最終話 告白

 俺はなんとか止んでくれた雨に感謝をしながらきらびやかな園内に入ると、アトラクションやどこかの建物に向かうことなく、屋外のベンチにふたり並んで座った。園内の時計は五時過ぎを指していて、とても遊ぶような気分にはなれなかった。それは隣に座る彼女も同じだと思う。


 目の前に見える観覧車は、幾多の光の線がフレームに沿って放射状に伸びていて、ゆっくりと光の弧を描きながら幻想的に回っていた。


 天候が悪いせいであたりはもう暗く人通りもまばらで、妙に静かな園内ではふたりの間に重い空気が流れる。いまだに何か口にすることができないまま俺は隣にいる彼女へと目を向けると、彼女の驚いたような表情と目があった。そして彼女が恥ずかしそうに目を逸らすまで、俺は目を逸らすことができず、たった数秒の見つめあいで俺の心臓は激しく脈打つ。


 俺は今日一日中、彼女を見るたびにおかしな感覚を抱いた。


 彼女の近くにいるだけで、これまで感じたことの無いような脈の早まりを感じて、彼女の笑顔の一つでさえ胸が痛くなるほど脈打って、彼女の無邪気な振る舞いに心臓が追いつない。そして、彼女から目が離せなくなっていた。


 一番最初に脈の乱れを感じたのは、朝落ち込んでいた彼女の手を引っ張った時からで、デートの間ずっと考えたけどその衝動的な自身の行動に納得がいかなかった。


 なぜ別れたいと思っているのに彼女の手を引いてしまったのか自分でも解らずにずっと考えているうちに浮かび上がった一つの答え。そして、俺の背中で目が覚めた彼女がイーランを目の前にした時のとても嬉しそうな笑顔を見たときのその気持ち。そして、昨日一夜に言われて、わからないと誤魔化したその感情を思い出す。


 そして、その感情を意識すればするほど、俺の心の中は一色に染まっていく。

 

 でも、その感情が強くなると彼女と別れられなくなることに怒った罪悪感が、よりいっそう胸をキツく締めつける。俺の心の中にはいまだに彼女の人生を狂わせたんだからこれ以上狂わせないように別れるべきだという思いもあって、心の中で二つの感情に板挟みになる。


 そして『別れよう』の言葉も想像するだけで、その感情がナイフで貫かれたかのように痛むから、口することさえできなくなっていた。

 

 全てを終わらせる呪文も使えなければ、罪悪感のせいで別れる以外の未来を選べない俺の心は、逃げ場をなくし、二つの感情の板挟みに悲鳴をあげる。


 そして、一人で抱え込むのに限界を迎えた俺は、彼女に全ての感情を告白する。


「これは俺の友達の友達の話なんだけど……」

 

 彼女は冗談みたいな前振りにも表情ひとつ変えずに真剣なまま、俺の言葉の一言一言に耳を傾ける。 


「ある日彼はとても美しい少女に好かれたんだ。彼とその少女は境遇や性格がすごく似ていて、一緒にいるとすごく楽しく感じたんだ」


「だけどその少女が彼を好いたのは、昔、彼がなんの気なしに一声かけたことが原因で、もし声をかけていなければ少女はもっといい人と付き合っている将来もあったことに気づいたんだ」


