第6話 その秒針はスムーズに動く

 今、俺がいるのは周りの音が少し小さく聞こえて、下から光が差し込むだけの暗闇の世界。意識を目の前に向ければ少しいい香りがただよって、頭にはヒラヒラとした柔らかいものが当たる。

 

 俺はこの不思議な空間で、時が経つのをえらく長く感じていた。なぜなら……



 

 この空間の隣では、残念なことに兄妹が仲良くバチバチとやりあっていたからである。


「何か言いたいことがあるなら、直接言ってよ!」

 

 彼女は部屋のドア乱暴に開けるなり、一夜に向かって怒鳴った。彼女の口から聞いたことないようなその声は、ずいぶん迫力があって、まるで俺に向かって言われているような恐怖を感じる。

 

「こっちの話だからお前には関係ねえよ!」

 

 彼女の怒鳴り声に対抗するように、一夜も少し大きな声で文句を言う。


「こっちってなに! 兄貴は1人しかいないじゃない!」


 彼女はそこまで怒りのこもった声音で言うと、そこでふと言葉がやむ。


 そしてしばらく間があってから、彼女は不思議そうな声で「あれ? 他に誰かいるの?」と言った。その言葉に俺は青ざめ、心臓はドクドクと激しく脈打ちはじめる。一夜もどうやら内心焦っているようで、言葉の節々が震えていた。


「えっ? お、お前は何を見ているんだ? 誰もいないじゃないか!」


「なんか気配がするんだよね……女の勘ってやつ?」


「い、いるわけないだろ、ついに頭おかしくなったか?」


 一夜が、普段のクールさとはかけ離れたおどおどしたような受け答えをしていると、彼女は呆れたように「いや、いいんだけどさ」と前置きすると、一段と冷たい声で続けた。


「それ、いなかったら、兄貴は1人で友達ごっこしてたことになるよ。ぼっちは哀れだね」


 彼女の一夜に向けたその言葉は、クローゼットの中にいた俺に突き刺さる。壁という物理的な隔たりを無視した、見事な貫通攻撃だった。この家で生きていくにはサバイバル術が必要かもしれない。


「うるせえ、お前も友達いねえだろ?」

 

 妹に見事に言いくるめられた一夜は、やけくそに暴言をはく。それでも形勢逆転した彼女は余裕そうに、「私はいるしー」と口を尖らせたような喋り方で言うと。そして、彼女は「それに」と続ける。


「私には大切な大切な運命の人がいるから、他は何もなくていいもーん」


 俺はその言葉に恥ずかしすぎて、誰にも見られていないの顔を手で覆う。この狭い空間でむず痒くてたまらないから、早くこの話を畳んでくれと俺は祈るように一夜を想う。しかし、脳裏によぎるのは意地の悪い笑みをした彼の顔だけだった。


「幸谷のどこがそんなにいいんだよ?」


 おい、一夜君? なんかずいぶん無駄なこと話していないかい? 


 明らかに今必要ないであろう質問に、うーんと唸り声を上げる彼女。クローゼットの中に不必要な緊張感が走った。


「うーん……全部!」


「要するにロクに好きな点言えないんだ?」


「違う! 誰かを好きになったこともないようなぼっち大学生にはわからないかもしれないけど——」


 俺の心にまたぐさりと刺さる。しかも、彼女の声だから、俺に面と向かって言われているように聞こえて、より一層痛みを感じる。


「私はどこが好きとかじゃなくて、存在が好き! もういてくれるだけで好き!」


 一夜は彼女の言葉に呆れながら「重症だな?」と言うと、彼女は「まあね!」と機嫌良さそうに言葉にした。


「だから、私はあんたに構っている暇なんてないのよ。またおいしい朝ごはん作らなきゃいけないんだから」


 彼女は明るい声でいうと、部屋のドアは軽やかにパタンと閉まった。


 そして、狭い空間に光が差し込んだ。


「顔、真っ赤だよ?」


 一夜はクローゼット覗き込みながらそう言った。


「イジワルだなお前」


 俺はクローゼットから出ながら文句を言ってやった。


「しょうがないじゃん。詩乃の機嫌をとるには、やっぱ好きな人の話をするしかないでしょ」


「もっと、こう、他にあったでしょ……」

 

「でも良かったじゃん。愛されてるって分かって」


 俺がその返事に困って「まあ……」と、言葉をにごしていると、彼はささやくよう付け加えた。


「脱ぐって言ったのはたぶん相当無理してるぞ、だって詩乃は性的な話は苦手だか……」

 

 そこで部屋からがちゃっという音がした。

 がちゃ?

 

「兄貴そう言えば……」


 ドアから入ってきた彼女は、そこまでいうと口を開けたまま固まってしまった。


 そしてこの部屋は、リズムの速い曲も流れなければ、怒鳴り合いもない、張り詰めた静寂せいじゃくに包まれる。


 その中で、やけ部屋に大きな音を立ててカチカチなる秒針。それが部屋の中にひと刻みひと刻みと響いてる……



 と思いきや、一夜の部屋の時計は秒針がカチカチ言わないタイプだったから、その秒針の音幻想だったわテヘペロ! なんてことを考えて、俺らがやっべと顔を合わせていると、「きゃあああああああああ」と、声にならない最高音の叫びが青山家全体に響き渡った。


「な、ななななななんでいるの?」


 彼女は目をキョロキョロさせ、足をブルブル震わせながら俺に向かって聞く。


「友達の家に、遊びにね……」


 俺は彼女と目を合わせることができなくて、明後日の方向を向きながら小さな声で呟く。


「だから、帰って来いって言ったじゃん」


 一夜がぶっきらぼうに言うも「うるさい! 兄貴は黙れ!」すぐに跳ね除けられてしまう。


「あ、兄貴と友達だったのね……」


「そ、そうなんですよ……いいお付き合いをさせていただいており……」


 俺が変なことを口走っていると、一夜は「それは俺に対して使う言葉じゃねえよ!」とすかさずツッコんでくれた。


「と、と、と、ところで、あの…………さ、さっきの聞こえてました?」


 彼女は顔を真っ赤にして、上ずった声で言う。


 さっきのとひとことと言われても、いろいろ聞こえていたから、どれのことなのかはわからないが、恐らく「存在が……」どうとかって話だろう。


 俺が思い返しても恥ずかしいなら、聞かれていた彼女はもっと恥ずかしいだろう。だから、ここはあえて嘘をついたほうがよかったのかもしれない。


 でも不思議と一夜にも彼女にも誠実にしないといけないと思わせるような真っ直ぐさがあり、ついホントのことが口を突いてしまった。


「少しだけ……」


 俺がそう言うや否や、


「いやあああああああああああ」


 彼女は耳まで真っ赤にしながら、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「あーあ」

 一夜はため息をつきながらそう言った。


 少し申し訳ないことをした気持ちはあったけど、昨日の俺をそのまま見ているようで、不思議と罪悪感は湧いてこなかった。

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