第11話 プリテンダー

「ストップ! 今別れの言葉禁止です!」


 開口かいこう早々そう言った彼女は、俺の前に立つと不安そうな顔でこちらを見る。俺はその目線から少し目を逸らしながら息を吐くと、ゆっくり口を開く。

 

「わかった、今は言わないから」


 彼女はそれを聞くとほっとしたような表情になり、それ以上何かを口にすることなく簡潔に「ありがとうございます」と言う。そして、話題を変えるように彼女は首を傾げながら尋ねる。


「ところでお兄さんはなんでこんなところにいるんですか?」


「これはそっちのセリフだよ、君こそどうしたの?」


 彼女はその後文句を言うように「詩乃」と訴えるから、俺は慌てて「詩乃は」と訂正した。


「私は、兄貴にここへ来いって言われて仕方なく……」


 彼女はそう言うと、店内をぐるりと見渡してから、またこっちに視線を戻す。


「アイツいないじゃないですか、本当ふざけてますよね?」


 その声を聞いた瞬間俺は何かを思いついて慌ててスマホを取り出すと一夜とのチャットを開く。そこには、『ごめん』の一言だけが、なんの脈絡もなく浮いていた。


 つまりはそういうことだ。


 俺はスマホを見ながら大きなため息をつくと、彼女が不思議そうな顔をする。


「どうしたんですか? その、友達に余計なお世話を焼かれてめんどくさそうにした、そのため息は、なんですか?」


「お前はエスパーか!」


 そう言うと彼女はニコニコと苦笑いしながらも、返事はなかった。


「俺はさっき一夜に『喫茶店来ないか』って連絡したんだ」


 俺がそういうとそれだけで状況を理解したのか、彼女のは頭を抑えてため息をつく。


「そういうことなんですね。うちの兄貴がすいません」


 彼女はペコリと頭を下げながら言った。


「まあしょうがないよ……」


 俺が地にも足にもつかないような適当な返事をして、お互いに黙り込み、その会話は閉じた。


 そして、用事がなくなった彼女は立ち去る………


 わけでもなくだからといってこっちを見るわけでもなく、ただその場に立ったまま下を向いていた。


 その顔は暗い顔をしていて、それに対して俺は……


「え、えっと……」


 俺が遠慮がちにそう口に出すと、彼女はすぐに悲しそうな顔になる。だから……


「ち、ちょっと座って行かない? ちょうど一夜と食べようと思ってたカツサンドがあるし……」


「で、でも……やっぱ、近くにいるのはイヤですよね?」


「えーと……一夜がこなくなって、俺カフェで一人になっちゃったから……」


 そういうと彼女は顔を上げる。


「やっぱりカフェ一人は寂しいですよね。わかりました」


 俺は「ありがとう……」口にしながら、やってしまったと頭を掻く。


 彼女は席につくと、メニューを見ながら店員にブラックコーヒーを頼む。


 そして、ふたりは三日ぶりに顔を合わせて対面すると、お互い目も合わせずに、黙り込んでしまった。


 これまでのやり取りが自然だったのは、何か事務的に話すことがあって、会話ができていたような気になっていただけ。それがなくなってしまえば、話すことが無くて気まずいふたりに逆戻りだ。


 もしこれが初対面の様な何もしがらみもないふたりなら、不器用ながらに言葉を紡ぎ、ぎこちなくても会話をしたかもしれない。


 でも、しがらみだらけのふたりは、言葉を発することもなかった。



 俺は無責任にチャットに『ごめん』とだけ残した一夜を恨んだ。



 ふたりの間に会話がないまましばらくすると、彼女が頼んだブラックコーヒーがテーブルにコツンと置かれた。彼女はコーヒーが届くなり、カップに熱そうに口づけをすると、その途端に彼女の顔はにがそうに歪む。


 そしてカップを置いて、俺に視線を合わせるとゆっくり口を開く。


「じゃあ、私を一夜だと思ってください!」


「一夜?」


「そう、本当はここにくるのは一夜だったんです。なら私が一夜のフリをすれば良いだけです」


「別にそこまでしなくても……」


「私が一夜のフリをすれば、友達なんですから変に今の状況を意識する必要はありませんよ?」


「まあ確かに……」


 彼女は「それに」と添えると、遠くを見るように、もう届かないものを見るような悲しげな顔をする。


「一夜に聞きましたけど、一夜とは私とお兄さんの関係がどうであれ友達のままなんでしょう? なら一夜のフリをすればお別れなんてないですよね…………うらやましい」

 