 俺がそこまで口にしたとたんに、彼女は勢いよく立ちあがると俺の目を睨む。


「そんなことは絶対にないです! 私にとってお兄さんが一番です!」


「これは友達の友達の話だから…… とりあえず聞いて!」


 そう言うと彼女は暗いこえで「はい」とひとことだけ呟いくとゆっくり腰を下ろした。


「そして、彼は罪悪感にさいなまれるようになって、少女と関わらない方がお互いにとって良いと思うようになったんだ」


 彼女はズボンをぎゅっと握りしめ、悔しそうに涙を浮かべる。


「でも、彼は関わらない方がいいと頭でわかっていても、その人が悲しい顔をしたら苦しく感じて、助けたいとも思ってしまった」


「そして、助けたいと思えば思うほど罪悪感は強くなっていって、でも助けたいと言う思いはやがて好きに変わっていって」


 俺が好きと言う言葉を発した瞬間、彼女は大きく目を見開いて一瞬こっちを向く。


「彼は、好きと罪悪感の二つの感情に耐えられなくなったんだ」


「彼は、これからどうすればいいと思う?」


 俺が話し終えると落ち着いた様子で頷いて、彼女は前を向いたままくうにむかって独り言のように呟いた。


「なんでその人は、そんなに罪悪感を抱いているのですか?」


 その言葉に対して俺も彼女の方では無く前に向かって、彼の意見を代弁するように自分の想いを口にする。 


「それは、その少女の人生をめちゃくちゃにしてしまったから……彼さえ関わらなければ彼女はもっといい未来が待っているはずだから」


「そんなの、彼女の考え方次第じゃないですか? なんで彼は偉そうに人の幸せとか不幸とか決めているんですか?」


「でも、そんな考えになったのも、彼のせいで……」


「そんなこと言われたら全て極論になってしまいます! なのでとりあえず置いておいて、じゃあ、なんで彼は少女をめちゃくちゃにしたらいけないと思ったんですか?」



「え? そりゃ普通はめちゃくちゃにしたらいけないよ」


「それは答えになってません。してはいけない事には何か理由があるはずです!」


「え、えーと、迷惑かけてしまうから」


「じゃあ何で迷惑かけちゃいけないんですか?」


「え? それは……」


「お兄さん! 私ちょっとそのお兄さんの友達とやらに厳しいことを言います」


 彼女はそう前置きすると、前に向かって大きな声で怒鳴った。


「それはただ人間関係から逃げているだけだ!」


 俺は彼女の強い言葉に唖然とした。何かで心を貫かれたような感覚に陥って、ふと彼女の方を振り向く。それでも彼女は前を向いたまま真剣な顔で続きを口にする。


「人に迷惑かけちゃいけないなら、人と関わることなんて無理です。どう頑張っても関わっていたら迷惑かけちゃいますし」


「さっき言っていた、彼のせいで少女の思考が変わってしまったと言うのも同じです。誰かに影響せずに関わるなんて絶対に無理です!」


「じゃあ、やっぱり彼は一人で生きていった方が……」


 俺がぼそぼそと呟くと、彼女はゆっくりと息を吐いた。そして、彼女は遠くを見ながら優しい口調で、どこか聞き覚えのある言葉を長々と口にした。


「所詮人間なんて一人では生きていけないから、人との関係の中に生きていくんだ。だから人付き合いは避けられない。もちろん苦手な人もいるかもしれないけど仲良くなれる人もいるかもしれない、でも、それも会話しないとわからないんだ。だから、最初から人を諦めるな、そしてもう限界だとも思ったら部屋に篭れ」


「これは私の大切な恩人の受け売りです。今でも一語一句欠かすことなく覚えています」


「私はこの言葉にとても救われました。人付き合いを下らないものだと思っていた私がちゃんと青春を楽しめているのもこの言葉のおかげです」


「だから私も、人は迷惑をかけてかけられて、そんな関係の中に生きていくんだと思います」


「それなのに、彼は罪悪感を言い訳にして人付き合いを避けていませんか?」


「ほんと彼には恩人の爪の垢を飲ませてやりたいですけどね」


 彼女はそこまでいうと、言葉を止めて体を捻り、こちらへと顔を向ける。彼女は頬を朱く染め柔らかく微笑み、その大きな瞳の優し眼差しで俺を見つめる。僅かな光に照らされる彼女の幻想的な表情は、やさしい天使そのものだった。


「だから、私はお兄さんに迷惑掛けられました! でも、その迷惑まだまだ全然足りてません! だから、お兄さんは飛びっきり私の人生めちゃくちゃにして迷惑かけまくって下さい!」


「そしたら私だって、お兄さんに迷惑いっぱいかけて、滅茶苦茶にできるじゃないですか」


「迷惑かけず、かけられずの関係なんて寂しすぎます」


「だから、私には迷惑かけていいですし、その罪悪感なんて私に迷惑をかけさせれば済む話ですし、そのまま人間関係から逃げてしまうのだけはどうかやめてください!」


 俺は六年前彼女に大層なことを言っておいて、人付き合いを一番にバカにしていたのは自分自身だった。


 距離をおいた方がいいなんて安易に人のことを考えて、俺なんかと相手の気持ちも考えずに一人卑下して周りを拒絶して、罪悪感という程のいい感情を後ろ盾にして、俺の根底にあった本当の気持ちを無視して……


 俺は結局人付き合いから逃げている、ただの弱虫なんだ。


 俺はこれまでの行いが恥ずかしくて、彼女の顔さえ見れずに俯きながら「わかった……」と呟く。


 それを聞いて彼女は立ち上がった。


 それを追うように俺もゆっくりと立ち上がると、彼女は俺と向き合い、俺の目を真剣に見つめる。


「私、言いたいことは全部言いました。なので決断をお願いします!」


 彼女はそこまで言うと「ただ、」と前置きした後、口元をにやりと歪ませすごく悪い笑顔をした。俺はその既視感のある光景に、背筋が凍るような悪寒を感じずにはいられなかった。


「お兄さんが変なことを言おうものなら、すぐさま私はお兄さんのその口を私の唇でふさぎます」


 俺は彼女の突飛な言葉にあたふたしつつも、目にはほんのり朱くふっくらした唇が目に映る。


「俺もう選択肢ないじゃん……」


 俺はため息を吐くと、呆れ笑いをしながら嘆いた。


「さあ、お兄さん言ってください!」


 彼女は俺の口をじっと見ている。もし別れようなんて口を動かしたらきっと口を塞がれるんだろう。でも、俺の答えはもう決まっていて、彼女が止めるまでもない。


 俺は彼女のその大きな目をじっと見つめ、勇気を振り絞って言葉を紡いだ。


「俺は詩乃のことが好きだから、別れるなんて嫌! 付き合って下さい!!」

 

