう。中々に気持ち悪い感触だった。
「何て書いてあるの?」
「…………」
答え代わりに、
「あそこの棚の向こう側、誰かの忘れ物か知らんけど、なんか落ちてる。
「お。現況猫のキーホルダーだ。……てかエス公、お前のじゃねえの、これ」
「えっ? えっ、うわほんと、落としてる! ひええ」
置いていた鞄をまさぐったエスキュナが、慌てて受け取る。
「なンで分かったの?」
疑問の目を向けて来る後輩二人の念を代弁して、
「……この本書いた人。なんていうか……、屋敷を自分自身と思ってたみたいで」
「うん。新しい記述、これ、使うと周囲五mくらいに何があるか、見ないでも分かる。名前は……十五頁『自己拡大』」
見える訳では無い。触れるように感じ取れるだけだが。これは、
(とんでもないぞ……フブル司書。あのひと、こうなるのが分かっててやったのか?)
司書の姿はもうない。
「
「探索という意味では、トンデモだ、これ」
未だに要領を得ない顔をしている後輩二人へ、
「簡単に言うとね。今の
ぎょっとするふたり。
「隊長でよかったわよね。隊員なら他から引き抜き合戦が始まるとこだわ。有利過ぎる」
「とりあえずこれで、影対策が打てる」
「
未踏地強化のように勝手に発動する記述ではなく、自分から魔書の魔力を用いて使う能力。
「しんどいけど、探索してる間中使おう。ちっと遅くなるけど、もう1アタック、行けるか?」
一同、頷く。入ってすぐに二人が殺されたので、妙な話になるが消耗自体は少ない。再び、一行は地下四層隠しフロアへと向かう。
本棚の隙間から、影がひゅるりと飛び出して
「バレバレだっつの!」
事前に隠れ場所を
「不意打ちさえなきゃほんとラクだな、ザコめ。センパイ、まだ大丈夫っすか」
「ああ。三mくらい向こうの角にもいる」
一度使って減る魔書の力を逆算すると、
(このフロアには不意打ち特化の魔書生物がいるから、隙間無く使って行かざるを得ないけど……他のとこでは上手くペース配分したいな)
「焦っちゃダメよ、隊長」
「そですよ! じっくり完璧に攻略して、加来せんぱいにギャフンと言わせてやらないと!」
「アナタ、変なとこ語彙古いわねえ……日本語学習、何使ったの」
「MANGAです!」
魔書の限界まで地図を埋めて、戻る。翌日再挑戦。これを繰り返していく。影の潜みやすい場所には傾向がある。それを地図上にマークしてやれば、被害は激減するはずである。
「魔書生物は成長しない。俺達はする」
○
隊の仲間と別れて、
校門から出て、道を少々行った所で。街灯の下にいる人物が手を挙げた。
「おつかれさま」
「ミカ姉」
「あーほらほら、急がないで。魔書持ってる時と勝手違うんだから」
「この程度なら問題ないって。寒くなかった?」
「ううん。もう大分暖かくなってきてるもの」
会話を楽しむように、じんわりと
「帰りましょ。夕ごはんどうするの?」
「コンビニで何か買おうかなって。最近ファミメのサラダチキン使うのにハマってて」
並んで歩き出す。
「……ひ、久し振りに、ウチ来る? お母さんも良く『
少し上擦った声。
(それもいいかな)一時は姉弟同然に暮らした仲だ。そうと思いつつも「ありがたいけど、ちょっと地図整理したくて。四層大分埋められたから」
「あー……なんか、事情は聞いたよ。月末までもう少しだもんね。大丈夫そう?」
「どうにか。要は危険度を減らせばいいわけだし」
「そっか」即答に、
(だけどそれは彼等に旨味が薄い。値千金の未登録図書が眠っている可能性も無くは無いけど、それに賭けるより普通に高難度のレファレンスをこなした方がいい……んだろうな)
「私も
地下レファレンスの依頼表も、十層より下層の図書を持ち出す報酬は分かりやすく高い。
「それにしょうがないよ。委員長の隊は一番前を走らなきゃだし」
最深層の解放もトップの隊に課せられた仕事だ。
「うう……頼りないお姉ちゃんでごめん……でも、何かあったら言ってね。絶対助けるから」
「気持ちは受け取っとく」
「――絶対だよ?」
「あはは。はいはい。分かってるっ、て――」
落ち込み出す
「っと……?」
振り向く。それで、
「――そんな風に、もう笑って流したりしないで」
「ミカ姉?」
「本気だから」
振り向いた先、うつむいた顔から覗く決意の眼光が、
「今度は、
その声には自罰の響きがあった。
「……………………」
まだほんの少しだけ肌寒い晩春の夜、人通りも失せた道で。
「もう絶対、
「
懺悔するように、
「
「小さな頃、良くかくれんぼしたよね」
思い出す。まだ冒険趣味も始まっていなかった頃だ。両親に出張が多かったため、かつては隣の
幼い頃ゆえ男女の別なく、
「
「いやまあ、見つけて帰らないと夕食にありつけなかったし」
何ですって、と
(隠れている物を暴くのは、気持ちがいい)
趣味のいい話では無いが、それは
そんな、子供の遊びですら抑えきれぬ欲求が、『自分が行ったことのない場所へたどりつく』という発露を迎え、冒険の道へ踏み出すことになった。
「いつの間にか、
寂しそうな彼女に、
「そうね。貴方が無事に帰ってきてくれたんだもん。どんな話だろうと、嬉しかった。当たり前でしょう? まだ小っちゃいのに、色んな危ない所に行って。楽しそうに笑って。――こっちの気なんて知りもせずに」
「…………」
「
「ご、ごめん」
「でも、ひどいのは、私――貴方がもう冒険に行けなくなったって聞いた時。……喜んだの」
うつむいたまま、
「もうこれで
「ミカ姉……」
顔を上げた彼女の目は潤んでいた。
「でも、でもね。……あなたが、あんな風に。何もかも笑ってやりすごす様になっちゃうのなんて、見たいわけじゃなかったの」
曖昧な笑みをして、無気力に過ごした一年余り。あんな風、と言われて
「……でも僕、今は違うよ」しかし、優しく言う。「最近、楽しいんだ」
「知ってる」
「迷宮書庫で危ないことになったら――私だけは絶対助けに行くからね。邪魔する人は許さない。私には、私だけには、お願いだから、遠慮しないで」
「う、うん。約束する」
気圧されて、そう
「よろしい。んじゃ、ウチ来てね。ご飯食べましょ」
「いや、さっきそれ断っ「地図描きくらいウチでやりなさい。バラさないわよ」
「ええ~……はい」
押し切られ、
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