 彼女は言葉の最後に何か吐き捨てるように呟いたが、俺にはそのため息まじりの言葉はよく聞き取れなかった。


「……それもそうだな、一夜だと思って気楽にいるわ」


「そうしてください。ところで、お兄さ……こ、幸谷は最近なにがハマってることある?」


 彼女はぎこちなく、まずは定番の質問を振ってくる。俺はその質問に考えるも、最近はもっぱら一人ぼっちで特になにもしていない。だから、その事をそのまま伝えてから、「詩……一夜は?」と聞き返す。


「わた……俺は、わからない」

 

 彼女は必死に一夜の真似をしようと声を低くしているが、あまり似ていない。


「あっ、最近は詩乃に幸谷のことを話して自慢することかな、詩乃は幸谷のこと話すと悲しそうな顔をするから面白いんだ」


 彼女は、変に誇張していて何か悪意の入った真似をしていた。一夜への恨みがマシマシで入っている。


「それは趣味が悪いな」


「俺はクズ野郎だからな……」


 彼女が低い声でそう言うと、そこで会話がピタリと止んだ。


 それが気まずいのか彼女は下を向いてしまった。結局はどういう風にしても、今の二人には会話は続かない。

 

 俺もため息をつきながら下を向くと、目にはテーブルの上に乗った手付かずのバスケットが映る。完全にカツサンドのことを忘れていた。


「そんな暗い顔してても仕方ないから、一緒にカツサンド食べようぜ」


 俺は雰囲気を変えるように無理やり明るく振る舞うと、彼女は苦笑いしながらもカツサンドには目を輝かせていた。


「もらって良いですか?」


「どうぞ」


 そういうと彼女は、小さなバスケットに入ったカツサンドを一つ手に取ると、おいしそうに小さくかぶりついた。俺もそれにつられて、一つ手に取りかぶりついたとき、彼女はまた一夜のフリをして低い声で聞いた。


「幸谷はどんな女性が好き?」


「えっ?」


 俺が怪訝そうな顔で驚いていると、彼女はすぐに前で手を振って否定する。


「いやいや、そういうんじゃないです! ただ、男友達ならそれくらい聞くかなと思って。あれですよ、答えも一般的なやつでいいですから」


「男友達ならそれくらいの話はするか。俺の好きなタイプか……」  


「だって、二人がどうなってるかは置いといて、それでも生涯独身って言うわけでもないじゃないですか?」


 彼女は完全に一夜の設定を忘れて、素で話していた。確かに彼女の口から出たのは驚いけど友達との会話なら普通かもしれない。そして俺は将来隣にどんな人がいて欲しいかを思い浮かべた。


「こんな俺は生涯独身の方がいいかもしれないな」


 彼女はわざとらしく咳払いをすると、思い出したのか、また一夜のフリをして低い声で喋る。


「そういうのなし。じゃあ詩乃と出会っていなかったらどういう人と結婚する?」


「うーん、明るくて、優しい人かな……」


 そう言うと、少し俯いてから、すぐに顔を上げる。


「じゃ、じゃあ、もし詩乃がどんな性格にも変えるられるとして、幸谷はどのように変える?」


「絶対変えない……ていうか、そんな質問一夜するかなぁ?」


「ごめんなさい忘れてください……」


 彼女は真っ赤になって俯く。


 結局、彼女の一夜のフリはうまくいかずに、またふたり黙り込んでしまう。テーブルの上では何度か新しいものが運ばれたり、逆に下げられて物が減ったりしたけど、そこに会話だけは無かった。


 たまに、チラリと目を向けると詩乃の大きく透き通った瞳と目があってしまい、すぐ逸らす。そしてまたお互いに黙ったまま俯く。


 これを何回も何回も続けて……


 何回目かで俺はスマホに目を向けると、そのディスプレイは1時間以上経っていたことを知らせた。

 

 そのおよそ四千秒の間、お互いは黙ったままなのに、『帰ろうと』とはどちらも口にしなかった。

 

 別に言葉は直接的なものでなくても良かったはずだ。『外が暗くなってきたね』とか『今何時?』とか『ねむくなってきた』とか一言発するだけで、お互いに帰る雰囲気になるから、気兼ねなくこの気まずい沈黙を抜け出せることができる。でもこのふたりはそれを知ってて、お互い何も口にしなかった。


 彼女は俺がスマホを確認するとき、不安そうな顔色で見ているし、俺も彼女が外を眺めていると、とても不安になってくる。


 コーヒーの二杯目もそろそろ後半で、さすがに三杯目には手が出せないのか、お互い動きがないままに、コーヒーだけが無くなっていく。


 そして、諦めて三杯目を頼もうと店員さんを呼ぶために振り向くと……




「よっ!」

 

 そこには見慣れたイケメンであって、本当は今頃コイツと一緒にいるはずのやつで、全ての元凶である一夜がいた。


 彼は爽やかなニコニコ顔で俺たちの前に立つが、その反面ふたりは目の前に来た彼を恨みを込めた目でひたすら睨んだ。


 

 

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