 そして俺は頼み込むように頭を下げた。


 俺は頭を下げて返事が来るまで地面を見つめる。だけど、彼女から返事がなくて不安になって、恐る恐る顔を上げると……

 

 彼女は顔を歪めながら涙を流し、そのまま地面にへたり込んでしまった。


「え? ごめん、やっぱ嫌だった?」


「ちーがーいーまーすー」


 地べたに座ったままそう涙声で投げやりに言うと彼女はいきなりまくし立ててくる。


「これまでお兄さんが私に言った、『別れる』とか『離れる』とか『忘れてくれ』とかの言葉でどれだけ私が傷付いたと思っているんですか! 今週なんて私ほとんど寝れていなかったんですよ! お兄さんともう会えないと思うと、不安で怖くてつらくて! 私の心はぐちゃぐちゃに荒らされていたんですよ! それが、こんな……告白なんてされたら、私……」


 彼女はそこまで行った後、そのまま動きがなかった。不思議に思って見つめていると、彼女は顔を上げると、申し訳なさそうに苦笑いをする。


「私は力が抜けて立てなくなっちゃいました……なので今日はおぶって帰ってくださいね?」

 

 俺は渋々「わ、わかったよ……」と言った途端、彼女はいきなり元気な声で「じゃあ、」と口にする。


「これで私は一つ迷惑かけましたよね、これで昔話しかけた罪悪感はチャラです!」


「え? そんなことじゃチャラにならないよ!」


「いいえ、私にとって今お兄さんといる一瞬一瞬が一番ですから」


 彼女のその言葉を聞いて、俺はやはり罪悪感を感じずにはいられな……


「お兄さん今また罪悪感を感じましたね! でも、罪悪感禁止です! 私は自分が思うように動いているだけなので、罪悪感を感じたらいけないんです」


 俺の思考を遮って、心を読んだように文句を言った彼女に反論したいところはあったけど、彼女は俺をじっと睨むから、俺は観念して「わかった」と呟いた。



「ところでお兄さん。なんで今日プリクラ撮ってくれなかったんですか?」


「え、それは……」


「もしかして、撮るの恥ずかしかったんですか?」

 

 彼女は微妙にニヤついた顔で聞いてくる。


「違うよ!」


「あれ、ここでお兄さんのブームの『うるさい』言わないんですね。じゃあどんな理由があるんですか?」


「え、えっと……」


「やっぱ恥ずかしかったんですよね?」


「違う! し、写真に残してしまったら、この関係が本当に終わってしまいそうな気がしたから……」

 

 俺が先細る声でぼそぼそというと彼女は……


「きゃあああ」


 地面に座り込んでいた彼女は軽くピンク色の悲鳴をあげ、そのまま後ろに倒れこみ、地べたで横になってしまった。


「あー汚いからそれ! ちょっと、起きて」


「私はお兄さんのその言葉だけでもう死ねます!」


 そういうと彼女は目を閉じた。俺はため息をつき、仕方なく彼女を起こすと、背中の砂を砂をはらい俗に言うお姫様抱っこでベンチまで運んだ。その間彼女は目をギュッと閉じていたけど、頬は赤く染まっていて、腕には早い鼓動が伝わってきた。



 今、俺の腕には軽くて暖かくて青髪の美しい彼女を抱えている。俺にはもったいないくらい可愛くて、優しくて、明るい彼女だ。


 奇跡のように出会えた似たもの同士のふたりだから、これからまた面倒ごとばかり起こると思う。なんせ俺と似ているのだから。でも、これから迷惑をかけても掛けられてもお互いに許し合って、関わり合って、付き合っていきたい。そして、少しでも長い間そばにいたい……そう思うんだ。



「これから観覧車のらない?」



 彼女をベンチに座らせてから、俺が前を指差しそう提案すると、彼女は大きく「うん」と笑顔でうなずいた。



 俺は背中に詩乃を載せると、高くまで登っていく観覧車へゆっくりと歩み出した。






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 【あとがき】

 アフターストーリーはこの話で最終回になります。ここまで長い間作品をご覧いただきありがとうございました。たくさんの応援や応援コメント、星レビュー、星評価の全ては大変励みになり、おかげさまでこんなに長い作品を書き切ることができました。


 またこの作品の今後については今のところ未定ですが、作者自身は執筆活動を続けるつもりですので、縁あって私の作品を見つけた時は、その作品をよろしくお願いします。(詳細な後書きについては近況ノートにひっそりと掲載します)

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